『テンガチ探検隊』5/5

 威嚇的な雷鳴の音で目を覚ましたテンガチは、がばりと身を起こした。突いた手のひらから、柔らかい感触が伝わってくる。

「これは……フトンに……タタミ?」

「ほう。よく知っているな」

 薄い光が差し込む障子戸を背に、ひとりの男が胡座をかいていた。泉の底にいた男だ。短く刈られた灰色の髪。刻み込まれたように深い皺の数々。いまは裸ではなく、黒い装束を着ている。

「私は助かった、のか……ここは……」

「我々の里だ」

「サト……スカイ、スカイは?」

「まずは己の心配をしろ。尋問が済んだら教えてやろう」

「尋問……あなたたちは一体」

「儂の名はテンマ。この里の頭領だ。お主も名乗れ」

 落雷。テンマと名乗った男の目が鋭く光った。この男は容赦なく邪魔者を殺す意思と力がある。そう感じたテンガチは、言葉を選びながら口を開いた。

「テンガチ……テルル生まれのドワーフ。探検家です」

「もうひとりの男との関係は」

「わ、私が雇った男で、名はスカイ。ダーム王国のサイオニックで……まだ若くて世間知らずで空気も読めませんが、根はいい奴なんです! 幼いころに苦労して……それに念写の腕がピカイチなんです。お願いです! 助けてやってください。彼は無事なんですか」

 テンマが「待て」のジェスチャーで制して、顎をさすった。

「ふむ。サイオニック。死鴉しがらすの連絡通り……」

「カラス?」

「……で、これを記したのはお主だな? 荷物をあらためさせてもらった」

 タタミに置かれた一冊の書物は、テンガチ出版の6作目『秘境! 火吹き山のオーガ族に迫る』だった。いつでも配れるようバッグに入れてあったものだ。サイン入りである。

「ええ。そうです。探検家としての記録……何年か前の物ですが」

「なかなか興味深い内容だった。自慢話が少々鼻につくが……探検家と名乗るのも嘘ではなさそうだな。挿絵の念写も見事なものだ」

「差し上げます。宜しければ」

「ほう、では頂こう。里の若い者が世界を知るのに良い……。で、お主は何故あの泉に」

「メンデレー王国の、王妃に、調査を依頼されました」

「業突く張りのメンデレーめ。調査とは?」

 テンマは眉間に皺を寄せて、威圧的な声で尋ねた。

「ま、幻の……ドゥッシーを求めて」

「ドゥッシー? 何だそれは」

 テンマの片眉がクイ、と上がる。テンガチは、順を追って経緯を説明した。


◇◇◇


「成程。くだらぬ法螺話に踊らされたということか。……よいか、お主があの泉で見たのはただのツナだ。ドゥッシーなどという生き物ではない」

「エッ? ……ツナ? ツナって、あのツナですか?」

 テンマは無言で頷いた。

「でもツナは海の……」

「淡水で育つツナもいる」

「そう……なん、ですか。ツナ……。ツナにしては大きすぎませんか」

 テンガチの知るツナは、大きくてもドワーフの2倍か3倍程度だ。だが泉でみたアレはゆうに5倍はあった。テンマは神妙に頷いて、他言無用と念を押してから続けた。

「確かに巨大なツナだ。だが品種としてはごく普通の淡水ツナだ。あの泉にはそういう効果がある。我々はあそこに稚魚を放流し、大きくなったら捕獲している」

「それは……つまり」

「そう。あの泉は我々の養殖場だ。自給自足の我々にとって、ツナは貴重な栄養源。かつては地上の池で育てていたのだがな……。目的はそれだけではない。捕獲を兼ねて心肺能力を鍛え、水中戦闘の訓練も行っている。お主も見ただろう?」

「養殖場……水中訓練……」

「あの泉を独占するつもりはない。だが看板の警告を無視する不届者は始末せねばならん」

「そんな、私は……そんな意味だとは」

「意味がわからなければ無視しても良いと申すのか?」

「い、いえ、そんなことは」

「お主は運が良かったな。あの看板は、何も知らぬお主のような輩の命を守るためのものでもある。素潜りでもしようものなら、我々が手を下さずとも大半はツナの突進で死ぬのだからな……カカッ」

 テンマが笑う。テンガチの背筋に冷たいものが走った。

「私は……生きて帰れるのですか」

「本来ならば、理由はどうあれ儂の顔を見た者は始末せねばならんのだが……下忍の昇格試験に夢中になり警戒を怠っていた儂にも非がある。他言しないと誓えば生きて帰そう」

「え、あ、ええ……ハイ」

 テンガチは顔を曇らせた。テンマはそれを見逃さなかった。

「ふむ。依頼主の機嫌が気に掛かるか。心配しなくてよい。お主に害を成さぬよう釘を刺しておく」

「え? あ、はい。それなら……わかりました」

「よし。話は終わりだ」

「待ってください! スカイは」

「無事だ。さあ、腹が減ったろう」

 テンマがパン、パン、と手を叩くと障子戸が音も無く開き、黒装束に黒頭巾の人物が四角い膳を運んで来た。障子の隙間から覗く外の景色は、かつてヴィ・フェンで見た庭園に似て美しかった。

「口に合うかどうか分からぬが、ツナはこうして食べるに限る」

「スシ……はは、こりゃ美味そうだ」

 テンガチは糸が切れたようにフトンの上で大の字になった。


◇◇◇


「テンガチさん、オタッシャで」

「ああ。しっかり学ぶんだぞ」

「がんばります」

 一夜明け、荷物をまとめたテンガチはスカイと別れの挨拶を交わしていた。テンマの強い勧めにより、これから彼はこの里で修業を積むことになる。はじめは強く反対していたテンガチだったが、決めるのは自分自身だ、というテンマの一言と、楽しそうですね、と目を輝かせるスカイの生き生きとした顔を見て、考えを改めた。ダーム王国にも話は通すとのことで、心配もない。

 テンマの話によれば、サイオニックの超能力とニンジャの『ジュツ』と呼ばれる技は相性が良く、スカイにはどちも使いこなせる素質があるらしい。そして、いずれ到来する大陸の存亡を賭けた戦いにはスカイの存在が必要になるかもしれない……とのことだった。なんのことかはサッパリなテンガチだが、将来スカイが偉業を成し遂げるという見立てには共感できた。

「スカイ……」

 テンガチは神妙な面持ちでスカイの目を見つめた。

「ハイ?」

「私が泉で溺れそうになったあのとき、助けに来てくれたろう」

「ぜんぜんダメでしたけどねえ。やっぱり泳げなくて」

「いいんだ。礼を言っておきたくてな。ありがとう」

「今生の別れみたく言わないでくださいよ。また会えますよ」

「そうだな。私も探検家として修業を積みなおして、互いに立派になって……いつかまた一緒に探検しよう。必ずだ」

「ハイ。ボクも泳ぎの練習、しておきます」

 テンガチは目に涙を浮かべながら、無言で頷いた。スカイが腰を落として抱きついてきた。

「テンガチさんはすごい隊長です」

「お前……」

 向上心のない記録師だと決めつけてこき使ってきたテンガチは、忸怩たる思いで抱擁に応えながら、この才ある青年が大成するよう心の底から願った。

「では、これを」

 テンマが、黒染めの布をテンガチに渡した。テンガチはその布で目隠しを済ませてから、ニンジャに支えられて駕籠に乗り込んだ。

「お主の身に脅威が迫った時はドゥナイ・デンのバァバに相談するといい。我々が力になると約束しよう」

 テンマの声はよく通った。テンガチの大きな鼻になにかが近づけられた。甘い香りがして、テンガチは心地よい眠りと共に里を去った。

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