『ホビット vs ホビット』3/6
快晴の空の下、正午間近のドゥナイ・デン北東エリアに野次馬ハンターたちが集まりはじめていた。
「中に入るのは初めてだぜ」
目の前の壁を見上げながら、セラドは胸を躍らせた。厚さは不明だがいかにも頑丈そうな木板……1枚あたり目測で高さ5メートル、幅30センチほど――を隙間なく横一列に打ち込むことで、強固な壁を作り上げている。左右を見れば、壁は途中でカーブを描いて視界から消え、内側にあるという閉鎖された訓練施設をグルリと囲んでいる。知らぬ者が見れば、
「ワシもだ」
バグランも三つ編みの赤髭を撫でながら言った。
「へぇ? オッサンもお初か。意外だな」
「フン。こんな場所に用などないしな……トンボは1年ぶりか」
「思い出すだけで虫唾が走る」
話を振られたトンボが吐き捨てた。
この壁が作られた理由は、外敵から施設を守るためではない。内側で行われる非人道的な行為を隠すため……そして、内側に入った者を外側に逃がさないためだった、とセラドは聞いている。
訓練場。
ダンジョン発見の噂が大陸に広まりはじめた当時、どこかの成金が大勢の土木作業員を率いてやってきて、突貫工事で壁と施設を作った。ハンター養成のための訓練施設に加えて、寝食に必要な生活施設も整えられ、ダンジョンマスターズと名乗る10名の教官ハンターと、数名の警備兵が住み着いた。
成金オーナーがあちこちで宣伝したらしく、開設と同時に大陸全土から多くの素人がドゥナイ・デンに殺到した。一攫千金を狙う貧者、無知な力自慢、汚名返上を誓う三流貴族、暴力に飢えたゴロツキ、行き場のない罪人、匙を投げた親に無理やり連れてこられた問題児――など、など、境遇も種族もさまざまだった。彼ら彼女らは、「訓練料」という名目で金を、「私物の持ち込み禁止」という名目で所持品をすべて奪われ、監禁状態で訓練を受けた。教官の寝室とは天と地ほども差がある粗末な相部屋で寝起きし、当番制で食事を作り、掃除をし、1日の大半は理不尽にシゴかれた。
脱走や暴動を企てる者も少なくなかったが、教官らはダンジョンマスターと自称するだけあって実際それなりに強かった。反逆者は容赦なく拘束、懲罰され、幾人かは見せしめに殺された。
教官が繰り返し浴びせる暴力と罵詈雑言は洗脳に近い効果を与え、誰もが入所数日と持たずに従順になっていった。そして基礎訓練が終わると教官に連れられてダンジョンに潜り、文字通り捨て駒として扱われて死ぬのである。拒否権はない。運よく、もしくは才能を発揮して生還できた者も、後付けで背負わされた多額の借金を完済するまで繰り返しダンジョンに連れて行かれ、多くの者が死んでいった。
これらの実態は、教官らと警備兵が一夜にして全員殺害されたことで表沙汰になり、訓練場はわずか2か月で閉鎖された。
「時間通りだね……ヒヒ」
訓練場唯一の出入り口、重厚な大扉のまえで主役を待っていたバァバが、満足そうに呟いた。集まっていた十数名の野次馬ハンターたちは左右に別れて、ふたりのホビットのために道を開ける。
ヘップはゆったりとした黒地の布装備に加えて、黒く長いスカーフを首に巻いている。セラドは、腰のダガーに注目した。黒地の鞘に黄金の装飾が施され、柄は水晶のように透明。2本角を模した鍔は刃を受け止めやすいように湾曲している。酒場の使用人が持つような品ではない。
一方、赤いスカーフを首に巻いたプヌーは使い込まれた革製の肘当て、膝当てを装着し、胸掛けベルトに固定したダガーが1本。さらに腰ベルトには、投げナイフが何本も収められている。
「やっちまえ!」「ヘップ! 絶対勝てよ」
野次馬全員がニューワールドで世話になっていることもあり、ヘップに肩入れの声援が飛ぶ。
「理髪師も負けんな!」「オレの散髪がまだだぞ!」
熱戦を期待してか、プヌーを激励する声も負けていない。
両者がバァバの前で向き合った。ヘップのダガーをじろじろと見ていたプヌーが、
「オヤブンから奪ったソレ……売り飛ばさなかったことだけは褒めてやるよ」
と言ってヘップを睨んだ。
「おやおや……これはこれは」
バァバも琥珀色の左眼を輝かせて、値踏みするようにぎろぎろとダガーを見る。
「さっさとはじめませんか」
ヘップはふたりの視線を無視して、素っ気なく言った。
「ヒヒ……それじゃ、入ろうかね」
「ひとつ確認したい」
プヌーが待ったをかけた。大扉を開けようとしていたバァバが不満そうに振り返る。
「アー? なんだい?」
「ヘップ。オメーはこの中に入ったことがあるのか?」
ヘップは「ある」と短く答えた。
「よぉく知っている場所、ということか?」
「……まあ、ここにいたから」
「いた? オメーが、素人と、肩を並べて、訓練を受けていた?」
「そう」
「訓練なんて必要ないだろ。なんでだよ」
「いいだろ。理由なんてどうでも」
ヘップは目を逸らして会話を打ち切った。
「ふん……よくわかんねぇけど、地の利はオメーにあるってことだな」
「おや、ご不満かい?」
バァバが訊ねると、プヌーは薄笑いを浮かべて否定した。
「いや、問題ねっス。不利な条件でアッシが勝てばそれこそ完勝ってことでしょう?」
「アーそれはザンネン。アタシが決闘のために大規模で劇的な模様替えを行いました。徹夜でした。ふたりの才能にふさわしい形になりました……クク、クク」
バァバは小刻みに肩を揺らして笑いながら、枯れ枝のように細い腕で軽々と大扉を開けた。
「……なんもねーぞ」
主役ふたりの背後から中の様子を伺っていたセラドは拍子抜けした。興味津々の野次馬たちも一様に「どういうことだ」「なんだよこれ」と囁きあっている。
それもそのはず、完全な更地になっているのだ。曰くつきの施設、設備とやらはひとつもない。
ヘップとプヌーが、何かに気づいたかのように駆け出した。20メートルほど走ったところで立ち止まり、なにやら地面を見つている。
セラドは追いついて、唖然とした。
「おいおい、なんだこりゃ」
整地された地面が抉られて、塹壕のような溝が迷路状に広がっている。溝の縁に近づいて覗き込む。深い。バーバリアンがジャンプしてぎりぎり縁に届くかどうかという深さで、幅は人間なら4人は並んで歩ける余裕がある。迷路がどのような線を描いているのか全貌は掴めないが、通路に面して所々に小部屋があり、木製の扉で隔てられているのが見えた。これはまるで――
「天井の無いダンジョン」
先にヘップが呟いた。
「ヒヒ……アタリ。バァバ特製、青空ダンジョン」
遅れて駆け寄ってきた野次馬たちも騒ぎはじめた。バァバはしばらくその反応をニヤニヤと眺めていたが、パン、パンと手を叩いて視線を集め……宣言した。
「ン゛、ン゛! カーッ! ン! ……コホン。これより決闘をはじめる。ホビットでシーフのヘップ。ホビットでシーフのプヌー。両名、こちらへ」
「ヘップってシーフだったのか?」「理髪師もシーフ?」
ザワつくハンターたちをよそ目に、ホビット2名がバァバの前に歩み出た。
「ヘップくんの腕はどうなの、ナントカって盗賊団にいたって話だけどよ」
セラドは、トンボに囁きかけた。
「筋はかなり良い。日常の所作を見ている限りではな。だがあいつはダンジョンに潜らない。だから正確に評価することは難しい」
「へぇ、ダンジョン嫌いのシーフねぇ。アンタらがこき使うせいで潜るヒマも体力もねぇとか?」
「アホウ、なにも知らんやつが軽口を叩くな」
バグランが割って入った。
「じゃあ教えてくれよ。無知なオレが軽口でヘップくんを傷つけちゃいけねぇしよ」
「フン……。1年前、ここからただひとり脱出に成功したのがヘップだ。ヘップは助けを求めてワシらの店に飛び込んできた。この施設は音すら通さん結界を張る秘密主義でインチキ臭いとは思っとったが、実態は想像を超えるひどいもんだった。憤ったトンボがひとりで乗り込んで、抗戦した教官と警備兵を全員切り捨てた。成金は姿をくらまし、訓練場は閉鎖。ヘップはうちで働かせることにした。……優秀だったヘップは繰り返しダンジョンに強制連行されて、素人同然の訓練生が死んでいく光景を何度も目の当たりにしたそうだ」
「……重てぇ。聞かなかったことにしよ」
「そこ、黙ってな」
バァバに叱られ、セラドはおどけるように肩を竦めた。
「エー、ルールは単純。持ち込みは武器と、アタシが支給するカラッポのポーチだけ。道具類はダンジョンで調達。これだけ。あとは反則もクソもない。時間制限もない」
ふたりが黙って頷く。
「敗北条件はよっつ。エー、ひとつめ、死んだら負け。当然だね……ヒヒ。……ふたつめ、如何を問わず、決闘中にダンジョンから出たら負け。……みっつめ、これは重要。相手が先にコインを3枚揃えた時点で負け。あちこちに宝箱がある。そのうち3つに、コインが1枚入っている。宝箱の解錠に必要な道具はアタシが用意した。同じもの使ってもらう。ハイ」
バァバが小ぶりなツールキットをふたりに手渡した。続いてボルを1枚取り出し、
「これがそのコイン。全部で3枚だよ」
とふたりに見せる。
「さて、アー、……最後、よっつめは、戦闘不能に陥ったら負け。これはアタシが判断する。以上」
「戦闘不能? 殺し合いなんだからひとつめの条件とかぶってない?」
野次馬のひとりが疑問を口にした。バァバは露骨に溜息を吐いた。
「脳ミソ入ってんのかい? 当然ながら宝箱には罠がある。麻痺、石化、昏睡……ダンジョンではどれも致命的。そういう終わり方もあるってコトさ。このルールでシーフ同士が戦えばなおさらね。……ああ、コイツも死因になるかも――」
言葉を切ったバァバはなにやらブツブツと呟き、指をパチンと鳴らした。するとバァバの背後の地面が隆起し、人間サイズのクレ
「ダンジョンだからね。敵としてコイツが何匹か徘徊している。勝てない相手じゃないが、下手すりゃ殺られるよ……ヒヒ。質問は?」
「コインじゃない宝箱には、なにか入ってるんでス?」
プヌーが質問した。
「開けてみてのお楽しみ。ハイ、ほかには」
ふたりは無言で意思を示した。
「ヨシ。じゃ、おっぱじめてもらおうかね。ふたりは旗が立っているスタート地点に移動。2本あるからどちらか好きなほうを選びな」
「じゃアッシはあっちで」
プヌーが相談せずに走り出すと、ヘップは文句を言わずにもう一方の旗へと向かった。
「ハイ、観客の皆さんはあのイカダに乗って、着席」
地面の上に、大木で作られた巨大なイカダが置かれていた。イカダの上には、20人ほどが肩を並べて一列に座れそうな細長いベンチが据えつけてあり、安全バーらしきものが、ベンチに座った状態で掴める高さにある。セラド、バグラン、トンボ、野次馬集団は、言われるがままイカダに乗った。観客席が埋まったことを確認したバァバもイカダの端に乗り立ち、なにやらブツブツと詠唱らしきものをはじめた。
「ここで座ったまま見るのか?」「迷路のなかが見えないぞ」
何人かが口にしていると、バァバがコホンと咳払いし、
「上に参りまぁす、安全棒におつかまりください……ヒヒ」
ゆっくり左手を上げた。
「うおおお」「おわわ!」「まてまてまて!」「嘘だろ! おい!」
一斉に悲鳴が沸き上がった。イカダが勢いよく上昇して、空中でピタリと止まった。
「なんだよこれ……オレの浮遊曲の比じゃねーぞ」
正方形の青空ダンジョンがすっかり見渡せる。ふたりの姿も。この重量をこの高さで、しかも俯瞰できる絶妙な角度で静止させるスペルなど聞いたことがない。
「すげぇな……、高みの見物サイコーだな! なあ!」
セラドは歓呼しながらバグランの肩をバシバシ叩いた。バグランは目をカッと開いて、ぎこちなく笑っている。
「ヘッ。いつもぶすっとしてるオッサンもたまには笑うんだな」
「フ……フフ……」
安全バーを握りしめるバグランの手が、微かに震えている。
「あれ? オッサンもしかして高いところ苦手?」
「フ、フハ……そんなわけ、あるかい」
「はじめ!」
ややかしこまった、張りのある声でバァバが合図すると、野次馬のひとり、縦縞服のメイジがとつぜん早口で実況をはじめた。
「さー! 始まったぞ!ドゥナイ・デンの決闘だ! ホビット、ヴァーサァースゥ! ウゥー、ホォビットォゥ! 黒の巻き毛に黒のスカーフのヘップ! 赤の巻き毛に赤のスカーフのプヌー! カナラ・ロー大陸屈指のベテランハンターたちが見守るなかぁー、この前代未聞の青空ダンジョンでふたりのシーフはどう動くか! さあどうだ!? まずヘッ」
縦縞服メイジが石化した。
「やかましいアホはああなります」
バァバが全員を睨みつけながら言った。
「シーフの聴力を舐めたらダメ。お喋りは小声で。それにあの子らは勘の鋭いホビットだ。視力もバツグン。つまりジェスチャーも禁止。くれぐれも決闘を
野次馬たちは揃ってコクリと頷いた。
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