第6話 婚約解消?

 それからは、私は悠々と部屋に籠り、アベルに指図して食事やお茶を運ばせ快適生活を送っている。

 父は母に、私に謝罪し許しを得るように言ったらしい。

 マノンは私のためだと言い張ったらしいが、使用人たちにも事情を聴取して事実を突きつけると、義理の娘と上手くやれない自分を夫に叱られると思い、追い詰められて冷たく当たってしまったのだと涙ながらに謝ったらしい。

 父はアンジェリーヌの許しを得るまで社交に出ることもドレスや装飾品を買うことを禁じた。

 メイドたちは一掃され、新しいメイドに変わったが自分にはメイドはいらないと断り、マノンの事は死んでも許さないと父に伝えた。


 だって、父に怒られ、ドレスを買ってもらえないのが嫌なだけで本気で悪いだなんて思っていないから。逆に父にばらされて逆恨みしているような人間を許すわけがない。

 それに何年もアンジェリーヌをいじめて追い詰めたくせに、一度謝ったからと言って許されるとでも思っているのか。

 アンジェリーヌは殺されたのも同然なのだ、許せるわけがない。


 そして父といえば、これまで知らなかった、悪かったと自分は娘のことを思っているようなことをいう。

 本当に気にしていたら娘が笑わなくなったこと、肌や髪の艶が悪くなったこと、古い服ばかり着ていることに気が付くっていうの。

 アンジェリーヌを可愛がっていれば気が付けたはず。

 今更父親ぶられても嬉しくもなんともない。

 けれど……アンジェリーヌなら泣いて喜んでいたと思う。悪意に傷つけられてもただ我慢するしかできなかったあの子は父のその言葉を欲していたのだから。


 うっとうしいマノンが何とか許しを得ようとお茶に誘ったり、声をかけてくるが一切無視をする。

 アンジェリーヌが自由に過ごすようになって二週間。

 ごろごろだらける私に弟が苦言を呈したのだ。子分のくせに。

 そして苦言を呈しつつ、婚約者にも会っておいた方がいいと告げてきた。

「婚約者なんかいたっけ? そういえばなんか嫌な奴がいたわね。人のこと陰気だとか、ちゃんと笑えとかいって。じゃあ笑わせて見ろっていうのよ。あなたがつまらない男だから笑いも出ないっていうのにね」

「姉上……それ本人の前で言わないでね。あちらの方が爵位上だから」

「はいはい、わかりました。よし、婚約解消してもらいましょう!」

 アンジェリーヌは意気揚々と宣言したのだった。




 そして婚約者との顔合わせの日がやってきた。

 相手方、グラニエ公爵家のお庭でお茶会だ。

 婚約者としての義務として強制的に参加させられている。最も婚約者に好意を持っていたアンジェリーヌは喜んでいたようだけど。


 婚約者の出迎えもないまま、執事に案内されていくと、不機嫌そうに婚約者のロジェがすでに庭の椅子に座っていた。

 いつものアンジェリーヌなら無理して笑顔を浮かべ、お招きありがとうと言っていた。

 でも私は微塵も心にないことは言わない。

 話す事もないので無言でお菓子とお茶を楽しむ。公爵家の優秀な使用人だからさすがお茶もお菓子も美味しいわと思っていると、

「不機嫌な顔をしてなんだ。少しは気を使え、茶がまずくなる」

とロジェが文句をつけてきた。

「私はいつも不機嫌な顔しかされたことないですけど、お茶の味は同じでしたわ。美味しいものは変わらず美味しいですわよ」

「なに⁈」


 アンジェリーヌはいつもどんなに冷たくあしらわれても必死に笑顔を張り付けて、話しかけていた。ロジェの機嫌を損なわない様にいつも気を使っていたのだ。

 ロジェも、こういえばアンジェリーヌが謝り、慌てて機嫌を取ってくるとでも思ったのだろう。


 だが、新生アンジェリーヌは嫌味に対して即反撃した。

「返事もろくにしない、仏頂面の相手には不機嫌な顔しか出ませんわ。笑って欲しいなら、笑わせるような素敵な会話をしてから言って欲しいものですわね」

と、わざとらしくため息をついて見せるおまけつき。

 子分から言うなと言われたことをしっかり言っておいた。

 これで婚約解消まっしぐらなはず。

 こんなアンジェリーヌを守ろうともしないモラハラ男などアンジェリーヌにふさわしくない。


「なんだと? お前のような暗い女が婚約者なんて俺はずっと嫌だったのだ。我慢して顔合わせに時間を割いてやっているだけありがたいと思え」

「まあ、奇遇ですわ! 私だって本当に嫌なのに爵位の関係上逆らえず来ているだけなんですよ。だからあなたから断ってくださらないといけませんわ」

「いいかげんにしろよ! なんだ、今日のお前は!」

「では、いつものあなたは何ですか? 我が身を顧みていただけませんか。ほんと、文句を言わず今まで我慢してきた私に感謝してほしい位です」

「お前なんかと結婚は出来ん! 婚約解消だ!」

 ロジェはそう言い放った。

「もちろん喜んで……いえ!悲しいけど、お受けしますわ。ああ、残念。悲しくて泣きそう、心が張り裂けそうですわぁ」

 アンジェリーヌは満面の笑顔で婚約解消を受け入れたのだった。


 アンジェリーヌは超ご機嫌で屋敷に戻り、すぐに父に報告する。思わずスキップが出そうになった。

 何かを言いそうな雰囲気の父を見据える。公爵家との縁が欲しかったのだろうが、向こうからの解消宣言だ。受けるしかない。

「元は向こうから望んだ縁談だったのだ。お前の母の親友だった公爵夫人からぜひともと……いや……すまん。わかった。手続きはこちらでする」

「お願いいたします」

アンジェリーヌはこれで煩わしいことは何もないと、清々した気分で部屋に戻ったのだった。



 しかし予想に反してすぐに婚約は解消されなかった。

「全く煩わしい」

 最悪なことに今度パーティがある。公のパーティでは一応ロジェもアンジェリーヌをエスコートしていた。

 ほとんど無言で会場に付いたら放置されて、大人しいアンジェリーヌはほとんど誰とも話すことなく壁際にそっと立っていたのだが。

「ま、不参加でいいか。最悪、アベルに女装させて参加させればいいわよね」

「良くないよ!」

「何でもするんでしょ」

「だからって!」

「いやいや、使えないわ~。はい、じゃあもう破門!」

 アベルに破門を言い渡すと、アンジェリーヌはもう子分に興味を失ったように紅茶を飲む。

「姉上!」

 アンジェリーヌはすでに他の事に気がとられていた。


 これからどうしようかしら。

 まずは差し迫ったパーティ、これは欠席しよう。

 婚約解消を叩きつけたくせに解消をしない訳の分からない婚約者に付き合う必要はないわね。どうせ、不機嫌な顔でエスコートだけして、放っておかれるのだから。

「よし、あいつは捨て置こう。病気とでも言えばいいわね」

 うんうんとうなづきながら、次は今後の生活についてだ。


 今のアンジェリーヌには、両親や弟が家族だという実感があまりない。

 あれ以来、父親は妙に構うようになり、アンジェリーヌが許してくれないと分かった義母はきつい目で見るものの目に見えたいじめはなくなった。使用人も入れ替えたおかげで過ごしやすくなっている。


 半身のアンジェリーヌなら、父が気にしてくれるようになり、居心地のよくなったこの家に喜んでくれるだろう。だが、ここは自分のいる場所ではないと感じている。

 それに半身のアンジェリーヌにも世界には自由な生活があるのだということを教えてあげたかった。アンジェリーヌがこの身体に戻ってきた時、貴族令嬢に戻りたければ戻ればいい、この家族と過ごしたいならそれでもいい。でも他の道を作っておきたかった。

 侯爵令嬢が一人で生きていくのは困難だろうが、自分の中には別の人生の記憶がある。一人で生きるのが当たり前の世界にいた私はきっと平民でも生きていける。

 もう17歳。この世界ではもう大人扱いをされる、働くこともできるのだ。貴族令嬢でなければの話だが。


「う~ん。……ちょっと街に偵察に行かなきゃいけないわね」

 アンジェリーヌはほとんど街を知らなかった。

 マノンとアベルが街に出るときもアンジェリーヌはお留守番。

 断ることを前提にお誘いはかかる。一緒に行くと言おうものなら後でせっかんをされた。

 婚約者と出かけることもなかったし、おとなしかったアンジェリーヌは小さな世界しか知らなかった。

 このまま飛び出すのはさすがに危険であり、情報を集める必要がある。



「…うえ、姉上!」

 アベルがアンジェリーヌをさっきから呼んでいたようだが、気がつかなかった。

 すっかり子分の存在を忘れていた。

「何? まだいたの? 破門したのだけど」

「もう、姉上は本当に僕の事嫌いなの⁉」

「好きでも嫌いでもない」

 あっさり言うアンジェリーヌにアベルは泣きそうに顔を歪める。

「姉上、ひどい! あ、ごめんなさい! 姉上はひどくない。見て見ぬふりしてた僕の方がひどいです!」

 そう、アベルがアンジェリーヌにまとわりつき、子分扱いを受け入れているのもこれまでの罪悪感のせいだ。これからも解放してやりたいと思っている。この子のせいではないのだから。


「じゃあ今度街に行きたいの。一人では許してもらえないと思うし、アベルが行きたいってことにして連れて行って貰えない?」

「はい!」

 頼まれたことが嬉しいようで、アベルは力強く返事をした。

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