第24話 慰問1
翌日の早朝、辺境伯と俺はルーナを迎えに上がるため宿泊所の前まで来ていた。
行きの馬車の中で聞いた通り、今日はこれから瘴気の被害で倒れた人達の慰問へ向かうらしい。もう少し寝ていたかったが
慰問にはストラマー辺境伯も同行するようだった。王女が慰問に向かうのにその地の領地の主が赴かないわけには行かないのだろう。
その内に護衛の騎士やシアンさんをぞろぞろと連れてルーナが現れた。
「……おはようございます。殿下」
「ええ。おはようございます」
「……昨日はお休みになれましたか?」
「はい、とても。ああ……それと」
ルーナはこう続けた。
「――昨晩は素敵なおもてなしをありがとう。お陰でよく眠れました」
「……っ」
なんだろうこの違和感は……。何だか雰囲気がピリついているような気がする……。
いや、やっぱり気のせいだろう。俺の考えすぎだ。
……ん?
そんなことを考えていたらシアンさんがこちらをじっと見ているのに気づいた。
――何というか……潰れた虫でも見ているかのような、憐れみの目だった。
彼女は俺がルーナのそばにいるのが嫌で俺を目の敵にしていたはずだが……。実際行きの馬車では俺がルーナと話すだけで邪気を放っていたというのにどうしたのだろう。俺、何かしたっけな……?
俺は心にモヤモヤとしたものを抱えつつ馬車に乗りこんだ。
*
たどり着いた先は教会だった。真っ白の塔のような建物で、てっぺんの大きな十字架が目を引く。
この世界の医療は魔法による治療が主流だ。僧侶は回復魔法や薬草の知識などが求められ、教会は医療機関としての役割を兼ね備えている。
当然、瘴気の瘴気の被害者達も各地の教会で治療を受けている。
今回はここで治癒を受けてる人たちに声をかけて回るようだ。
門の前で立派な顎髭を蓄えた老齢の男が馬車から降りた俺達を出迎えた。黒い服に十字のネックレス。いかにも聖職者といった風貌だ。
「久しぶりですね。司教」
ルーナが先んじて老人に挨拶をした。この司教とは面識があるらしい。恐らくは以前にも慰問で訪れたことがあるのだろう。
「今回も遥々ご足労いただき大変有り難うございます。王女殿下」
「いえ。苦しむ民を放ってはおけませんから」
「殿下の民を想う優しさには感服いたします。どうぞこちらへ」
司教に先導されて俺達は教会に入った。
「見ての通りの惨状です」
「地方の小さな教会では人手も病床が足りなくなり、このあたりで最も大きいこの教会が患者を迎え入れ出したのがついこの間のことです。ですが半年もしないうちにここも満員になってしまいました」
「…………」
「王都から派遣されたシスターが頑張ってくれてはいますが、それでも人手が足りておりません」
大聖堂の講堂は本来は祈りを捧げたり説教を聞いたりする場所。だが、そこに病人たちが床に所狭しと横たわっている。状況がいかにひっ迫しているかが見て取れる光景だった。
ルーナは深刻そうな顔で辺りを見つめている。
――その時講堂に甲高い声が響いた。
「司教様っ! この人がお母さんとお腹の子を助けてくれるの?」
その声の主は五歳くらいの小さな女の子だった。
彼女の側にいたシスターのもとから離れて床に並ぶ病人の間を縫うようにしてこちらに駆け寄ってくる。
「ちょっと! アリシア!」
シスターが慌ててアリシアと呼ぶ幼女を追いかけようとする。だが、小さな体で床に寝る病人の間を素早くすり抜ける彼女には追いつけない。
「司教殿? これは?」
辺境伯が司教を詰める。
「もっ、申し訳ありません。何分まだ幼く礼儀を弁えていないものでして……」
司教が慌てて腰を深く折って彼女とルーナの間に割って入る。
王族に対して平民がこのような口を聞くのは大罪。本来であればその場で首を切られても文句は言えない状況だ。その焦りは相当なものだろう。
空気が張り詰める。
「構いません。アリシアと言いましたね? あなたのお話を聞かせて下さい」
ルーナはロングスカートをお尻の方から手を回しつつ、そのまましゃがんだ。背の低い彼女に目線を合わせたのだ。どの様子を見た司教は黙って身を引く。
「えっ、えっと……王女様……ですか?」
幼いアリシアはクリクリとした目でまっすぐルーナを見つめる。
「はい。そうですよ」
俺が見てきたルーナからは想像も出来ない優しい声音だった。怯えさせないように配慮しているのだろうか。
「あのっ、お母さんとお腹の子を助けて下さいっ!」
「……あなたのお母さんというのはあの方ですか?」
ルーナが体を向けた先は、アリシアが最初に声を上げた場所。そこには痩せ細って青白い顔で仰向けに横たわっている女性がいた。
まぶたは閉じられていて深く眠っている。その腹部は丸く膨らんでいるのが遠目にも見て取れた。
「……このままじゃ、産むことが出来ないかもしれないって、司教様に言われてて……」
大粒の涙をポロポロと流すアリシア。
状況を理解した。
出産にはかなりの体力が必要だ。瘴気が引き起こす魔力欠乏症によって体力が奪われた状態では母体も胎児も出産に耐えられないのだろう。
いや、もしかすると既に胎児の成長が阻害されてしまっているかもしれない。
そうなるとお腹の子は、もう……。いや……それ以上は考えたくなかった。それはあまりにも残酷だ。
俺はどんな顔をしていいか分からなかった。
「本当に、ついこの前までお母さんは元気だったんです……。その時は、『いまお腹を蹴ったの』って言って大事そうにお腹を撫でて、子供が生まれるのを本当に嬉しそうにしてて……。それで、それで、『優しくしてあげてね、お姉ちゃん』って私に言ってっ……それなのに……」
アリシアは詰まるような声で必死に言葉を紡いだ。
自分の必死の思いがどうかルーナに伝わってほしい。ただそれだけで一杯一杯の様子だ。
「っ……」
――突如ルーナはアリシアを抱擁した。彼女は突然のことに驚いたのか目を見開き、小さな体を硬直させる。
「今までよく頑張りましたね。大丈夫。あなたは大丈夫ですよ」
小さな彼女の背中に手を回しポンポンとやさしく叩く。
そして彼女の目を見て言った。
「お母さんの所に案内してくれる?」
彼女はこくりと頷くと自分の母親の所まで向かった。ルーナはその後ろを彼女のスピードに合わせるようにゆっくりついていく。
「…………」
ルーナが母親の前で膝をついて手をかざすと、白くて柔らかい光がその体を包んだ。
「お母さんっ!」
見れば司教が驚いたような顔をしていた。
「お母さんは、これで助かるんですよねっ!?」
「…………」
その問いにルーナは目を見開いて沈黙。少しの間の後、申し訳なさそうな表情で答える。
「いえ……ごめんなさい、これは一時しのぎに過ぎないの」
「そ、んな」
少しの逡巡の後に発せられたルーナの答えにアリシアは眉根を寄せて俯き絶望の表情。母親もお腹の子の命もこれで助かった。そんな淡い期待はすぐに裏切られた。
「でも、さっきのは嘘じゃないわ。絶対に助けるから。ちょっとだけ時間を下さい」
「……ほ、んとですか?」
「大丈夫、大丈夫よ。あなたはきっといいお姉さんになります」
「ひっ、ぐすっ…」
泣きじゃくる幼女の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。
俺はそんな一部始終を後ろでただ見つめていた。
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