第41話 打開策

 背を向けているため叫び声を上げたルーナの表情は分からない。

 彼女の言葉が俺は信じられなかった。ルーナが自分のことを心配する訳がないと思っていたから。


「早く逃げてよ! 本当に、殺されるわよ!」

「六、五……」

「…………」


 ルーナが声を荒げている。だが、なんと答えればいいか分からない。その間にもバトラーのカウントは進み着実にゼロへと近づいている。

 無言を貫いていると、後ろから左腕が強く引っ張られた。


「……無視すんな! 馬鹿なの? それとも恐怖で頭がおかしくなったの? 弱い癖に、何も出来ない癖に、でしゃばるな!」


 彼女の爪が腕に食い込む。いつもの自信に満ちた尊大な態度はすっかり消えていた。

 振り返れば、眉を寄せ、顔をクシャクシャにして訴える彼女がいた。瞳に涙をうかべているようにも見えたのは俺の見間違えか。頭が真っ白になってしまったように思考がまとまらない。


「お前には……関係ないだろ」


 少しの間の後に口から漏れたのはそんな子供じみた言葉だった。


「……何、言ってるの?」

「なあ、どうして……どうしてこんなになってまで俺なんかを庇ってくれるんだ? 俺がここで死んでもお前にとってはどうでもいいことだろ?」


 ふと、疑問に思ったことを聞いてみた。


「馬鹿にしないでよ……」


 ルーナが震える声で言う。


「私は、この国の王女よ? 自分の奴隷の一人も守れないでどうするのよ!」


 その答えに納得できない俺は更に尋ねる。


「奴隷なんて何も自分の身を危険に晒してまで守るべき存在じゃないだろ……むしろ自分の為なら切り捨てるべきだ。奴隷ってそういうものだろ?」

「……そんなことなんかどうだっていいのよ! 私はアンタに約束したでしょ? 身の安全は確保するって!」


 ああ、そうか。彼女は俺との約束を果たすために……。


「ごめん」


 ボソリと謝ることしかできなかった。何に対する謝罪なのかは自分でも分からない。

 自分に何ができたのだろう? ルーナにバトラーの情報を事前に伝えていればよかったのだろうか。だが、俺は主人公を含めたパーティー戦での戦いしか知らない。それも最終戦に備えてパラメータを上げに上げ切ったキャラクター達を駆使してやっと攻略出来たのだ。ルーナ一人でのバトラーとの戦いなんて想定出来るはずも無い。

 いくらルーナが原作よりも強いからといってブラックモアの時とは違ってとても勝てる相手じゃない。


「ねえ! 何とか言いなさいよ」


 違う。違う。違う。逃げるな。考えるべきことはこんな過去のことではない。今だ。今、目の前の状況を何とかする。それだけを考えろ。後悔してる暇など敵は与えてくれない。

 そもそも、ルーナはもう回復魔法も使えなくなってへたり込んでいる。今更、そんなことを言っても何も解決しない。


「一、零……時間切れです。主君思いで大したものですね。それが君の決断ですか」


 タイムリミットだった。


 どうしたらいい? 自分にできるのは何だ? 力が無くたって考える頭くらいはあるだろ! 考えろ!


 俺は記憶を探っていく。きっとヒントは俺がプレイしたエロゲにあるはずだ。


「…………」


 いや、駄目だ。そんな圧倒的な力量差を覆す都合のいい方法なんて……。


「今すぐ、下がらせますから。どうかこいつだけは見逃して。お願い……」


 ルーナが俺にしがみつきながらバトラーに頭を垂れた。


「ああ……もしかして」


 一つの可能性に思い至った。


「ははっ……」


 乾いた笑いが漏れる。ああ。どうして忘れていたのだろう。


――ブラックモアの指輪


 ルーナが持っていたあの指輪。ブラックモアを倒したときに拾った指輪だ。自分の頭の回転の悪さにはつくづく辟易する。バトラーに襲われてからすっかり頭から抜け落ちていたのだ。


 一か八か、だ。もちろんこの作戦が上手くいく確証なんて何一つない。失敗する可能性の方がずっと高い。


 それでも――


 俺は両手を後ろに回す。右手の親指と人差指で輪を作り、左手の人差し指に通すようなジェスチャーをした。もし、バトラーにバレれば一巻の終わりだ。


「主従共に仲良く死んで下さい」


 バトラーからの正真正銘の最後通告。


 早く。気づいてくれ、ルーナ!


 必死に祈る。心臓がうるさいほど強く高鳴っている。


 ああ、そうか。やっと今、分かった。どうして俺がこんな無謀な行動に出たのか。


 確かにルーナのことなんて全く好きじゃない。むしろ大嫌いだ。痛い思いも辛い思いもしたくない。今も恐ろしくて恐ろしくて気が触れてしまいそうだ。

 でも、自分は弱いから、違う世界から来たから、巻き込まれているから。そうやって言い訳をしながら当然のようにルーナに守られている自分が嫌だったんだ。


――願うことならルーナと対等な立場でいたい。


 いつしか俺はそんな傲慢で身の程知らずな願いを抱えるようになっていた。

 

 だから、今ここに立っているのは完全な自分のエゴだ。今動かなかったらきっと一生後悔して、引きずってしまいそうだったからだ。


 今俺の視線の先にはバトラーが魔剣を振るおうと構えている。

 さっきまでのルーナと同じ状況だ。


 ああアイツ……こんな怖いのに独りで戦ってたんだな……。


 その瞬間、背中に回した左手にルーナの冷たく細い指が触れる感触。俺のしたジェスチャーの意図に気づいてくれたみたいだ。


 良かった……これできっと大丈夫。


 指に指輪がはめられる。


――それと同時に、俺の意識が途切れた。

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