『ホビット vs ホビット』2/6

 店主の散髪の腕は、確かだった。セラドのざっくりとしたオーダーを的確に汲み取り、手遅れにならぬよう要所要所で確認を入れながら、あっという間に野性味あふれる短髪が完成した。

「やるじゃねーか」

 鏡に映る横顔を左、右、左、右と確認して、セラドは素直に褒めた。

「へへ。恐れ入りやス。髭はどうしゃしょ? ふだん伸ばしてそうな部分は切り揃えて、あとは剃っちゃいやスかね」

「ああ、そうしてくれ」

 店主は鋏を小刻みに動かし、伸びすぎた無精髭を綺麗に整えてゆく。

「お気に召してくだスったようでホッとしやした」

「気に入ったぜ。元盗賊がナイフを鋏に持ち替えて、ってな」

「へへ、それは内密に……申し遅れやしたが、アッシはプヌーと申しやス」

「セラドだ。ホビットはここじゃ珍しいから顔も覚えとくぜ」

「そうなんスか? シーフの需要あるところにホビットあり、ダンジョンでも引っ張りだこなのかと」

「シーフはいるけど人間ばかりだな。ま、ホビットにゃ合わなかったんだろ。バケモノ相手に殺す殺されるってのが」

「まあ、アッシと違って、ホビットってのは温厚なヤツが多いスからね。畑いじりのほうが性に合うんでしょう」

 プヌーが自嘲気味に笑った。セラドは、いつも酒場で目にしている男を思い出した。

「あ、いるわ」

「はい?」

「この集落にもホビットが。酒場で働いてるぜ」

「へぇ……珍しいスね。同郷だったりして。名前はなんていうんスか」

「ヘップだ」

「……ヘップ」

「ああ」

「ヘップ、でスか?」

「知り合いか? お前のモジャモジャ頭をもうひとまわり膨らませたような黒毛の」

「ヘップ……!」

「あ? まさか親戚とか?」

「あ、いえ、そういうワケじゃねえっスけど……」


◇◇◇


「少し早いが食事にしろ」

「はい、お先です」

 皿洗いを終えたヘップは、厨房からフロアに出て、料理カウンターの前に設置されている小人族用の木箱に乗った。ドワーフのバグランが受け持つ酒コーナーと違い、料理コーナーのカウンターはホビットにとって高すぎる。

 ほどなくして、トンボが作ったまかないがカウンターに置かれた。受け取ったヘップは、いつものように、店の隅の2人掛けテーブルに向かう。


(トンボさんの料理は今日も美味しそうだなぁ)


 着席したヘップは、トンボの自家製パンをちぎって口に含み、店内を見まわした。今宵の客入りは良くも悪くもない。ダンジョンから帰還したばかりの4人グループが2組、テーブルを突き合わせて宴会を開いている。どちらも最近勢いのあるグループだ。今回はどこまで進んだか。どれだけ手強いモンスターを倒したか。どんなアイテムを手に入れたか。エールを飲み、肉を齧りながら、いつもと変わらぬ自慢話の応酬を重ねている。

 おひとり様は3人。常連のバァバは、特注の巨大ジョッキで今日もエールをガブ飲みしている。別のテーブルでは、鍛冶屋のバテマルが山菜とチキンのソテーを上品に食べている。自炊が中心の彼女だが、今日は週に1度の外食デーだとヘップは把握している。バーバリアンの巨体に対してあの量で満足できるのか、といつも疑問に思う。3人目の客、賭け狂いのバードはカモが見つからないようで、暇そうにリュートを弾いている。そのバード……セラドがニヤニヤとこちらを見ているのが気になる。

 視線を合わせないように野菜スープを啜っていると、誰かが入り口のスイングドアを突き飛ばす音が響いた。こういう音のあとは、だいたい揉め事が起きる。ヘップは目を伏せたままパンをちぎり、スープに浸す。ヅカヅカという足音は怒りの表れか。その足音が、なぜか真っすぐこちらに近づいてくる。ヘップはゆっくりと視線を上げて、目の前に立った男の顔を見た。

「……プヌー?」

「ヘップ……!」

 険しい表情のプヌーに胸倉を掴まれ、無理やり立たされた。客の視線がふたりに集まり、セラドのリュートが激しい曲調へと変わる。

「見てのとおり食事中なんだ。終わったらまた仕事。話はあとにしてくれないか」

 ヘップは胸ぐらを掴まれたまま、冷ややかな目でプヌーを見返した。

「なんだとこの……! 殺してやる!」

 激昂したプヌーがヘップの喉元にナイフを突きつける。ヘップはピクリと眉を動かし、わずかに目を細めて言った。

「オイラを殺したってなにも変わりゃしないよ」

「ふざけるな! オメーのせいでナモンの団は……!」

「解散したのか。でもそれはオイラのせいじゃない」

「なっ、他人事みたいに言いやがって! オレは見たんだ! オメーが……」

「落ち着けプヌー、この店で流血沙汰はダメだ。このまま続けるならオマエは死ぬし、血で汚れた床を掃除するのはオイラだ」

 ヘップはプヌーに目配せした。プヌーはその視線を追って振り返り、小さな悲鳴を上げた。背後に立っていたトンボが、カタナの鍔を指で押して刃をわずかに覗かせる。


(トンボさんの身のこなしはやっぱりすごい……)


 危険を察知する能力に長けたホビットのなかでも、プヌーのそれは一流。気づかれずに背後を取るのは至難の業だ。

「あ、いや、あの……」

 トンボの目が鋭い殺気を放つ。狼狽えたプヌーがナイフを鞘に戻した。

「他の客に迷惑だ。私の店の従業員に何か用か?」

「よ、用……そう、そうだ。ある! コイツに! この外道によ!」

 正義の旗は我にあり、と言わんばかりにプヌーは大声で叫んで、

「コイツは人殺しだ!」

 とヘップを指さした。

「人殺し?」

 トンボが眉間に深い皺を刻み、ヘップの反応を伺った。ヘップは口を噤んだまま、目を伏せて皿の上のパンを見つめた。

「ホラ見ろ! 言い返さない、言い返せないんだ!」

 プヌーは店内の全員に聞こえるように、さらに声を張り上げた。

「このヘップって野郎はアッシの親同然のオヤブンを殺したんだ! 自分だってガキの頃からオヤブンに育てられたくせに! そのオヤブンを殺したんだ! 親殺しだ! だからアッシはこうやっ」

 ダン! とテーブルを叩く音がプヌーの言葉を遮った。セラドの演奏もピタリと止まった。全員の視線を集めたのは……バァバだった。

「こぼれちゃった」

 バァバはぼやいて、巨大ジョッキを持って立ち上がった。店にいる全員がその様子を黙って見守る。バァバは歩いて……カウンターに向かって……おかわりを注文した。おかわりを待つバァバが、横目でプヌーを見た。ゴミや害虫を見るような目……ヘップの危険察知能力が反応する。

「ピーピーパーパーうるさいねぇ……。みんな聞いてください、コイツは悪い男なんです、大切な人を殺したんです、オヤブンがオヤブンオヤブンブンブンブンブン……。それがなんだってんだい? ヒトサマの店で喚き散らしていい理由になるのかい?」

「え? あ、いえ、そういうわけじゃないっスけど……」

「じゃあどういうワケさ」

「どういうって、えっと……」

「ヘタクソな言い訳するんじゃないよ。本気でるなら夜道でブスリとやりゃいいのさ」

「貴重な働き手が死んだらウチが困る。ほら、満タン」

 バグランからおかわりを受け取ったバァバは、その場で喉を鳴らしてエールを呷り……豪快なゲップを吐いた。

「ヒヒ……じゃあ決闘するといい。決闘。楽しそうじゃないか。準備はアタシに任せておきな」

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