第42話 暗闇の中

『……い』


 誰だ? 俺を呼ぶ声がする。


 俺は目を開けてみる。だが、辺りは僅かな灯り一つなく真っ暗で何一つ見えない。次に手を伸ばしてみるが、手は空を切ったように何にも触れることはない。


『おい、小僧』


 また聞こえる。どこかで聞き覚えのある声だ。


『やっと目覚めたか』


 幼女のような声。それにそぐわない仰々しいしゃべり方。コイツはまさか――


「お前……まさかブラックモアか?」

『そうじゃ。いかにも儂は死霊術師ブラックモア、ご挨拶がまだじゃったな? 小僧、お前は儂の封印が解かれたときに小娘の後ろにいた男じゃろ?』


 奴はルーナが確かに倒したはずだ。

 この状況を説明する言葉を探し出そうとするが、今の状況は俺の理解できる状況をゆうに超えていた。


「どうしてお前が……」


 分からないことはまだある。そう言えばあれからどうしたのだろうか。ルーナがブラックモアを打ち倒した直後に、魔剣使いバトラーが現れてそれから俺は……。

 いや駄目だ。記憶が混濁しているようだ。その後、何が起きたかうまく思い出せない。


『小僧の体は儂がもらった』

「……え?」


 何を言っているんだ。あまりに突拍子のない言葉に脳が理解を拒む。


『その証拠にお前は今、何も見えないじゃろ? 何も触れないし、儂の声以外には何も聞こえない』


 確かに通りだった。暗闇の中で俺は何も認識できないでいる。


 まさか本当に体を奪われたというのか? ブラックモアの言葉が次第に現実味を帯びていく。

 同時に俺はだんだん直前に何があったか思い出していた。ルーナがバトラーに殺されかけて、俺は彼女を庇おうと無謀にも立ち塞がった。それで――


「そうだ! ルーナ! ルーナは無事なのか?」


 ああ。完全に思い出した。何のために俺はこんなことをしているのか。ルーナをバトラーから守るためだったはずだ。


 焦りが募る。あれからどうなったのだろうか。悪い予感がした。


『……ルーナ? ああ、小娘のことか』


 暗闇に光が差し込む。


『なら、お前に見せてやろう』


 ブラックモアがそう言うと、光が突如として俺の脳に飛び込んできた。 


「……っ」


 目の前には力を失って地面にへたり込んだルーナがいる。彼女は服も髪も泥で汚れたまま俺の方をその赤い瞳で射貫き、表情を歪ませながら何かを必死に叫んでいる。

 そして何を思ったか俺は――彼女の首を鷲づかみにして力まかせに締めた。彼女が苦悶の表情を見せると同時に映像はブラックアウトして元の暗闇に引き戻された。


「な、んだ、これ……」


 余りにもリアルだった。


「こんな、の俺じゃない……」


 自分がルーナを痛めつけて傷つけているなんて受け入れたくも無かった。


『そうじゃ。あれはお前であってお前ではない』

「…………」


 どういうことだ?


『言ったはずじゃ。儂がお前の体を奪ったと。この小娘にはしてやられたからな。精々痛めつけて殺してやるわ』


 ブラックモアは心底愉快だという調子で言う。


 ああ。やっと理解した。


 やはり俺は本当にブラックモアに体を乗っ取られたらしい。コイツは奪った俺の体を使って自分を一度は倒したルーナに意趣返しをしているのだ。


 ――まさか、こんな事になるとは思いもしなかった。


 だが、いくら魔族とはいえ人の肉体を奪う。そんな事が果たして可能なのだろうか? 

 少なくとも原作でそんなシーンは無かった。そんな俺の疑問に答えるようにブラックモアが続けた。


『小僧、お前は特別な、ある意味選ばれし存在かもしれん』


 どういうことだ?


『儂も驚いた。人間の魔力には個人差がある。中には人間は魔力が全く感じられないほどに少ない人間も当然いる。だから、お前もそんな人間の一人だと思っていたのじゃが……』


 ブラックモアは続ける。


『小僧……お前には魔力がない。魔力が少ないのではなく、そもそも魔力を持っていなかった。お前は本当に人間か? にわかには信じられん』


 ――ああ、やっぱりか。


 それを聞いても俺は驚かなかった。


 最初出会った時に俺には魔力が感じられないとルーナに言われてから、ずっと考えていた。


 考えついたのは一つの仮説だった。


 俺は別の世界から転移していた。言うなればこの世界の理の外にある存在だ。元の世界では魔法も魔力も存在しておらず物語の中だけの概念だった。


――ならば、俺は魔力が少ないのではなく、そもそも魔力というもの自体を持っていないのではないか。


 そして、その仮説は正しかったようだ。


『でも、お前が魔力を持たない特別な存在だったお陰で儂はお前の体を乗っ取り復活することができた。もしお前が魔力を微量しかもたない普通の人間だったなら、指輪は魔力を吸い尽くしお前は死んで儂も復活の機会を逃していたに違いない』


 ――だが、俺の作戦は失敗に終わったようだ。


 途中までほとんどは俺の思惑通りだった。俺が魔力を持っていないなら、ブラックモアの指輪をはめても魔力を吸い取られて絶命することはない。そこまで予想していた俺は、もしかしたら指輪をはめればブラックモアの莫大な魔力を譲り受けることが出来るかも知れないと考えたのだ。


 浅はかな考えだが、それに賭けるしか俺にはなかった。


 だが、まさかブラックモアに体を奪われるとは予想外だった。


『一度のみならず二度も復活の機会を与えてくれるとはな、お前には本当に感謝するぞ。ハハハッ!』


 ああ。今度こそ終わりだ。体を取られてしまっては何もなす術がない。ルーナと意思疎通すらも出来ない。


 俺は絶望に打ちのめされた。

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