第35話 死霊術師ブラックモア1

「よし、やるわ」


 ルーナは真っ直ぐ棺を見つめている。


「……痩せた土地が元に戻るかは分からないけど、倒せば、魔力欠乏になっている人達は治るはずよ。コレが原因なのは明らかなのだから」


 彼女の瞳に映るのはこれから倒す敵の姿か、あるいは慰安所にいたあの少女や他の瘴気に苦しむ民の姿か。


「…………」

「これは私にしかできない。私がやらなければならないことだから」


 ルーナは立ち上がって少し距離を置く。そして杖を棺に向けた。


「下がってなさい」


 言われるがままルーナの後方まで移動する。俺に出来るのはせめて戦いを邪魔しないようにすることだけだ。


『封印解除』


 瞬間、爆音。砂埃が舞う。とっさに目を手で覆う。薄めで見ると視界が徐々に明瞭になっていく。

 見れば棺のあった場所には日本人形のような少女が立っている。紫の着物をに草履を履いており、地面にまでつきそうな黒髪が彼女の体を覆っていた。


 ほぼ人間だ。だが、それ故にそうでない部分に強烈な違和感を感じる。


 その頭には二本の角が生えていたのだ。人ならざる者 ――魔族の証だった。



 ブラックモアは魔力が巡っていき自分の体が元ある形を取り戻すのを感じていた。

だが一体どうしたことだろうか。目を開いても暗く何も見えない。


「ここは……ああ、そうか、儂は……」


 長い眠りから目覚めた大魔族ブラックモアはその瞬間、今までのことを全て思い出した。

 自分の閉じ込めているものを魔力の塊を放って破壊する。目の前に立っていたのは一人の少女だった。彼女は瞬きする事もなく真っ直ぐこちらを見つめている。

 人間の上下関係に関して聡くはないが、身なりからしてかなり高貴な人間に見える。


 しばしの沈黙。


 少女はブラックモアに問いかけた。


「あなたがブラックモアで間違いないわね?」

「いかにも。儂は大魔族が一人、死霊術師ブラックモアじゃ」


 今度はブラックモアはルーナを見据えて問うた。


「……儂の封印を解いたのは小娘、お前か?」

「ええ」


 短い、だが堂々とした返事が返ってきた。


「儂が封印されてから何年たった?」

「五百年ほどよ。他の魔族は全滅したわ」

「魔族が全滅? にわかには信じられんな……」

「…………」

「だが、そうか……でも、お前には感謝しよう。これでまた力を取り戻せる」


 その脳裏には五百年前、封印されたときの出来事がまるで昨日のことのように鮮明に浮かんでいた。


 ブラックモアの使う魔法は死者を操る魔法。

 死霊を朽ちていく体に拘束して延々と使役し続け、操られた死者は人を襲い人を喰うことを強制させられる惨く残酷な魔法。

 魔族という生き物は人を食えば食うほどに強くなる。そして、アンデッド達はブラックモアの分身ともいえる存在。だから、アンデッドが人を喰えば喰うほどに術者である彼女の魔力は増していく。この魔法によって絶大な魔力を手に入れたブラックモアは数百年もの間、大魔族の座に君臨してきたのだ。


 だが、五百年前とある一人の魔法使いが現れて状況が一変した。


「あの人間に隙を突かれたのは屈辱の極みじゃ。思い出しただけで虫唾が走るわ」


 ブラックモアはギリリと奥歯を噛む。


 人間が住む街へ侵攻しようとしたときの事だ。その魔法使いは不死者の軍勢を倒すと、ブラックモアの前に立ち塞がった。


『お前をこの先には通すわけにはいかないな』


 の互いの身を削るような戦いだった。敗北を知らなかったブラックモアにとって初めて経験するような血が騒ぐような熱い戦い。心が躍った。

 魔法使いの魔法は凄まじいものだった。

 膨大な魔力量を誇るブラックモアが高火力の魔法を連発するのを、最小限の防御で凌いで見せたのだ。一進一退。どれほどの時間、戦いは続いただろうか。永遠のようにも一瞬のようにも感じられた。

 終わりは突然だった。膨大な魔力も尽き始めた頃、不意を突かれた。ブラックモアは攻撃魔法によって半身をえぐられた。魔力不足のせいで自己修復が追いつかず、すぐに反撃できない状況にまで追い込まれたのだった。

 その隙に魔法使いは魔導具を使ってブラックモアを封印した。恐らく倒しきるのは不可能だと判断したのだろう。


『ブラックモア、僕の勝ちだ』


 魔法使いの自分を見下ろす目は酷く冷たかった。今でも覚えている。


 自分を封印した魔法使いの名前は――大魔導ベルベット。


 そこから先の記憶はない。


「…………」


 人間ごときに。封印された時の出来事を思い出したブラックモアは心底苛立った。


 魔族に比べて寿命が短く、一個体のもつ魔力量も低い、魔族にとっては人間は捕食する対象、獲物でしかない。

 そんな家畜以下の生き物に負けたことを認められないのは当然だった。


「……意趣返しといこうか」


 幸運にも封印から目覚めることが出来た。小娘によれば五百年が経過したという。人間である憎きベルベットはとっくに死んでいるだろう。だが、今からでも人間共を喰い尽くし蹂躙して鬱憤を晴らすことは出来よう。


「まずは死者の軍勢を復活させようか。儂にはこの魔法がある。そして、また人を喰えば儂は力を取り戻せるはずじゃ。それから他の生き残ってる魔族を探して……」


 ぶつぶつと呟きつつ、これからの計画を考える。目の前の少女を脅威とも思っていない態度だ。五百年前に人間に負けたのは偶然に過ぎないと信じて疑っていなかった。人間などやはり脅威足りえないと。

 この小娘には感謝だなと、ルーナに目を向けた、その瞬間だった。目の前の少女の姿が閃光に覆われるのに気付く。


「いや……残念だけどあなたにはここで死んでもらうわ」


 小娘が仕掛けて来た。


「……っ!」


 とっさに避ける。それとほぼ同時に小娘がトンと地面を蹴って飛び視界から姿を消した。

 轟音を立てて辺りの岩が木っ端みじんになり崩れていく。地下空間の天井にぽっかりと穴が開いてそこから青空が覗いていた。小娘はきっと空に飛んだのだろう。落っこちてくる土砂と岩石を魔力の障壁で対処する。

 だが、大魔族たるブラックモアにとってはその威力はそこそこにしか感じられなかった。


「はっ……所詮は人間の魔法か」


 感じたのは落胆だった。


「……この程度でこの私と戦うつもりだったのか?」


 落胆。そんな自分の感情にふと驚いてしまった。落胆などという感情を人間に対して抱いたことがブラックモアには信じられなかったのだ。

 人間など取るに足らない、敵にすらならない下等生物だと思っていたはずなのに。


「ああ、そうか」


 脳裏にはあの日の戦いが鮮明に蘇る。大魔導ベルベットとの戦いが忘れられないのだ。あの血の騒ぐ戦いをもう一度出来ることを待ち望んでいる、そんな自らの欲求にブラックモアは気づいた。


 だが、その瞬間 ――


 遙か頭上で魔力が一点に集中しているのを感じ取った。目を見開く。


「この魔力……」


 砂埃で視界が塞がれ何も見えない。


「……この小娘、まさか」


 ブラックモアは障壁を纏ったまま岩石や土砂をはね除けて、上空に飛んだ。思わずその口元が緩む。


「ふっ、はははははは!」


 心底、戦いが楽しみで仕方ないという笑い声が零れていたのだった。

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