第10話 出発

 鏡に映った俺の顔がどんどん印象を変えていく。


 風呂を上がった俺は待ち構えていたシアンさんに化粧を施されていた。筆やハケのようなものを使って粉やクリームをこれでもかと顔に塗りたくっている。


 


 すぐ近い所に彼女の整った顔が近づいているのに気づいた。相変わらず物凄い美人だ。心臓が鼓動を速める。心なしか冷や汗もどっと出て来る。半殺しにされた時のトラウマが蘇ってきてブルブルと身を震わせる。

 お分かりの通り、彼女が美人で緊張しているから、などではなく全く別の意味でドキドキしていた。


 ちなみに渡されたメイド服は既に着ている。本当は嫌で嫌でたまらなかったのだがシアンさんの目がある手前、文句も言わずに着替えた次第。さっきの出来事により意識レベルでこの人の機嫌は損ねない方がいいと俺の脳に刻み込まれていた。


「終わりです」


 ビクビクしている俺を全く気にする様子もなく黙々と化粧をしていたシアンさんが作業の終了を知らせる。

 化粧の為に閉じていたまぶたを開いて驚いた。そこに写っていたのは舞子とタメを張るくらいにベッタリと肌に塗り物をした男の姿。ニキビによって荒れ果てたボロボロの肌を厚化粧で何とかカバーしていた。


「後はこれを……」


 シアンさんが取り出したのは黒髪長髪のウィッグ。それを俺の頭にドッキングだ。


 鏡の中にはとんでもなくケバい化粧のメイドがいた。


「及第点ですね。これで何とかなるでしょう」


 嫌でもよく見ると……確かに女に見えなくもない。これくらい化粧の濃い人も珍しくはないし。平成初期のガングロギャルとか。


「元の素材がゴミすぎてこれが限界ですね」


 酷すぎる。


「さ、行きますよ」

「は、はい」

「あ、そうでした。私、あなたをずっと見ておきますから」

「へっ?」


 シアンさんの方を見ると目からはハイライトが失われていた。


「お風呂に入る前に私が喋ったことは私とあなたの秘密ってことです。特にルーナ様には絶対に知られたくないです。もし話したら、次こそ私――どうなるか分かりませんから」

「…………」


 怖すぎるだろ。勘弁してくれよ……。


 俺たちは脱衣所を出た。



「ふふふっ……あははっ……ひっ」


 王宮の一室で待っていたルーナと合流したら、顔を合わせた途端に爆笑された。


 腹を抱えて笑っている。


「ひっ……ふふっ、しっ、シアン良くやったわ。上出来よ。このブサイクをよくここまでにしたわ」


 ブサイクとか言うなよ。これでも傷ついてるんだぞ。


「ありがとうございます」

「それじゃあ行きましょうか。出発の準備はもう出来てるみたいだから」


 ルーナはシアンと女装メイドこと俺を連れ立ち王城を出る。城の中を出ると十人ほどの騎士が横並びに整列していた。そして手前にはその部隊を束ねているであろう屈強そうな男が立っている。額にある大きな傷が彼が歴戦の騎士であることを伺わせた。


 男が敬礼でルーナを出迎えた。


「王女殿下。総員準備完了です」

「ペイス隊長、ご苦労です。道中、頼みますね」


 二人がそんなやり取りをしていると、ルーナ達の背後、開いたままの王城の扉から少しばかり顎髭を蓄えたダンディーなおじさんが少し早歩きで出てきた。


 彫りの深いソース顔イケオジだった。この世界、今のところブサイクを見ていない。どうなってるんだ。

 そして顔以上に目を引くのはその服装だ。金の刺繍のついたマントを羽織り、腰には豪華な装飾の施された剣をさしている。後ろからその男を数人が追いかけるようにぞろぞろとついてきた。


「お父様」

「へっ、陛下!」


 ルーナと隊長が反応を示す。


 皆のこの反応からしてこの人が国王だろう。


 シアンや騎士達がヘヘーと頭を垂れるのを真似して頭を下げておく。


「お父様、わざわざ出てきて下さらなくて結構だと言っていますのに」

「そんなわけにいくか。許可は出したが大事な娘と一週間も会えないと思うとやはり私は耐えられんくてな。せめて見送りはさせてくれないか」


 他の全員がかしこまっている中でルーナと陛下の問答がくり広がられる。


 話を聞く限り陛下は相当の親バカなようだ。チラリと周りを見れば陛下と仲睦まじく話すルーナの姿をみて騎士達も微笑ましいものを見るような顔をしていた。


 ここにいる全員がルーナを慕っているのだろう。まあ、俺を除いてだが。俺が心の内に湛えたあの糞女への恨み辛みを共有できる人間はこの中に誰一人いないというのか……。


「ところで、そこの首輪をしているメイドは誰だ? 私は認知していないが」


 さっきまで娘と話していた陛下の意識が俺に向いた。


 ビクッと心臓が跳ねる。チラリとルーナの方を見るが何も反応する様子がない。


 どうするんだよこれ。何とか言ってくれよ。


「どうした? その方、何か申してみよ」


 げ、俺かよ。


 しょうがないから適当に誤魔化そうと、口を開こうとしてふと気づく。


――言い訳しようにも喋ることが出来ないじゃないか。


 今、周りにいる全員が俺のことを女だと思っている状況。


 だが、俺の声は完全に男。男声である。合唱で言えばバスもしくはテノール。間違ってもソプラノでは無い。


 いくら見た目は服や衣装でごまかせても喋ってしまえば女装であることがバレてしまう。


 陛下や他大勢の視線が俺に集中している。


 俺に何度目かの絶体絶命の危機が訪れていた。


「お父様、私からよろしいですか」


 俺が冷や汗をダラダラ流しながら焦っていると――ルーナが割って入ってきた。


 彼女が上手いこと誤魔化してくると一安心。良かった。バクバクと音を立てていた心臓も落ち着きを取り戻す。


 だが、ルーナが言い出したのはとんでもない事だった。


「彼女は前に慰問に行った村の孤児で名をソフィアといいます。私が気に入ったのでメイドとして取り立てたのですが、実はソフィアは生まれつき声が出ない病を患っているのです」


 ――えっ、何それ? 聞いてない。


 何言ってくれてるんだと思い、その荒唐無稽な発言の主の方を見れば悲痛そうな表情をした嘘つき女がいた。とんだ名女優がいたものだ。


「私は彼女を救いたかった。そのために声を取り戻すために魔道具を開発しました。それがその首輪なのです」

「そ、そうか。辛いことを聞いてしまってすまなかったな。すまない。それで効果はあったのか?」


 国王陛下、なぜか完全にこの話を信じ切っている。


 娘が魔道具を開発したと聞かされて、そうか、で済まされるのだから、ルーナの魔法や魔道具についての類い稀なる才能は父親である国王陛下もよく知るところなのだろう。


「残念ながらこれは瞬時に効くようなものではありません。でもいずれ効果が現れて彼女は声を取り戻せるはずです」

「そ、そうか……。でも、メイドを二人連れて行くのか?もう一人はいつものメイドであろう? 確かシアンといったか? 常にルーナはこの者だけを横においていたと思うが」

「本人たっての強い要望です。早く仕事を覚えて自分のことを助けてくれた私の役に立ちたいと言ってくれましたわ。本当なら今回の慰安には置いていく予定でしたが、同行させてシアンのもとでメイドとしての仕事を学ばせるつもりです」

「そうか……ルーナ、お前は本当に慈悲深いいい子に育ったな。ルーナがいれば王国も心配はいるまい」

「いえ、お父様に比べればまだまだです」


 少し気になった事がある。


 ルーナが父親に向ける目が冷たいように感じられた。何というか過保護と取れるほどルーナを心配する陛下に対して、ルーナの陛下に向ける態度は素っ気ないように感じられた。


 まあ、いいか。俺には関係ないことだ。


 そんなことを考えていると、陛下の視線が再び俺に向けられる。


「ソフィアといったか。先ほどはすまなかったな。私の配慮が足りなかった。ルーナの元でメイドとしてよく励むといい」

「…………」


 俺は喋れないのでうなずきで返答。


 横目でルーナを見ると、陛下の意識が外れたのをいいことにニヤニヤと俺を見下ろしながら意地の悪い笑みを湛えていた。


 コイツ、実の父親によくもまあこんな臆面もなく嘘がつけるな……。


 まあ、彼らは父娘である前に国王と王女なのだ。一般人の価値観で測れない複雑なものがあるのかもしれない。


「では、行って参りますね。お父様」

「うむ。気をつけてな」


 ルーナ、シアン、俺の三人が馬車に乗り込むのを陛下は見届けると馬車の外で隊長に声をかけた。


「ジャック!」


 ジャックとはペイス隊長の下の名前だろう。主従の関係だが、陛下は隊長のことを下の名前で呼ぶほどに二人の関係が親密であることが伺えるやりとりだった。


「はっ!」

「余はお主を信頼しておるのだ。今回の護衛に付けたのもそれ故だ」

「もったいないお言葉です」

「確かにルーナは強い。一人でここにいる全員を倒せるほどの力がある。それでも同時に我が王国の王女であり、余にとってはたった一人の娘だ。慢心せずに護衛としての役目を果たしてほしい」

「…………」

「ルーナを頼むぞ、ジャック」

「はっ!命に代えましても!」

「さあ、発て」


御者が馬に鞭を打つ。俺達は王城を出た。

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