第4話 新生アンジェリーヌ
今朝、目が覚めてもアンジェリーヌの魂は戻っていなかった。
悲しくて可哀想で涙がこぼれる。
そしてこれからどうするか考えているうちに、前世の事を思いだす。
こんな窮屈でない自由な世界。きっとこの世界とは違う世界。
文化も科学も何もかもが異なっている世界だが、自由があった。自分の生活を、進みゆく道を選ぶ権利を誰もが持っていた。
貴族として、令嬢としてアンジェリーヌは過不足なく育っていた。
しかし、そこに自由はなかった。義母に虐げられても父親にも助けてもらえなくても、逆らうことも逃げることもアンジェリーヌにとっては貴族令嬢としての振る舞いに反していたのだろう。
その従順であきらめの人生が可哀想で仕方がなかった。自由に生きる事を許されず、頑張っても得られない愛情にすべてをあきらめ、無の世界へ逃げてしまった私の半身。
貴族だから? 義理の娘が邪魔だから? おとなしいから? どんな理由があろうとも虐げられる理由はない。
メイドを追っ払い、アベルも役に立たないと追い返した後、気合を入れてからアンジェリーヌは食堂に行った。
すでに席についていた母のマノンが笑顔で挨拶をしてくる。
「おはよう、アンジェリーヌ」
「おはようございます。驚きましたわ、熱でもあるのですか?」
アンジェリーヌは大仰に驚いて見せた。
「何を言ってるの? アンジェリーヌ」
マノンは優しく微笑んでアンジェリーヌに問う。
「だって挨拶してくださるのですもの。高熱でもあるのかと」
「まあ、朝から冗談が過ぎるわね」
ふふと笑うマノンの目は笑っていない。
「いつもは挨拶をしても返していただけないし、無視するじゃないですか。食事だって古くて冷たいものばかり。今日は、珍しくこちらの方が一緒なのでみんなと同じものを食べさせてもらえるのですね。温かい食事なんて久しぶりだわ」
そう言ってアンジェリーヌは珍しく食卓に座っている父を見た。
侯爵は仕事が忙しく、皆と食事を摂ることが少ない。それをいいことにアンジェリーヌはいじめられ放題だったのだ。
侯爵は、今朝のアンジェリーヌも昨夜同様の様子なのを見たからなのかため息をついている。
マノンも突然の事にすぐに言い返せない様子で、驚いたようにアンジェリーヌを見つめていた。
「この人がいる時だけいい母を演じるのは大変でしょうに。ご苦労様です、いつも通りにされてはいかが?」
アンジェリーヌはまだ言葉を続けた。
そこまであっけに取られて聞いていたが、やっと我に返ったマノンは
「なっ! ああ、あなたごめんなさい。私がきちんと母親の務めを果たせなくて……」
マノンは、驚いた顔をさっと悲しげな顔に変えて、自分のふがいなさを反省するよう侯爵に詫びる。
「たしかに母親らしいことは何一つしてもらったことはないですね。いつも罵倒され無視され、そして叩かれて……この人の前でだけ猫なで声で優しくされても気持ち悪いと常々思っていたのですよ。よくも恥ずかしくないものだなあと感心しておりました。まあ、虐待していること知られたくないから必死なんでしょうけどね。私なら恥ずかしくてできませんわ」
「アンジェリーヌ! あなたなんて嘘を……あやまりなさい!」
「謝る? 何に対して? 真実を言ったことに対して? こちらこそ何年も虐待してきたことを謝って欲しいですわ。まあ、そんな殊勝な人間なら初めから虐待などしないと思いますけど」
アンジェリーヌは薄く笑った。
「私は虐待などしておりません! メイドに聞いてもらえばわかります!」
先ほどのメイドがニヤリと笑い私を貶めようと口を開きかける。
「ああ、さすが小ずるいだけありますね。そのメイドはあなたの指示で私をいじめていたのだから偽証くらいするでしょう。メイドの仕事は何もできず、嫌味と嫌がらせしかできないもので、先ほど私付きは外しましたよ?」
いつもと違い反撃をするアンジェリーヌにマノンもメイドも勝手が違って、次の句が継げないようだ。
父親は溜息をついた。
あまりにもの酷い内容に、食事時にするような簡単な話ではないと悟ったのだろう。
「もう止めなさい。この件は後でしっかりと話す、いいな。アンジェリーヌも思うことはあるだろうが食事のあいだは我慢しなさい」
「もう十数年我慢していました。これ以上我慢するつもりはありません。それを放置していたあなたの言うことも聞く気はありません」
アンジェリーヌはお皿を手に取るとパンや野菜、果物を手早く取り分け、そのまま食堂を後にする。せっかくの温かいスープは心残りだったが、スマートに去りたかったアンジェリーヌは涙を飲んで諦めた。
慌てたメイドたちが
「お嬢様! わたくし共がいたします!」
「あら、頼んだこともしてくれたことがないあなたたちが? いいのよ、能力がないのだから無理しなくて。この女の命令とはいえ、屋敷の娘をいじめるなんて忠義に厚い使用人よね。私はあなたたちにされたことを全部覚えているし、一生忘れないわ」
「お、お嬢様! 私は何も……」
「お許しください、私は何もそんなつもりは……奥様のご指示で……」
口々に謝ろうとしたり、言い訳を口にした。
「御託は結構!」
大人しくていじめられても何一つ言い返せなかったアンジェリーヌの一喝にメイドたちは竦んでしまった。
アンジェリーヌはそれを冷ややかな目で見ると、自室へ戻った。
『アンジェリーヌ、あなたのくやしさを少しは晴らすことができたかな』
アンジェリーヌは少し潤んだ目で、窓から空を眺めるのだった。
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