第3話 豹変


「えっ……」


 俺は思わずルーナから距離を取った。

 どういうことだ?

 それだけではない。微かにこの首輪の見た目に既視感を覚えていたのだ。


 ――服従の首輪。


 これは俺のプレイしていたエロゲ内でルーナのパラメータがある条件を満たすことでたどり着くエンディングの一つ。そこで登場する代物だ。


 確か――


『お目覚めかしら?』

『……ルーナ、これは君がやったのか? 昨日の夜、僕は君に話があるといって部屋に呼ばれて、そこから記憶がないんだが……』

『この首輪はね、あなたと出会う前から時間をかけて作っていた物なのよ? いつか誰かにこれを付けたらどんな反応をするだろう、なんてずっと妄想してた』

『やっ、やめて!……』

『ふふふ、素敵。あなたのその怯えた表情、期待以上よ』


 ルーナは主人公の頬をそっと撫でる。そしてその後、ルーナに徹底的に苛められた主人公はマゾ性癖を開花させて……みたいな。


――お分かりだろうがルーナはマゾ男向けのヒロインなのだ。


 これが俺がルーナを好きではなかった理由だ。

 残念ながらマゾの性癖はいっさい持ち合わせていない。

 三十代、四十代のおっさんであればまだ違ったかもしれない。若い女の子に苛められて興奮することが出来たのかもしれない。

 だが、俺はまだ若い。甘酸っぱい恋愛からのラブラブエッチが現実でもエロゲでも至高だとまだ信じているのだ。


 まあそれはともかく。この首輪は見た目があの服従の首輪にそっくりだ。だが、確信には至らない。恐る恐る尋ねる。


「なん、ですか? これ」

「服従の首輪。首輪を付けられたものは首輪の持ち主の命令に逆らえないの」


 マジかよ……。


 ドンピシャだった。全く嬉しくない正解である。

 ルーナの声は先程より一段低く思える声だ。さっきの態度は猫を被っていたらしい。


「どうして……」

「まずアンタ、勘違いしてるみたいだけどアンタに力なんてないわよ」

「……え?」

「魔力もない。筋力もない。アンタに戦う力なんてあるわけがない。まさか王国を救うなんてちゃんちゃらおかしいわ」

「いや、でもさっき俺には王国を救う力があるって……」

ルーナは確かにそう言っていた。尋ねると彼女はクツクツと笑い声を上げ始めた。

「ふふふっ……ははっ……ああ、それね。嘘よ」

「は?」

「アンタが騙されやすそうだったから、ちょっとだけからかってみただけ。騙されるアンタが悪いのよ?」


 心底馬鹿にしたように鼻で笑うルーナ。


「とにかくアンタは今日から私の奴隷ってことよ。無能のくせに私の奴隷になれるなんて幸せ者ね、山本」


 そう言ってニィと邪悪な笑みを浮かべる。

 嘘だろ。俺はルーナの演技に騙されていたということか? 浮かれて期待していた俺が馬鹿みたいじゃないか。


 呼び方も山本になっているし……。ユウマ様はどこに行ってしまったんだ。


「…………」


 ルーナの言葉を聞いて俺は沸々と悔しさと怒りが湧き上がるのを感じていた。


「お、おい……ふざけんなよ!」


 気がついたら声を上げていた。


「勝手に連れてきておいて、こんなの勝手すぎるだろ!」


 異世界に来てチヤホヤされると期待していたら、まさかの奴隷扱い。勝手に召喚しておいてこの仕打ちだ。今文句を言わなくていつ言うのか。

 俺は思わずルーナに詰め寄る。


「元の世界に帰せよ!」


 たが、ルーナと目があった瞬間――首が絞まった。

 遅れて目の前の女が首輪を魔法で操作したのだと気づく。


「っ……がっ……」


 苦しさ。苦しい。苦しい。


 力なく膝をつく。指を首輪と皮膚の間に潜り込ませて何とか隙間を確保しようともがく。


「キャンキャン煩いわね」 

「あまり近寄らないでくれる?」


 血走った目に涙を浮かべて俺はルーナを睨み付ける。


「もう一度言うわね。あなたは私の奴隷。口答えは許さないから」


 そうしているうちに首輪は元のゆとりを取り戻していた。


「はぁ……はぁ……」


 口の端から溢れた涎を拭う。


「……? 何のつもりだ?」


 首絞めから解放され四つん這いの体になっていた俺に、何を思ったか素足を差し出してきた。毛やほくろの1つもない白くて綺麗な足だ。


「ほら、舐めなさい」

「は、はあ?なんで俺がそんなこと……」

「服従の誓いよ。いい加減に黙って言う事を聞いたらどう?それともまた首を絞められたいわけ?」

「…………」


 俺は屈した。


 ルーナの足を手に取り恐る恐る舌を沿わせる。少し酸っぱい匂いがした。静寂の中でピチャピチャと水音が響く。


「ちゃんと指の間も舐めなさい」

「…………」

「あはっ、いい気味ね」

「んっ……」

「もういいわ」


 そういってルーナはさっきまで山本が舐めていた左足で俺の頭を踏みつける。


「がっ……」


 痛い。顎を床に打ち付けた。舌を噛まなかったのは不幸中の幸いだ。


「どうして俺を召喚したん……ですか?」

「知らないわよ。こっちが聞きたいわ。さっき言ったように王国に伝わる書物にあった召喚魔法を使ったの。なぜかアンタが出てきたのよ」

「…………」

「魔法陣の上で気絶してるアンタを見て愕然としたわ。期待外れもいいところよ。魔力も感じられないし、なんなの、そのもやしみたいな体は? そんなんじゃ、王国の兵士どころか、その辺の一般人にも負けるわ」


 言いたい放題だ。


「本の解読も大変だったのに……本当にどうしてくれるのよ……」

「あの……だったら、元の世界に返してくれませんか?」

「ああ。それは無理」

「えっ……」

「召喚は一方通行で、もとの世界に返す方法なんて知らないわ」

「…………」


 もとの世界に帰ることが出来ない。絶望に打ちのめされる。


「本当はアンタは殺すつもりだったの。役立たずだから。でも気が変わったわ。壊れるまで遊んであげる。精々奴隷として天命を全うなさい」


 俺はこの糞女に服従して一生をこの牢の中で過ごすのだろうか。そんなの絶対に嫌だ。


 くそ、こんな女の思い通りになってたまるか!


 足りない頭を必死でフル回転させて考えを巡らせる。何か打開策はないだろうか。ルーナ・バズコックスが自分を召喚した理由。ゲームのシナリオ。この国を取り巻く情勢。


「…………」


 そして一つの可能性を見い出した。


 一か八か。上手くいく保証もない。ただの一時しのぎにしかならないかも知れない。それでもこのままでいいわけがない。自分の生存の道は自分で切り開かなければならない。


 俺は覚悟を決めて切り出す。


「あのっ!」


 わざとらしく不敵な笑みを作るのも忘れ無い。


「――この国を救えるって言ったらどうしますか?」

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