第59話 魔王という存在

 ここはダムド帝国の首都バウハウスのとある場所。


 貴族風の衣服を端正に着こなし、さらりとした長髪をなびかせた男が膝まずいていた。


「バトラー……お前、よくもしくじってくれましたね」

「もっ、申し訳ありません。魔王様」


 彼の名はバトラー。彼は人間ではない。人の血肉を喰らう魔族だ。彼の頭に二本生えた角がその証である。そして彼が今、頭を垂れる先には彼の主人がいる。バトラーが魔王様と呼ぶそれは苛立った様子で部下の失敗を咎めている。


「魔王様じゃないでしょ?」

「…………」

「お前は私から生み出された存在。いわば私の親愛なる息子。なら、なんて呼ぶかは分かるでしょ?」

「は、はい。お母様」

「それで、いいのよ」


 彼の主人には自分のことをお母様と呼ばせる変な癖があった。

 バトラーはそれが酷く嫌だった。魔族である自分に人間のような家族の意識はない。人間に擬態する時ならともかく何故、主人と母親プレイなどしないといけないのか。などだが、主人の言うことは絶対服従。バトラーは従うしかなかった。


「それより本題よ」


 バトラーに緊張が走る。自分が主人の期待にそぐう働きが出来なかったことは、痛いほどに自覚している。どんな処罰を受けることになるのか。


「まず、お前は何度も暗殺に失敗して、挙げ句の果てに逃げ帰って来ましたね」


 バトラーの失態。それは帝国の隣国、バズコックス王国の王女ルーナ・バズコックスを暗殺せよとの命令を達成出来なかったことだ。

 当初は王国の貴族を甘い言葉で籠絡して、慰問にとやって来た王女を秘密裏に殺害するるはずだった。

 まず、王女がやって来る通路にある森に魔物を用意した。木々に少しバトラーの魔族の血を与えてやれば魔物を作り出すことは用意だった。正直裏工作など必要なくこれで片がつくと高和を括っていた。だが、類い稀なる魔法の才をもつという王女にとってバトラーの作りだした魔物はそれほど強い敵ではなかったようで、すぐに倒されてしまった。

 次に寝込みを暗殺者に襲わせた。だが結局、送り込んだ暗殺者は帰ってこなかった。殺されたのだろう。

 そして、ついに食事会という体で屋敷に呼び寄せた王女を不意を突き、十数名が取り囲んで殺すという手段に出た。魔法使いは至近距離の肉体攻撃には弱い。十分勝機はあるはずだった。だが、暗殺者の口から情報が漏れたのか、事前に控えていた王国の騎士隊によって帝国の部隊は全滅。協力者の貴族諸共、捕まってしまったのだ。


「そしてそれ以上に問題なのは暗殺が上手くいかないことに業を煮やして実力行使に出たことです」


 バトラーはその後、王女の魔力の反応を追いかけた。人間に擬態することを捨てて魔族としての全力を振るって、相手を叩き潰した。実際、王女は目を見張る程の強さを見せたが、魔族であるバトラーに及ぶ程では無かった。

 

「私は言ったはずです。あくまでお前は人間に擬態して帝国の貴族として現地に赴いて、あの国の王女を暗殺せよと。決して魔族としての本性を見せて直接戦うような真似は絶対するなと」


 確かに言っていた。


「だが、お前はそれを破り、挙げ句の果てに始末も出来ず逃げ帰りました。言い訳はありますか?」


 もの凄い威圧感に背筋が凍った。


「まずあの王女に負けた訳ではありません。あの魔族さえ現れなければ私はお母様の言う通りに王女を殺して見せたでしょう」

「…………」

「そしてお言葉ですが、人間にそこまで注意を払う必要があるのでしょうか? 人間は脆弱な生き物です。たしかにあの国の王女は強かった。しかし我ら魔族には遠く及びません。申し上げにくいのですが、お母様の今の様子は人間怯えているように見えます」

「あ?」


 空気が、変わった。


「お前は人間の恐ろしさが分からないから、そんな事をいえるのよ!」


 部屋の奥の方から聞こえるヒステリック気味の絶叫は、バトラーには本当に人間怯えているように聞こえた。まさか、と思った。寿命も短く、魔力も、身体能力も、知能も、遠く魔族に及ばない。脆弱で群れることしか出来ない人間に自分よりもずっと上位の魔族である主人が怯える意味が分からなかった。


「はぁ……お前は失敗作でしたね」

「な、なにを……」


 突如、ヌメヌメとしたタコのような触手が数本、四方八方からバトラーにゆっくりと伸びて巻き付き始める。


「お前は私には逆らえない。我が愛おしい子、それはお前の体がよく理解しているはずですよ」

「私を、ど、どうするおつもりですか?」

「バトラー、お前は用済みだと言いました。聞こえませんでしたか?」


 バトラーの体はギリギリと捻じ切るようにキツく締まっていく。


「がっ……」


 彼は粘液の中苦悶の声を上げることしか出来ない。


「ま、おう、さま……ま、だ、やれます、ご、ごめん、なさい、はぁ、はぁ、だから――」

「消えなさい」

 

 グシャッ。スイカ割りで飛び散った果肉のように辺りにバトラーの血肉があたりに飛び散る。彼の無惨な最期だった。


「……最期にお母様って呼んでくれたら、情けで生き残らせてあげたのに、残念ね。また、かわいい息子を死なせちゃった」


 飛び散った肉片を見ながらカラカラと笑いながらそう言う。飛び散ったバトラーの肉片がウニュウニュと列をなすウジ虫のようにさっきバトラーを締め付けた触手にまとわりついては、くっついていく。バトラーがこの魔王の肉体から生み出されていたことの証左だ。


「しかも誤算だったのは……アイツ、ブラックモアがまだ生きていることね。もう、真の意味での魔族は私だけだと思っていたのに。てっきり、あのクソガキは五百年前、無様にも人間に敗れて死んだとばかり。アイツが死んだときは腹抱えて嗤ったのにね」


 ギリギリと歯を噛んだ。


「はぁ……まあ、いいわ。始末する機会なんていくらでもある。あの娘もわざわざこの国にやって来るなんて馬鹿よね。飛んで火に入る夏の虫よ」


 バトラーが死に、魔王は一人っきりになった空間で呟く。


「王女もブラックモアも絶対に潰してやる」




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