第8話 メイドのシアン2


「あなたは……」

「……?」


 口元は動いているが声が小さく聞き取れない。


「あなたは何なんですか? 急に現れてルーナ様の懐に入り込んで。何かを企んでいるならこの場で殺します」

「…………」


 シアンさんが淡々としたそれでいて殺意のこもった冷たい声音で言う。


 正直に言って滅茶苦茶怖かった。おしっこちびりそうだった。何ならちょっと漏らした。ガクブルと身震いすらしてしまう始末。


 エロい妄想でピンクに染まっていた脳も途端に現実に引き戻される。


 自分の命は自分の手で守るしかない。


 俺にはこの場を制圧できる武力はない。だが、言葉で身を守るくらいは出来る。

 ルーナにも瘴気についての情報を提供する代わりに身の安全を約束させた。まあ、もし原作とこの世界の実情が乖離していた場合、俺は殺されるんですけどね。


 考えろ。打開策はきっとある。


『ルーナ様に疚しい考えを持っているなら』


 彼女の言葉から察するにシアンさんが攻撃を仕掛けて来た理由はルーナに対する忠誠心の暴走だろう。ルーナが彼女にどれだけ俺のことを話しているかは分からないが、側に仕えるメイドの彼女からしてみれば素性も知れない信用もならない男が主人の近くに突然現れた状況。排除しようと考えるのも納得できる。


 シアンさんはルーナに強い忠誠心を持っているのだ。


――ならばその忠誠心にこそつけ込む隙がある。


 恐怖を悟られぬように、あくまで冷静に、それでいて強気に、言葉を紡ぐ。


「いいんですか?」

「誰が喋っていいと言いましたか?」


 彼女の圧に負けたらおしまいだ。俺は構わずに続ける。


「ルーナは俺に利用価値を見い出しているはずです。だからこそ俺を生かしている。それをメイドであるあなたが台無しにするつもりですか?」


 毅然と言ってみせた。

 俺を排除するという行動こそが彼女が忠誠を誓う主人の意思に反すると理解してもらう狙いだ。


「っ……自惚れですか?」

「いいえ。事実でしょう? 僕の見る限り、あなたは本当に『忠誠心の厚いメイド』のようです。だからこそ主人に近づく僕という信用ならない男を排除しようと動いた。でも、だからこそあなたには私の言っていることをご理解頂けると信じています」

「…………」


 何やら俯いて唇をプルプルと震わせている。効いているのか? 

 

「それに俺には何の力もありません。魔力だってほとんどないはずです。その上でこんなゴツい首輪だって付けられてるんですよ?」

「…………」

「僕はあなたの主人の敵にはなり得ませんよ」

「…………」


 俺は続けて自分がいかに無害かをアピール。だが、彼女は依然として何も話さないままだ。俯いていて表情も分からない。


 俺が戸惑いつつ次の言葉を考えていると――彼女の掠れたような声が沈黙を破った。


「……がう」

「えっ?」

「違うって言ってるんだよ!」


 絶叫。


 何を言ってるんだこの人は? どうしてキレているのか俺には全く理解できない。


 次の瞬間――横腹にナイフが突き刺さっていた。


「あ……」


 鈍い音だった。


「ああああああっ……!」


 痛い痛い痛い痛い!


 気を失う程の痛みに絶叫する。


「私はルーナ様の忠臣なんかじゃない! お前の言う良いメイドなんかでもない! ほ、本当はあの人を犯したいと思っているんだ。穴という穴を責め立ててヒーヒー言わせたいとずっと思ってる!」


 ちょっと待て。 何言ってんだ、この人?


 血まみれの腹部にさらに追い打ちをかけるようにナイフを突き立ててくる。


 一刺し。


「がっ……はっ……」

「お前が来たせいで邪魔が入った! お前さえ現れなければ、ずっとずっとあの人と二人っきりのはずだった!」


また一刺し。


「うっ……」

「あの方と結ばれるのは諦めて、せめてメイドとしてずっと一緒にいると決めた! なのに何でそれも許されないんだ? 誰なんだよお前は! あの方の何なんだ? お前なんて死ね! 消えてしまえ!」


 血溜まりの海の中で俺はもう虫の息。話すことままならない。


「はあ……はあ……はあ……」


 彼女が息を切らしているのが聞こえる。

 大量に血が流れ出たせいだろうか。だんだん体が冷たくなっていく気がする。


 シアンさんがぶつぶつと独り言を呟いているが、意識が薄れゆく俺には聞き取れない。


 ああ……俺、もう死ぬのかな……嫌だな……。


「すみません。取り乱しました。今言ったことは全部忘れて下さい」


 死を覚悟していると――


 次の瞬間体が柔らかい光に包まれた。


「…………」


 さっき何度も刺されたあたりがじんわりと熱を帯びると同時に痛みが和らいでいく。ようやく俺は自分が回復魔法をかけられていることを理解した。


 シアンさんが手を下ろした後に恐る恐る刺された箇所に触れるとすっかり傷は塞がっていた。


まだ生きてる……。


「私、回復魔法だけは得意なんです。大したものだと思いませんか?」


 シアンさんはすっかりもとの淡々とした口調に戻っている。さっき荒ぶっていたのがまるで嘘のようだ。

 彼女は無言で俺を解放して、血で濡れたナイフをしまった。


「ああ、そうでした」

「――もしさっき私が話したことを他言したら容赦なく殺します。ゆめゆめお忘れ無く」

「…………」

「私はここで見張ってますから体を流してきてください。石鹸は備え付けのものがあるので。後、カミソリも置いてありますからその汚いひげとすね毛も何とかして下さい」


 そう言い残してシアンさんは脱衣所から出て行った。


「はあ……怖かった……」


 彼女が叫んでいた言葉を思い出す。朦朧とした意識だったが断片的に聞き取ることが出来た。


 その言葉を信じるならば――


 彼女は同性愛者――レズビアン。


 俺は勘違いしていた。主人に向ける忠誠心が強すぎるあまりに俺という主人に近づく不審な男を警戒して襲いかかってきたと思い込んでいた。


 ――だが、実際は違った。


 シアンさんがルーナに向けていたのは歪んだ愛情。劣情。情欲。またはそれに類する何か。


 しかもかなりこじらせている様子だ。


「ったく……勘弁してくれ……」


 彼女が俺を襲ったのはぽっと出の素性も知れぬ男に、ルーナを取られたような気分になったから。まあ……だからといって俺に当たらないでほしいのだが。そんな理由で半殺しにされていたら堪らない。


ほんとに何で俺がこんな目に……。


「はあ~風呂、入るか……」


俺は血で真っ赤に染まったメイド服を脱いで風呂に入った。

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