『ホビット vs ホビット』4/6

(ヘップはコインを3枚集めて終わらせようとするかもしれない……1枚は確保しておかないと)


 プヌーはひとつ目の宝箱の前に屈み込んで、じっくりと外側を観察する。ダンジョンに潜った経験は無いが、宝箱ならば罠の識別、解除、鍵の解錠、すべてに自信がある。

 ヘップとプヌーが幼いころから身を置いていた『ナモンの団』は、シーフの最高位『シャドウ』の称号を持つナモン老人が一代で興したホビット盗賊団で、悪人の財産ばかりを狙うことで知られていた。団員は人々に姿を見せず陰で行動し、派手な事件や無益な戦闘も起こさない。彼らの犯行を示すのは、盗みの現場に突き立てられる1本のダガーのみ。知性的な窃盗を成功させるために、団員たちは日々さまざまな技術の習得に励んでいた。ナモン老人に寵愛されたプヌーも例外ではない。


(壁、地面、異常なし、宝箱にも罠は無し。鍵はどこにでもあるタイプ……っと)


 指差し確認してから、解錠ツールを取り出して鍵穴に挿入する。軽く動かすと、カチン、と聞き慣れた金属音が鳴った。唇を舐めながら箱を開けて、なかを覗き込む。

「は?」

 箱の底から、半透明の手が1本生えていた。そう認識できた時にはその青白い手がヌッと伸び、顔面を鷲掴みされていた。

「アガ、アババ!」

 必死に振りほどこうとするが、なぜかプヌーの手では半透明の手を掴めない。体力が急激に奪われてゆくのを感じ……気を失う寸前に、フッと圧迫から解放されて尻餅をついた。半透明の手は消えていた。

「ハッ、ハッ、ハッ……スー」

 激しい動悸と息切れ、額にべっとりと浮かんだ汗は、太陽のせいではない。


(なんだ、なんだなんだいまのは! 罠か? あんなのアリかよ……クソ!)


 必死に呼吸を整えながら、ゆっくりと手足を動かしてみる。外傷はないが、問題は失った体力だ。生命力をギリギリまで吸い取られたような感覚。わずかな出血、弱い毒、軽度の熱傷……なんであっても死ぬだろうと自覚する。

 しかし、進まねば。立ち去るまえに宝箱の中身を確認する。

 からっぽだ。


◇◇◇


「ねぇバァバ、いまの『亡霊の手』よね? あんなのしくじって当然じゃない? ダンジョンにしかないし、罠の中でもとびきり見抜くのが難しいのよ?」

 上空観覧席でプヌーの失敗を見ていた野次馬セクシーシーフが指摘した。

「だってダンジョンだもの……クク」

「うーん。でもスタート地点からすぐのところに、って、なんか可哀想」

「だってダンジョンだもの……クク。ダンジョンじゃ階段を降りてすぐの場所が一番安全なんて保障は無いからね。それにアッチの旗を選んだのはあの子だよ」

「そうだけど……これでプヌーちゃんはいきなり劣勢ね。なんとか体力を回復しないと。バァバったら意地が悪い」

「ヒヒ……嬉しいね。最高の褒め言葉だよ」


◇◇◇


 ヘップは2枚目のコインの確保に走っていた。さきほど入手した1枚はポケットに入れてある。さっさと3枚集めて決闘を終わらせたい。プヌーが負けを認めて、無風で無気力な毎日を送ることに満足している自分の前から消えてほしい。それだけなのだ。周りが「決闘だ」と騒いでナイフ戦や流血を期待しているのはわかっているが、そんなものはヘップにとってどうでもよかった。  

 直接対決に持ち込みたいプヌーが最低1枚はコインを手に入れようとするはずだから、急ぎたい。けれど意地悪なバァバのことだ。何を仕掛けているかわからない。

 地面や壁を注視しながら慎重に通路を進む。神経を研ぎ澄ませようとすると、訓練場の記憶が浮かんで邪魔をする。教官たちの雑な教えと狂った作戦のせいで、多くの訓練生が死んでいった。恐怖のあまり剣も振えず、置いて行かないでと泣き叫びながらドゥームビートルの群れに食われる男の悲鳴。緊張で動けず、盾の代わりにされて焼けただれた女の顔。半狂乱になって小便を漏らしながらダンジョンの奥へと走って消えた男の背中。それでも無謀な指示を繰り返す教官たちの罵声――。

 通路を進んでいくと、右手に扉があった。扉の向こう側の気配を探る。異常は無さそうと判断し、静かに扉を押し開けた。正方形の狭い室内。奥に宝箱。


(また宝箱だ。もう4つ目。このペースだとかなり数があるのかな……)


 拾い集めておいた小石をひとつポーチから取り出し、宝箱を狙って投げる。命中、反響する金属音に耳を澄ます。次。距離を縮めて意識を集中し、じっと宝箱を見つめる。第六感が働いて腕に鳥肌が立った。高い確率で罠。これまでの宝箱すべてに罠が掛かっていることになる。広いフィールド、コインを同じエリアに集中にさせるとは思えないが、その心理を逆手に取っている可能性も否定できない。とにかく片っ端から開けていくしかない。


(3つとも上手くやれた。これもいけるはず)


 自分に言い聞かせながら、まずは宝箱の周辺をチェックする。壁、地面、扉、上空、異常なし。続いて、箱の外側をぐるりと観察する。接地面の土に息を吹きかけ、少し掻いてみる。寝そべって鍵穴を観察する。膝立ちになり、慎重に解錠ツールを挿入。すぐにロックが外れる感触が手に伝わる。

「さてと……」

 深呼吸しながら手指をほぐす。厄介なのは内部の罠だ。宝箱の罠は、外部と内部に分類される。外部の罠は目視で発見できるものが大半だが、内部の罠は本当の答えがわからない。安全な距離から無理やり開けるという手もあるが、中身がダメになっては本末転倒だ。

 内部の罠の識別は、宝箱の大きさ、形状、外装、音、触ったときの温度や湿度、臭いといった情報収集からはじめる。ほんの少し上蓋を開けるだけなら発動しない罠も多いため、リスク覚悟で内部構造の一部を覗き込む場合もある。そうした観察から得られるさまざまな情報を総合して推測の精度を高めていくのだが、最も肝心なのは『センス』と呼ばれる第六感の鋭さであり、シーフとして大成する者は一様にそのセンスに長けているのだという。


(知っているガスや火薬、毒の臭いは無し。温度は陽が当たっていてアテにならない……石を当てたときの音と、中から聞こえるほんのわずかな雑音を加味すると……)


 ヘップは手の汗を拭ってから、慎重に宝箱の蓋を――ほんの少しだけ開けた。わずかに見える内部にワイヤーを確認。さっき捕まえておいたスナクイトカゲをポーチから出して……宝箱の隙間に押し込む。バチッ! と弾ける音。そして閃光。

「よし、当たり」

 電撃の罠だ。診療所のアンナとサヨカの話によれば、一時的な痺れでは済まない場合もあると言うから油断できない。2重に罠がないか確認しながら蓋を開けると、電撃耐性を持つスナクイトカゲがチョロチョロと箱の中で走りまわっていた。これは酒場で自然と耳に入るハンターたちの会話から得た対処法だ。知識を得て、それを活用し、成功させる。ヘップは無意識に微笑んでいた。トカゲを掴み、ポーチに戻す。


(これ、要るかなあ)


 宝箱に入っていたのは、木製の小ぶりな丸盾だった。取り出して具合を確かめていると、土が擦れる微かな音と強烈な殺気を背後に感じた。とっさに横へと回避、全身を捻りながら投げた丸盾はサクッ、と音を立ててクレイゴーレムの額にめり込んだ。痛くもかゆくもなさそうなゴーレムは、空虚なふたつの穴ぼこ――両目をヘップに向ける。


(コイツ、砂人形のくせに殺気があるのか。でも足音に気づけなかったのは何故だろう、その場で沸いたのか? ……いまはとにかく)


 ヘップは臆することなく距離を詰めて、ゴーレムの一撃を誘う。背の低いホビットに対して横殴りは不利と判断する知能があるらしく、太い腕を振り下ろしてくる。最小限のステップで回避したヘップは、空振りしたゴーレムの懐に飛び込み――土くれのみぞおちに右手をズボリと突っ込んだ。湿り気を帯びた土の感触。


(このあたりに――あった!)


 引き抜いた右手が握っていたのは、小さな赤水晶に似た物体だった。プルプルと震えたゴーレムはあっという間に崩れて、ただの土山に戻った。手の中の物体を壁に投げつけると、パン! と音を立てながら弾けて、跡形もなく消えてしまった。

 ゴーレムは、術者が練った魔素の塊を原動力に自律行動する。魔素の塊は、ヒト型のゴーレムの全身に魔力を供給しやすい位置――みぞおちのあたりに埋められていることがほとんどである。……というこの知識も、酒場で雑談するハンターたちから得た知識だ。

「よし!」

 自然と出た自分の声の声量にヘップは驚いた。あんなに冷めていたはずの感情が、次第に高揚してきている。


◇◇◇


「オイオイやるじゃねーかヘップくん」

 舌を巻くセラドの隣で、トンボも相槌を打った。

「正しい教えを受け、相当な訓練を積んでいる動きだな」

「フン、興味無さそうにフロア仕事をしとったが……。客から得た知識もうまく活かしておる」

 顔の強張りがとけじめたバグランが、どこか嬉しそうな顔で言った。セラドは「へぇ」と言いながら頭を掻いた。


(オレ、プヌーに賭けちまったんだよな……)

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