第9話 メイドのシアン3
ジャーという水音が扉一枚を隔てて脱衣所まで聞こえてくる。
山本が風呂に入った。
この世界の風呂は仕組みこそ違えど山本が元いた世界とそう変わらない。シャワーもあれば湯船もある。
一方で時を同じくして、王女付きのメイド――シアンは風呂場から扉一枚を隔てた脱衣所で浄化魔法を使って血溜まりを片付けていた。
何度もナイフで山本の腹を突き刺したせいで床は真っ赤に染まっていたのだ。さすがにこれを放置するわけにはいかない。幸い今は昼だ。他の使用人は各々の仕事の為に出払っているため、使用人用の風呂場に誰かが入ってくる可能性は極めて低い。
「やってしまいましたね……」
シアンは後悔をしていた。
最初は山本に少しだけ釘を刺すだけのつもりだったのだ。突然現れて自分の主人に近づく得体の知れない人物に警告をする。ルーナの最も側に仕えて護衛も兼ねているメイドとしては当然の行いだと思っての行動だった。
「どうして私はあそこまで……」
だが結局半殺しにするまで傷つけてしまった。自分を感情をコントロール出来る人間だと思っていたシアンは自分の行動に少なからずショックを受けていた。
「危うく殺す所でしたね」
だが、耐えられなかったのだ。
――そもそもシアンは山本のことが目障りでたまらなかった。
シアンはずっと昔にルーナに命を救われてから今までずっとその側で仕えてきた。
彼女にとっての命の恩人であるルーナは絶対の存在。その時に一生付き従うことを誓った。
だがルーナが十代になる頃。大人の女性に変わっていく主人の肉体を横で垣間見ている内に、その忠誠心が何を間違ったのか歪んでいった。
――この娘を犯したい。屈服させたい。
こんな感情を抱くのはおかしいと思いつつも止められなかった。気づいたときには忠誠心は屈折した欲情へと変わっていたのだ。
シアンは自分がルーナに向けている邪な感情を自覚した後もルーナの前ではひたすら従順なメイドを演じ続けた。自分の感情を全て殺してただただ滅私奉公してきた。
抱えている醜い情欲をルーナに悟られることだけは避けたかったのだ。それはルーナ様の信頼に対する裏切りになってしまう。だからメイドとして隣で必要とされるだけで十分だと自分を納得させてきた。
ルーナはシアンに対して信頼を置いて彼女以外のメイドを側に置かなかった。自分だけがルーナが心を開いている存在になれたとすら思っていた。
――だと言うのに
「あの男……」
ギリッと奥歯を噛む。
そんなある日、異世界から召喚した人間を地下牢に閉じ込めてある、と主人から聞いたのだ。他でもない山本だ。
理解出来なかったのはその人間のことを楽しそうに意気揚々と話す主人の表情だ。 口では期待外れだ、もやし男だ、不細工だ、などと罵りながらもどこか嬉しそうだったのだ。
それだけではない。
地下牢にいた山本にルーナは自ら朝晩の食事を届けていたのだ。食事の運搬など一国の王女がすべき仕事ではない。だが、シアンが自分が運ぶと申し出るもやんわりと断られた。
――ルーナ様にここまで想われる男とはどんな男だというのか。
そんな疑問や嫉妬やでシアンは押しつぶされそうだった。ルーナが山本のことを話題に出すたびに苛々が止まらない。
そしてルーナがシアンに山本のことを話して一週間が経過した頃。遂に実際この目で見ると言葉通り本当に貧弱な男だった。魔力も感じられない上にヒョロヒョロのもやし体形。おまけに不細工の芋男。というかうんこ臭いし。
どうして主人がこんな男に懸想するのか。本当に理解出来なかった。
実際の所はルーナはただ貧弱で情けない山本をいたぶって、純粋にその反応を楽しんでいるだけなのが救えないところだが。
そんなことは知る由も無いシアンはいよいよ山本の存在が気に入らない。ぽっと出の、それも軟弱で何の価値もないような男に、ルーナを取られたような気分だった。 彼女からすれば山本は百合も間に挟まる男というわけだ。
ああ。きっとルーナ様は騙されているのだ。私が何とかしなければ。
山本に襲いかかった。だが、山本が発言を間違えなければ腹部を何度も突き刺され瀕死にまで至ることは無かっただろう。
『従順なメイド』
山本の発したその言葉がシアンの凶行の引き金になったからだ。
シアンは夜な夜な主人のことを想いながら自分を慰めるたびに常々思っていた。
――自分は主人の信頼を裏切っているのではないか。
従順なメイドを演じておきながら実際は主人を欲望のままに滅茶苦茶にしたいと考えている。自分の中の情欲が大きくなっていくに比例してシアンの中の罪悪感もどんどん大きくなっていた。
山本の言葉はそんな肥大に肥大しきった罪悪感を刺激し、それが引き金となり遂に爆発。
要は山本は完全に言葉選びを間違えたのだ。
「とにかく、あの男から目を話さないようにしないと……」
山本には自分の本心――ルーナへ向けた醜い欲望を全て漏らしてしまった。墓場まで持って行くと誓った気持ちだったはずなのに、だ。
釘は刺したが、万が一にでも主人にこのことが伝わった時のことを考えると恐ろしくて堪らない。
シアンは山本から目を離さないことを誓った。
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