第26話 夕食

 教会に行った日の晩、夕食に誘われた俺は部屋まで迎えに来てくれた辺境伯に連れられて食卓へと向かっていた。

 イケメン貴族と一緒に長い廊下を歩く。王宮に比べると大したことはないが、ごく普通の二階建ての一軒家に住んでいた俺からすれば桁違いに広い。さすが貴族の家というべきか。

 たどり着いたのはさっきの客間に比べると格段に広い部屋だ。目を引くのは無駄に長いテーブル。純白のテーブルクロスの上には高そうな食器やらが置いてある。


「さあ席にどうぞ」


 その端に向かい合う形で着席。どうも広くて落ち着かない。


 横からメイドが出てきた。黒髪ショートで真面目そうな感じ。シアンさんには劣るが割と美人。性格も考慮すると圧倒的にこちらのメイドさんとお付き合いしたいところだ。

 そんなアホな事を考えていると、彼女がこちらをチラチラとこちらを見てくるのに気づいた。先方からすれば自分の主人の前に座るのはやけに化粧の濃いメイド服の女。しかもゴツイ首輪をしている。そんな反応をするのも当たり前である。


 だが特に何を言うでもなく、淡々と仕事をこなす。


 目の前にご馳走が並べられていく。肉、サラダ、パン、スープ、温かい食事。


 最高だ。目を見開いた。こっちの世界に来てからというもの干からびたパンのようなものしか食べていない俺にとっては救いにも等しい。


 俺は黙って辺境伯の目を見つめる。食べていいんですか、と視線で問うた。それに彼は微笑みで応じる。


「どうぞ召し上がって下さい。私も一緒にいただきます」


 ぺこりとお辞儀だけして食事に手を付ける。うまい。暖かいスープが身にしみる。また泣いてしまいそうだった。久しぶりにお腹いっぱいでぐっすり眠れるかも知れない。

 貴族の食卓だ。本当はテーブルマナーなどがあるのだろうが、そんなの知ったこっちゃない。ああ、うまいうまい。

 むしゃむしゃがっついて食べていると、辺境伯がさっきのメイドさんを呼んで俺に言った。


「このワインは滅多に流通していないのですが、前に飲んであまりに気に入ったものですから、商人から特別に融通してもらっているんですよ。いかがですか?」

「…………」


 お酒か……。俺まだ未成年なんだけどな。父はサラリーマン、母は専業主婦のごく一般的な家庭であり、ごく普通の倫理観の中で育ってきた。何が言いたいかというと、未成年なのに酒を飲むのに抵抗があったのだ。


「ここだけの話、これは王女殿下にはお出ししてないんですよ? でも、ソフィアさんは特別です。内緒ですよ?」


 人差し指を口に当てつついたずらっぽい笑みを浮かべてみせるイケメンはいつも以上にイケメン。


 どうしようか……。


 ここは日本じゃないのだから酒を飲んでも違法にはならないなどと心中で言い訳しつつ、グラスに口を付ける。ちょっと悪いことをしている感じ。


 ごくり。


 渋みがすごい。ぶどうジュースとは全然違う。そして後から喉がじんわり温かくなる感じ。これが酒か。


 もう一口。ごくりごくり。


 しばらく食事を続けていると何だか尿意を催してきた。アルコールは利尿作用があるとどこかで聞いたことがある。

 エルダートレントとの戦いやシアンさんに殺されかけたとき、失禁したことを思い出した。今回は何としても漏らしてなるものかと腹に力を入れ、膀胱をキュッと締めた。


 女装メイドは話せないという設定のため、イケメンも気を遣って食事中に語りかけることはない。しばらくの間は一人で尿意と格闘していたが、いよいよ我慢ならない。


『あの、お手洗いをお借りしたいのですけど』


 文字でそう伝えてみせる。


「そ、そうでしたか。気づかずにすみません。メイドに案内させましょう」


 辺境伯が呼ぶとさっき配膳をしてくれたメイドさんが出てきた。


「こちらです」


 俺は彼女の後をついて食卓を後にする。


「「…………」」


 メイドさんと俺の間に会話はない。


「あの……」


――トイレへと案内されている途中に前を歩くメイドさんに声をかけられた。


 まさかメイドさんから声をかけられると思っていなかった俺は肩をびくつかせる。


「どういうつもりでここに来られたのか分かりませんが、早くこの屋敷を出て行かれた方がよろしいと思いますよ」

「……?」


 どういうことだ? その時の俺には彼女の発言の意図がよく分からず深く尋ねることもしなかった。それよりも迫り来る尿意の方が俺にとっては重大な問題だった。


 だが数日後、俺はその選択を大いに後悔することになるのだった。



 事件が起こったのは、いつもどおり辺境伯と一緒の食卓で朝食を終え、部屋でゆったりと過ごしていた時のことだ。

 レーナードに滞在して四日が経過した。辺境伯邸での暮らしにも慣れてきたところだ。


 昼間はルーナ達と合流してあちこちの教会に慰問に向かい、それ以外の時間は基本的に屋敷に与えられた自分の部屋でマッタリする毎日。

 最初はどうなることかと思ったが正直、今の生活はかなり快適だ。最初に閉じ込められた王城の地下牢や道中の馬車なんかと比べると居心地は雲泥の差。

 毎日まともな食事が食べられる。うんこを隅に放置して悪臭に耐えながら生活する必要も無い。辺境伯も自分にかなり親切にしてくれている。お風呂も来賓だからと貸し切りにしてくれるので女装がばれないようにと、あれこれ考える必要もないのも有り難い限りだ。


 辺境伯と一緒に行くように口添えしてくれたルーナにはむしろ感謝。


 おかげで久しぶりに気分がいい。栄養失調気味でこけていた俺の頬も、もとの膨らみを取り戻しつつある。家に帰れる手段もないしいっそのこと、ここに住みたい。少なくとも地下牢だけは勘弁してほしいところだ。


 そんなことを考えつつ廊下を歩いていると角からぞろぞろと女性達が現れて行く手を塞いだ。見る限り数十人ほど。そして俺を大勢で取り囲んできた。


「っ………」


 何だ……?


 俺は突然の事態に思わず肩をびくつかせてしまう。


 つかつかと前に出てきたのは大柄の女性。男子高校生として平均的な身長の自分よりも頭一つ高く、見下ろすようにこちらを見る。


 目を引くのはその二の腕。ドレスの上からでも分かるが太い。絶対この人、腕相撲とか強い。


「おい、ちょっと面貸せよ」


 低い声。明らかな敵意だった。怖い。


『誰ですか、あなた達は?』と問おうとした。だか、喉を震わす前に自分は今喋れないのだと気づく。物理的にではなく状況的にだ。


 くそ。いちいち不便な設定だ。それもこれもあの性悪王女が大勢の前で適当なことを言ったせいだ。


「口をきけないというのは本当だったのか」


 何も答えられないので俯く他ない。客人である俺の部屋の近くは人払いがされているためこのやり取りが屋敷の他の人の目に触れることもない。


「来なさい」


 パワー系に腕を引っ張られて庭へと連れ出される。


「肩幅なんかは悪くないようだけど私に比べれば全然だな」


 足で踏ん張っても力で彼女には叶わない。異世界のムキムキ女と現代日本のモヤシ男では勝負にすらならなかった。為す術もなく彼女の圧倒的腕力にズルズルと引きずられていく。その他の面々も後ろからついてきた。


 連れて行かれたのは屋敷から外に出た庭の倉庫のような場所だった。中には剪定の為のハサミやらハシゴやらがそこらに立てかけてある。


 バタンと扉が閉じられた。


 さっきのパワー系女子が俺の方を向き直る。周りの女性達も動揺してこっちを睨み付けている。


「なあ、お前」


「――私のヘンリー様に何、色目使ってるんだよ?」

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