第18話 ストラマー辺境伯2

 俺達はストラマー辺境伯の馬車に乗って当分の宿となる宿泊所まで向かうことになった。まあ、俺はそこには泊まれないんですけどね……。


「…………」


 馬車の中で俺は顔を伏せて縮こまっていた。隣にイケメン貴族が座っているからだ。あれよあれよと流されるままに女装メイドは辺境伯の隣に座ることになってしまった。俺の横に辺境伯。その対面にルーナ。そして横にシアンさんが座る並び。辺境伯がいるせいでルーナやシアンさんに真意を問いただすことができないのがもどかしい。


 マジでどういうつもりだ、と対面のルーナを睨んでいたら……。


――その横に控えたシアンさんと目があった。


 ひっ……こちらを凝視している。あの目はもう人間を辞めたとしか思えない。思わず殺されかけた記憶がフラッシュバック。乾きかけたパンツをまたもや濡らしてしまう。ああ、頼むから殺さないで下さい、お願いしまします、何でもしますから……。


 それから俺はずっと窓の外を眺めていた。



 そうこうしている内に馬車は街の中心部までやって来た。そして周囲の建物に比べて一際立派な建物の前で馬車が止まった。


「ありがとうございます」

「いえ、わざわざ来て頂いたのです。むしろ毎回十分なもてなしが出来ず申し訳ない限りです」

「そうでしたね、今回の慰問で四回目になりますね」


 今回の名目上の目的は瘴気の被害にあった民のための慰問。それでルーナは慰問のためにレーナードを何度か訪れていたことは聞いていた。


「民のためならば容易いことです」

「殿下の心意気、感服いたします。ですが、今日は夜も遅いのでお休みになって下さい」

「ええ、そうさせて貰いますね」

「私はここで失礼しますね」

「ごゆっくり。うちのメイドを十数名付けてますからご用があればお声がけ下さい」

「ありがとう。ソフィアのことは頼みますね」

「はい、もちろんです」


 ルーナとシアンさんはペイス隊長を含めた護衛の騎士達と宿泊所の中に消えていった。



 ストラマー辺境伯の屋敷は宿泊所に隣接するように建てられていた。中は極めて豪華絢爛。王城と比べても遜色ないくらいに立派な屋敷だった。


「さあ、楽にしてくれ」


 イケメンはデスクの上から紙とペンを取り出した。椅子にかける女装メイドの前にそれらを置く。


「文字は書けるかい?」

「…………」


 黙って『はい』と書く。街に立っていた看板やルーナの持っている本を見て、この世界では日本語が使われていることは分かっていた。今まで出会ってきた人の外見は日本人というよりもヨーロッパ系に見えた。それなのに彼らは流暢に日本語を使うのだから違和感も甚だしい。まあ、エロゲの中の世界と考えれば当たり前ではあるが。


「すごいな。君は頭がいい」


 普通、文字くらい書けるだろうと思ったが、もしかするとこの世界では庶民の識字率が低いのかもしれない。だとすればこの反応も納得がいく。設定がガバガバなくせに変なところで忠実なエロゲ世界である。


「何か困ったことがあればここに書いてくださいね」


 ああ。そういうことか。渡された紙とペンの意味が今、分かった。言葉の話せないという俺のために意思疎通の手段を用意してくれたのか。


 優しいな。


「っ……」


――涙が頬を伝った。


 あれ? なんだこれ? 目から水が……。俺、どうしちゃったんだろう?


 それを見た辺境伯は黙ってハンカチを差し出した。


「お茶を入れて来ますね」


 気を利かせたのか部屋を出て行く。


「…………」


 客間でひとりきり。窓の外にはよく手入れのされた西洋風の庭園が見える。


 さっき自分はどうして泣いてしまったのだろう。


 困ったことがあれば紙に書いてくれ、とイケメン貴族は俺に言った。


 あります。とても困っています。なんで俺、ここに連れてこられたんですか? ここで俺はどうしたらいいんですか? というかもう現実世界に帰りたいです。俺は異世界でチートで無双してハーレムしたかっただけだ。こんな怖い思いしてストレスに押しつぶされそうな毎日は望んじゃいない。帰る家があって、両親がいて、学校から帰れば暖かい食事を用意してくれて暖かい布団で寝ることが出来る。出来ることならそんな平凡で幸せな生活を返してほしい。 


 本当はそんな恨みつらみを書いてしまいたかった。ルーナやシアンさんと離れてなんだかホームシックになってきた。センチメンタルな気分だ。


 感傷に浸りつつ渡してくれたハンカチで頬を伝った涙を拭く。


――化粧がべったりとハンカチについた。


「やばっ」


 化粧が取れている。これはまずい。感傷に浸っている場合じゃない。早く直さないと俺の女装が辺境伯にバレてしまう。


 ポーチから化粧道具を取り出した。これはシアンさんから事前に持たされていたものだ。手鏡やらブラシやら謎の白い粉やらを駆使して必死で化粧を直す。


 行きの馬車の中でも、自力で何度か化粧直しをしようと悪戦苦闘していた。だが、化粧に関してはズブの素人の俺では化粧直しもままならない。結局シアンさんから手ほどきを受けつつ、少しづつ上達。それなりに様になってきた。いや、異世界に転移して成長したのが化粧のスキルってどういうことだ……。


 化粧直しが終わったタイミングでイケメン貴族が客間に戻ってきた。ティーカップを俺の目の前に置く。


「どうぞ。少しは落ち着きましたか?」 


 紅茶の香りが鼻をついた。化粧は何とか間に合わせることが出来て一安心。


『申し訳ございません。すこし故郷のことを思い出していました』


 紙に書いて見せる。嘘は言っていない。


「そうでしたか。ここに来られるまでどんなことがあったのでしょうか? ぜひ私にお聞かせ下さい」


 ストラマー辺境伯との問答は続いて夜は更けていった。

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