『ホビット vs ホビット』5/6
開幕から疲労困憊になったプヌーは、安全第一で怪しい宝箱をパスしながらも、運良くコインを1枚手に入れていた。当初の計画に従えばすぐにでもヘップの喉を斬り裂きに向かうところだが、失った体力を何とかする必要があった。無傷で勝てる相手ではない。不意打ちのチャンスがあれば話は別だが、そう上手くコトが運ぶとも限らない。
(回復のポ
プヌーはクレイゴーレムをやり過ごしながら、仕方なく宝箱の解錠を繰り返した。通路の片隅に植えられていた薬草をほおばり、宝箱に入っていた薬膳スープ――なぜかアツアツだった――を飲み干し、ありものでこしらえたブービートラップを大部屋の扉に仕掛け、部屋の隅に座って短い休息を取ることにした。
壁に背をあずけながら青空ダンジョンの地図を広げる。宝箱から入手した道具類の中で、アツアツ薬膳スープの次に価値を感じたのはこの地図だ。お互い、この地面のコンディションなら足跡はほとんど残さない。先制攻撃をキメるためには構造を頭に叩き込み、ヘップの行動パターンをいくつも予想して精度を高めなければ。
◇◇◇
外野から見るに、2枚目のコインを獲得したヘップは、プヌーが開けた宝箱の位置を参考に進行方向を決めているらしく、プヌーのスタート地点付近まで移動していた。プヌーがパスした宝箱を手際よく解錠し、中に入っていた小瓶を日光にかざしている。
「ヘップ、ドチグサ草の猛毒を入手……ヒヒ」
観戦者への配慮も欠かさぬバァバが、ローブの袖口で口元を隠しながら小声で実況した。
ヘップは『毒だよ』と書かれたその小瓶を、ダンジョンの外へ放り上げた。観戦者たちが小さくどよめく。
「ヘップの奴、殺しに使える道具を片っ端から捨てやがって。武器に毒を塗るのはシーフのオハコだろ」
野次馬脳筋ウォリアーが不満そうに言った。
「直接戦う気はなさそね」
「面白くねぇ、シーフ同士の目のまわるようなナイフ戦が見られると思ったのによ」
「バカだな、シーフ同士だから見られるこの戦い方がアツいんだろ」
「プヌーちゃんが1枚取ったから3枚集めの勝ちはもうないわけだし、あるんじゃない? 接近戦」
「ハイそこ、声が大きくなってきてるよ……」
バァバがぼそりと言った。血の気の多い男女がぴたりと口を閉ざす。
やがて衝突スレスレの移動を繰り返すようになってきたふたりの姿を、全員が固唾を飲んで見守った。3枚のコインはもう宝箱にない。そして上空からは、ゴーレムのほとんどが緩やかにふたりを中央に追い込むような動きに変わってきていることが見て取れる。ゴーレムとの戦闘を避けて動くふたりの距離が自然と縮まってゆく。直接対決は近い。
◇◇◇
(バカだな。コイン探しに夢中か? 扉を閉めてからやれっての)
大部屋の入り口、半開きの扉の陰からプヌーはほくそ笑んだ。部屋の奥にいるヘップはこちらに背を向けて屈み込み、宝箱を観察している。殺意を気取られぬよう平常心を保ちがら、腰のベルトに手を伸ばす。音を立てずに投げナイフを抜く。投げる瞬間に勘づかれてもこの距離なら。ほんの少しでも皮膚を傷つければ勝ちだ。宝箱から手に入れた毒を塗りたくってある。
(よし……)
素早く身を乗り出して右手を引く。勝利のスローイングラインが見える。
(――死ね!)
ナイフを放とうとした瞬間、頭に強烈な衝撃、視界に火花が飛んで、たまらず地面に突っ伏し、
「ううぅがあああ!」
割れるような痛みに襲われ、悶絶しながら涙でにじむ目を動かすと……地面に石の置物――バァバと呼ばれるあの老婆を模した――が転がっていた。
(ブービートラップ? いや、壁も地面も扉も異常はなかった。壁も、地面も、扉も……ああそうか、クソ!)
プヌーは理解した。老婆の置物は頭上から落ちてきたのだ。通路の両縁や部屋の間仕切りの上は、大地だ。設置できる。屋外なら当たりまえのように警戒する単純な罠……だが。
「こんな特殊な環境にいると、上がおろそかになりがちだよね」
ヘップは背中を向けたまま、落ち着き払った口調で言った。
(ちょこざいな――!)
プヌーは膝立ちから投げナイフを左右同時に放った。スココッ、と音が響く。ヘップが振り向きざまに構えたのは、小さな丸盾――。
「クソッ! ナメやがって!」
さらに2本を同時に投げる。スココッ。虚しい音とともに丸盾に突き刺さる。
「飛び道具で勝ちたかったのか?」
ヘップは挑発するような言いぶりで、ナイフまみれの丸盾をダンジョンの外に放り捨てた。
「んの野郎……!」
「コイン3枚で終ればそれで良かったんだけど」
ヘップがダガーを抜いて、勝負の構えを取った。
「あ? 急にやる気になったってか?」
プヌーも胸の鞘からダガーを抜いて、頭から滴る血をペロリと舐める。
「うん、ちょっとね」
ヘップがほんの少し笑ったように見えた。
「ヘッ! なぁにがちょっとね、だ、ふざけやがって! オメーはガキの頃からそうだ! ボクは興味ありませんって顔しながら結局は! オレのチャンスを何度も奪いやがって! オヤブンはここぞって仕事をいつもオメーに任せてた! なのに……なのにオメーはオヤブンを殺して、逃げたんだ! 死んで詫びろやァァァァ!」
プヌーは吠えながら走った。投げナイフで牽制しながら近接戦闘の間合いに踏み込む。払う、突く、突く、払う。紙一重で回避するヘップに連撃を重ね、あっという間に壁際に追い込んだ。防戦一方のヘップは刃を刃で弾き、鍔で受け止め、躱し、捌く。わずかな反撃はプヌーの予測を超えず空を切る。
(無駄だ! オメーが! 無気力に! 酒場で雑用こいてるあいだも! オレは! 特訓してきたんだよォォォ!)
渾身の連撃に耐えきれなくなったか、ヘップが膝を突いた。プヌーはすかさずダガーを逆手に持ち替え、モジャモジャ頭の中心に突き下ろす――が、頭蓋を貫く感触は得られず空振り。横転で回避したヘップを追おうとした瞬間、足元に落ちている小さな黒い球に目が釘づけになった。
「マズっ――」
けむりだまが炸裂して、煙幕がプヌーの視界を奪った。
「うぅぅ! クソが!」
ヘップが転がった方向にダガーを振って牽制する。
(落ち着け、アイツだって見えないはず。音、臭い、煙の揺らめき、気配、集中しろ。仕掛けてくる一瞬だけは隠せないはず――)
背後の空気が動いた。殺気。
「うしろぉ!」
プヌーは振り向きながらダガーを突いた。肉を抉る感触――とは違う。
「あ?」
ダガーを握る右手が、クレイゴーレムのデップリとした下腹部に埋まっていた。引き抜こうとするがびくともしない。
「オイコラ! 離せ、はな……クソ」
土くれの太く長い腕に抱き寄せられて、全身がズブズブと飲み込まれていく。必死に顎を引いて呼吸を確保するが、小柄なホビットにそれ以上のことはできない。
「オイラの勝ちだ。負けを宣言しろ。コインを持っているなら渡すだけでもいい」
ヘップの声が聞こえた。
「ヘッ! やなこった!」
プヌーは一蹴して、精一杯の作り笑いで応じた。
「強がるな、バァバはまだ止めるつもりがないらしい。顔も埋まれば窒息するぞ」
「上等、上等! オヤブンのところへ行って、ナモンの団を再結……」
プヌーの顔が、ゴーレムの胴体に飲み込まれた。
◇◇◇
長くは持たないだろう。ヘップはやれやれと溜息を吐き、クレイゴーレムの背中に飛びついた。魔素の塊が埋まっているあたりを狙って手を突っ込む。ゴーレムが振り落とそうと激しく暴れはじめた。ヘップは己の四肢をゴーレムに突き刺してしがみついたまま、必死に体内をまさぐる。ゴーレムが関節のない腕をグニャリと背中側に曲げて、ヘップの体を掴んだ。ついに引き剝がされて、ヘップは空高く放り投げられた。
「ヘップ失格! ……勝者、プヌー!」
ダンジョンの外に落下したヘップは、大の字のままバァバの声を聞いた。背中の痛みに耐えながら、天に向かって右腕を伸ばす。土にまみれた手が、魔素の塊を掴み取っていた。
◇◇◇
「なんでだよ! 殺せよ! オヤブンのときみてーによ! オレを助けたつもりか!?」
ダンジョンから這い上がったプヌーは、横たわるヘップに駆け寄った。空を見つめていたヘップは、視線だけこちらに向けて口を開いた。
「殺していないよ……オイラは。だからオマエも殺さない」
「ア? この期に及んで……!」
「オヤブンを殺したのはジョウの手下だ」
「ジョウ? そんな――」
そんなデタラメを、と言いかけたプヌーだが、かつて蓋をしたはずの小さな疑念がふたたび頭をもたげた。
あの夜、ヘップが見下ろしていたオヤブンの死体……その周囲に、もう3つ死体があった。いずれもジョウの手下。ジョウ一派の寝床はオヤブンのコテージと離れているから、その理由を訝しむ者もいた。しかし後日ジョウが「3人は雑用で呼び出された」と証言し、彼らは運が悪かったのだと結論づけられた。なにより、現場から逃げ去ったヘップが戻らないのだ。他者を疑う必要などなかった。
ヘップを追跡する者はいなかった。彼の潜伏能力と警戒能力は団員の中でも群を抜いており、見つけようにも見つかるはずがないと全員が分かっていたからだ。
「ジョウの……指示だったと言うのか?」
「アイツのことだ。跡目を譲るよう脅したんだろ。団長になれば好きなようにやれる」
プヌーは息を呑んだ。思い当たる節がいくつも浮かぶ。
「たしかに……オヤブン亡きあと、ジョウは必死だった。オレを強く推してくれていた団員たちはヤツらに脅されて、抜けちまった」
「ジョウは何でもやりすぎる男だった。団長は見抜いていたから次期団長候補に挙げなかった」
「……あの3人がオヤブンを殺したなら、なぜあの3人は死んだんだ?」
「オイラが殺した。それは事実。オイラはオヤブンを守れなかった」
「遺言は、あったのか」
ヘップが悔しそうに目を閉じた。
「死んでいたんだ」
「なんで釈明しなかった」
「釈明したら信じたか? ……オイラとオマエはあの日、ひとりずつ団長に呼ばれていた。はじめにオイラがコテージを訪れた。つぎはオマエ。そこに死体が4つ。血塗れのオイラが立っている。どうだ? あの時のオマエの目。オイラは逃げるしかないさ。ジョウもオイラを放っておかない。実際、アイツはしつこく刺客をよこしたよ」
「そんな……」
プヌーは脱力し、ヘップの隣に座って胡坐をかいた。たしかに、野心家のジョウは手段を選ばないところがあった。オヤブンの意志を継ぐと宣言したはずのジョウは、方針を変えて見境なく強盗殺人を繰り返すようになり、プヌーをはじめとした反対派を次々と追放した。しかしそのジョウはやがて手下に殺され、ナモンの団は完全に消滅したと風の噂に聞いている。
茫然としているプヌーの膝に、黒鞘に納められたダガーが置かれた。オヤブンの宝、次期団長に譲られるはずだったレジェンダリー・アイテム【ダガー・オブ・シーブス】。
「え?」
「プヌー。オマエが持っておいてくれ」
「なんでだよ」
「オイラはドジだからさ、また騙されて悪人に没収されたら嫌だし」
「没収?」
「なんでもない。助けてくれたリアル・サムライに感謝だよ」
ヘップはクスリと笑った。つられてプヌーも顔をほころばせる。
「相変わらずワケわかんねーなオメーは」
「わかりやすいよ。オイラはあの場から逃げたんだ。次期団長として団をまとめることを放棄して。ジョウの工作に目を瞑って。重かった。嫌になったんだ。ダガーも……ジョウの手に渡るくらいなら、って持ち去っただけだから」
プヌーは地面を見つめながら、友の本音に耳を傾ける。
「でもプヌー。オマエは違う。またみんなを集めて……あるべき姿に導くことができるのはオマエだけだ。好きで理髪師に鞍替えしたワケじゃないだろ?」
「ヘッ。あとになって返せとか言うなよ」
「言わないよ。でもひとつお願いがある」
「なんだよ」
「名前はプヌーの団だ。ナモンの団はもう終わったんだ。オヤブンの意志を継ぐとか、二代目だとか、そういうのはいい。このダガーに誓って、プヌーが正しいと思うやり方を貫いてくれ。なにがあっても」
プヌーは、ヘップの真剣な眼差しを正面から受け止めて、頷いた。
「……わかった。このダガーと、オメーに誓う」
プヌーはダガーの上に手を乗せ、ヘップの真剣な眼差しを正面から受け止めた。
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