『正体不明の存在』4/6

「ウゥラァ!」

 バテマルは、コンパクトなスイングでもう一度脇腹を狙った。しかしハンマーヘッドは拳に弾かれ、魔物の大きな口が真上から迫る。獰猛な牙をバックラーでブロックしたバテマルは、重心のかかった魔物の膝頭に蹴りを入れた。常人ならば関節が逆に曲がる一撃だが、鉄柱を蹴ったようにビクともしない。


(手足への打撃は効果が薄い……ならば)


 かすっただけで肉が抉れそうな爪の薙ぎ払いがくる。しゃがんで躱したバテマルは、そのまま全身を独楽のように回転させながら、魔物の膝裏をハンマーで打った。足元をすくわれた魔物がほんの一瞬、水平に浮く。すかさずバテマルは立ち上がり――

「ウルァァッ!」

 鳩尾に狙いをつけて、渾身の一撃を垂直に振り下ろした。魔物は地面を砕きながら大の字になった。


(頭部を潰す――)


 バテマルは左足で魔物の胸を押さえつけながら、額に狙いを定めてハンマーを振り上げた――が、危険を察知して咄嗟にバックラーを構えた。

「ヴァァァァァァァァ!」「ヌウゥゥー!」

 魔物が仰向けのままブレス灼けつく息を吐いた。【祝福の】バックラーが大半のダメージと状態異常を防ぐも、全身の痺れに襲われたバテマルは片膝を突いた。呪術を使おうにも、喉が痺れて声が出ない。魔物が牙をギリギリと鳴らして立ち上がり、太い両腕を高々と振り上げた。刃物のような10本の爪が、ぎらりと光った。

 刹那、魔物の両脇をふたつの影が駆け抜けて、ドッドッ、と肉を断つ音が聞こえた。切断された魔物の両腕が、宙でくるくると回って地面に落ちた。

「ギィーシャァァァァッ!」

 魔物が黄金色の目を剥いて悶え叫んだ。駆け抜けたふたつの影の片方――岩石のような影が速度そのままにぐるっと旋回して、魔物の腹に突進した。撥ね飛ばされたデーモンはバウンドしながら後方に転がっていった。

「イテテ……なんちゅー硬さだ。大丈夫か?」

 酒場のドワーフ――バグランが、頭をさすりながらバテマルに言った。駆け抜けたもうひとつの影の主、酒場の丸坊主――トンボがカタナを鞘に納めてひざまずき、バテマルの状態を観察する。

「麻痺か。シャーマンならば呪術で治せるはずだが……喉をやられたか」

 トンボは懐から小さな瓶を取り出すと栓を抜いて、バテマルの口に液体を流し込んだ。


 シャーマン。呪術師。

 信仰呪術の使い手であり、自然や動物の霊的エネルギーと深い繋がりを持つ。彼らは呪術を使って敵をうち払い、仲間を守り、癒す。特定の霊との絆を強めたシャーマンならば、その霊を呼び下ろして力を借りることもできる。戦闘においていくつもの役割をこなす器用さを備える一方で、ひとつひとつの呪術は、研究と発展が繰り返されてきたメイジやプリーストのスペルほど強力ではない。

 代々の先祖から霊的資質を継承した者がシャーマンになるべくしてなる、というケースが大半のため数は少なく、大陸でシャーマンに出会うことは稀である。


「……助かった」

 声帯の痺れが和らいだバテマルは、咳き込みながら声を出した。

「手足の痺れは、取れるまで暫くかかるぞ。それと礼はヘップに言え。邪悪な気配に敏感なあいつでなければ気づけなかった」

 バテマルの頭に、いつも酒場で勤勉に働いているホビットの姿が浮かんだ。

「ブレスに……注意しろ、まともに浴びたら麻痺だけでは済まない……お前たち、盾のひとつもないのか?」

 ふたりとも武器は立派だが、防具を身につけていない。

さえありゃすぐに片付くと思ったからのう。手強いんか」

 バグランが飾り気のない無骨な戦斧をドン、と地面に突き立てた。柄の長さは小柄なドワーフが取り回せる程度に切り詰められているが、対称型の両刃のサイズは【巨人の】戦斧の名に恥じぬ大きさだ。鍛治の心得がある者が見れば、いにしえの名工が鍛えたであろうこの刃がどれほどの威力を持つか想像に難くない。

「……軽く見ていると、死ぬぞ」

 バテマルは、魔物を睨みながら忠告した。腕を失って起き上がれないのか、倒れたままもがいている。

「お主ひとりか?」

 周囲に目を走らせながら、トンボが言った。

「いや、うしろに夫婦が……」

「夫婦? どこにもおらぬぞ」

「な、に?」

 バテマルは、まだ痺れる首をなんとか動かして、背後を見た。夫婦は姿を消していた。


◇◇◇


「早くしなさいよ! あのデカ女、いつまでもつかわからないわ!」

「わかってるって、もう少し声を小さく……」

 こっそり戦場から逃げた夫婦は、集落の中心――修道院にほど近い細道を進んでいた。東西を貫く中央通りに出てしまえば、あとは真っすぐ東に進むだけで宿屋に着く。顔を覚えられないように施設の利用はできるだけ避けてきたが、そうも言っていられない。もしバーバリアンが敗れても、宿屋にいれば、寝泊まりしているハンターたちが相手をするだろう。最悪の場合はまたどさくさに紛れて逃げればよい。

「私の宝物……やっぱり持ってきたほうがよかったかしら……」

「あの子は大丈夫、お前が凍らせたからしばらくは痛まないよ。バラックには罠を仕掛けたし……」

「戦利品のことよ」

「え……」

 パパレンジャーは思わず立ち止まりそうになった。戦利品とは、でこれまで集めてきたレアアイテムだ。同じ武具屋にたくさん持ち込むと怪しまれるため、あちこちの国で売りさばきながら悠々自適に暮らす計画だった。


(相当な金になるだろうから宝物には違いないが……)


 パパレンジャーが物言いたげな顔をしているのが気に障ったのか、ついに妻が立ち止まった。

「あのバケモノが暴れまくってあの一帯がめちゃくちゃになってバラックの罠が壊れたら? 誰かに盗まれるかもしれないでしょ!?」

 唾の混じった怒声を浴びたパパレンジャーは、口を閉ざした。「お前が、こんなに持っていたら怪しまれるからいまは置いていきましょうって言ったんだろう」などと反論すれば、さらなるヒートアップは確実である。息子を失い、ついさっきまでは枯れた一輪の花のようにしおれていた彼女が、いまは棘を生やした毒草のようだった。

「もとはと言えばあの鎧のせいよ。あんなバケモノにして……それにそうよ、私の息子を……よくもよくもよくも……キイィッ! 」

「まずは生き延びることを考えよう。うまくやり過ごして、さっさとこの集落を出るんだ」

 パパレンジャーは、興奮おさまらぬ妻をなだめながら、

「もしあの子供が元の姿に戻ったら……正気に戻ったら……私たちのことを喋りでもしたら……」

 と不安を口にした。

「ありえないわよ。あんなのバケモノになって、完全にベツモノじゃない。もういいわ、行くわよ! お風呂に浸かって――痛ッ!」

 歩き出そうとした妻が人とぶつかり、尻餅をついた。

「前を見て歩きなバカタレ」

 杖をついた老婆が、言い捨てながら通り過ぎていく。その後ろに、付き添いらしきふたりのエルフ。

「ちょっと! 痛いわね! そっちこそ気をつけて歩きなさいよ!」

 呼び止められた老婆がピタ、と立ち止まり……振り返った。心底不愉快そうな、ゾクリとする顔。その口が開いて――

「アー!? アタシはぶつからないように横にズレたよ。証拠? 足跡を見てごらん。明白さ。キーキーわめくアンタはどうだった? 後ろを向いてペチャクチャお喋りからの急発進ときたもんだ。前を見てアタシに気づいてアタシと同じようにチョイとズレれば衝突は防げた。アタシみたいな杖をついた老人でも出来る簡単な気遣いさ。その細い目をかっぴらいてよく見てみな。道はその目と同じくらい細いんだからお互いが少しずつ譲り合うのがマナーってもんだろう? よそ見してぶつかっておいて何様だい」

 ――畳みかけるような早口で言い切った。

「バァバ、相手にするな。さあ」

 赤い瞳のエルフが促す。老婆は舌打ちしながら踵を返して、ブツブツ言いながら歩きはじめた。

「ああいうアホは誰かがシメないと一生ああなんだよ」

「ウフフ、そうですよねー。ガツンと言って、わからせないと!」

「わかってくれるかい? ……ヒヒ」

「余計なことを言うなサヨカ。ほら、バァバは前を向いて。急ぐのだろう?」

「ま、急がなくてもなんとかなるさ」

「急ぐと言ったのはバァバだろう……」

「そうだったかね、クク」

 圧倒されて言葉が出ない妻は、去ってゆく3人を呆然と眺めていた。パパレンジャーは彼女の肩に手を添えて、

「さ、行こう……」

 立ち上がるよう促し、急がず焦らず、ゆっくりと歩きだした。

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