第36話 死霊術師ブラックモア2


 封印が解かれたブラックモアにルーナが魔法を放とうとした瞬間、俺はというと元来た道を引き返す方に全力疾走していた。衝撃の大きさからしてダンジョンが崩れるのは必至だ。もし、さっきの場所に留まっていたら上から落ちてきた岩で下敷きになっていたことだろう。


「はぁ……はぁ……」


 肩で息をする。結果から言えば、俺はダンジョンの崩壊から間一髪で逃げおおせた。ほんのついさっきの出来事だ。


 思い返すと肝が冷える。


 俺はダンジョンの中、もと来た道を全力疾走で走っていた。


『っ……マジかよ……死ぬ死ぬ死ぬ!』


 ドスンというような重いものが落ちる音や爆発音が断続的に聞こえる。だが、後ろを振り返る余裕などあるわけがなかった。


『邪魔だ、どけ、オラっ!』


 どこからか湧き出しアンデッド達を剣で退けながら早く、早くと青空を目指して走った。無我夢中で急ぐうちに日の光が見えた、出口だ。ダンジョンの出口を抜けたその瞬間、ドンと洞窟が崩れて完全に塞がったのが分かった。多分中にいたアンデッド達は土砂の下でペシャンコになっているはずだ。

 無事に外までたどり着けたのは火事場の馬鹿力とルーナから借りた大剣、そして幸運のお陰だ。


「本当に、もう……」


 そして今、空では化け物じみた戦いが繰り広げられている。

 すっかり小さくなった二人の姿――王国最強の魔法使いルーナと死霊術師ブラックモアは縦横無尽に飛び回りつつ魔法を互いに向かって放っている。圧巻の光景。

 まるでこの光景が現実ではないようにすら感じられた。例えるなら、まるで映画のワンシーンでも見ているかのよう。思わず呆けて上空を眺めてしまう。口をあんぐり開けて間抜け面である。


 その時 、閃光が視界を覆った。


「!?」


 俺は反応する間もなく跳ね飛ばされていた。背中を地面に強く打ち付ける。


「がっ……はっ……」


 うまく息が出来ない。流れ弾的に俺の方に魔法が飛んできたのだと理解するのには時間を要した。


「……っ、痛っ~……」


 痛みに耐えて地面に伏せることしばらく、何とか上体を起こす。自分の体は見える所、全身に傷が出来ている。実際痛いのだが、見ていると痛々しと余計に痛々しく感じる。背中の傷はもっと酷いと思うとゾッとした。

 ふと我に返る。そうだ。いつこちらに魔法が飛んでくるかわかったものではない。 

もし、そうなれば今度こそ無事では済まないだろう。腕を失うか、足を失うか、いや残骸の一つも残さずに死ぬかも知れない。彼らの放つ一撃の破壊力は言うまでもない。外れた魔法が地面に当たり発せられるドスンドスンという地響きのような音が今も鼓膜を振るわせている。恐怖が背筋を這った。


 ――それに自分が近くにいたらルーナは満足に戦えなくなる。


「……いや、それはないか」


 しばらくの時間を一緒に過ごしたがルーナが何を考えているか一緒にいてもさっぱり分からない。

 俺はここ一ヶ月、彼女の傍若無人な振る舞いに振り回されてきた。そして、すでに彼女の望みである瘴気の原因にはたどり着き、後はブラックモアを倒すだけだ。もう彼女にとって俺は用済みだろう。そんな男の安全を気にかけるような人間ではないはずだ。


「いずれにしても、こんな所にいる場合じゃないな……」


 既に体力の限界が近い自らの体に鞭を打って剣を拾うと、この場から離れるべく森へと急ぐのだった。



 上空ではルーナの放つ魔法がブラックモアを襲っていた。右腕に当たり、その部分が消えて飛んだ。


「…………」


 魔族には痛みという概念がない。その肉体は魔力の粒子でできており、少しの損傷ならば簡単に復元できる。

 ブラックモアは苦悶の表情一つ見せることはなく、すぐに欠けた体は再生されていく。


「……驚いた。文献通りですね。本当に興味深いわ。よかったら王都に来て私の研究の被検体になってくれませんか? 人類の魔法の発展に貢献できますよ? 光栄なことでしょ?」


 ルーナは魔族を見たことがない。初めて生で見る魔族に興味津々だった。一方で、ブラックモアは戸惑い半分、苛立ち半分。曰く、この状況で何言ってるんだ、この小娘は。


「……余裕こいてる暇か? 小娘」

「あら、残念。私は本気だったのだけれど。なら、仕方ないですね。死体から組織を採取させてもらいますね」

「……っ、もういい」


 魔力量に関してはブラックモアが圧倒的に勝っているはずだが、一進一退の攻防が続く。総合的な実力はほとんど互角。五百年前の大魔導ベルベットとの戦いが想起された。


『光の雨』


 頭上を覆い尽くしたのは無数の魔方陣。その一つ一つから光線が発射される。とっさに除けるも、驚いたことに光線はブラックモアの後ろを追従してくる。


「くっ……」


 確実に急所――コアのある場所を狙っている。


 まるでコアのある場所を正確に知っているようじゃないか。そんなことは万が一にも有り得ないはず。

 それに加えて、空中で目標に魔法を正確に的中させることは極めて難しい。それを目の前の小娘は表情一つ変えずにやって見せる。

 

「……ありえない」


 この小娘は確かに強い魔法使いかもしれないが、所詮は人間。人間が魔族に叶うはずがない。そのはずだ。ブラックモアは必死に自分に言い聞かせる。


「一ついいことを教えてあげます。あなたの魔法は、非効率なんです」

「……何だと?」


 今度は何を言い出すつもりか? 執拗に言葉で煽ってくるルーナにブラックモアは怒り心頭。イライラを隠せなくなっている。


「あなたの魔法は魔力が拡散しすぎている。魔力の密度を上げて一箇所に集中させ魔力の消費を防ぐという人間の魔法使いなら誰もが学ぶスキル。それがあなたは出来てない」

「…………」

「魔族って案外大したことないんですね」


 ブラックモアは余りの怒りに絶句した。自分の魔法や魔族としての誇りが傷つけられたのだ。


「何を知ったような口を聞いてる? 魔族を人間のような下等生物と一緒にするな! お前に儂の魔法の何が分かる! 儂は、千年以上、こうして大魔族の座に君臨してきた!」



 苛立つ。見た目幼女のブラックモアがパタパタと空中で手足を振り回して怒っている姿は一見かわいらしいことこの上ない。


「ああ。そういうことですか。やはり聞いた通りですね」

「……何だ?」


 ルーナは続ける。


「あなたは自分の魔力量に絶対の自信を持っている。まあ、確かにこれだけの火力の魔法を連発しているのだから、実際、あなたの魔力量は膨大なものなのでしょうね。でも、きっとそれが仇になった」


 この小娘はツラツラと何を知ったような口を利いているのか。


「あなたはその魔力量の上にあぐらをかいて、魔力制御の研鑽を怠った。いや……きっと魔力の効率など考えもしなかった。違いますか?」


 ぴくりと眉が動く。図星だった。かつて魔族の中でも膨大な魔力を誇っていたブラックモアは高火力の魔法をいくらでも打つことができた。だから魔力の効率なんて考える必要もなかったのだ。


「ふん、黙れ! 魔族と人間を同じ土俵で語るな! だとしたら何じゃ? 火力で押し切れば関係のないことだ。それとも儂が今まで屠ってきた相手とお前は違うとでも?」

「ええ」

「…………」


 返ってきた答えは肯定。焦り。初めての感情だ。


「現にあなたは私に押されている」

「……っ」


 ルーナは杖をブラックモアに真っ直ぐ向ける。


「アイツ、少しは使えるじゃない」


 王国最強の魔法使いはボソリとそう呟くと、その瞬間――


『雷鳥』


 巨大な稲妻が空を切り裂き、ブラックモアを貫いた。

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