『正体不明の存在』3/6
夜更けのドゥナイ・デンに戻ったファミリーは、無人地帯の北西区画を南に向かって歩いていた。目指す南西区画はバラックエリアと呼ばれ、なにかしらの理由で人目を引きたくない者や、宿代すら払えない貧乏ハンターたちの寝ぐらになっている。
「なあ、どうだろう」
先頭を歩いていたパパレンジャーは振り返って、妻と息子に声をかけた。くたびれた様子の妻は「何が?」と眉を寄せる。
「お祝いはご馳走だけじゃなくて……アツアツの湯に浸かりたくないか? バラックに荷物を置いたら、宿屋の大浴場でさ」
「え! お風呂!? ヤッター! ヤッタ! ヤッタ!」
眠そうに目を擦っていた息子が飛び上がった。静かになさい、と注意する妻の表情も、まんざらではない。
「いいんじゃない? もう何日も入ってないし、髪にあの臭いが染みついてほんと気持ち悪いし――」
ほころんでいた妻の顔が、とつぜん凍りついた。パパレンジャーの背後に向けられた妻子の視線が、上空から地上へと下がっていく。全身に鳥肌が立つような感覚に襲われたパパレンジャーは、【鷹の目の】弓を掴みながらガバリと向き直った。コウモリの皮膜に似た巨大な翼を広げた何かが降りてきて……静かに着地した。2メートル半はあろう鉄色の巨体。両耳のあたりから左右に禍々しく伸びる捻れた角は、デ
「なんだこのバケモンは……」
「ねぇ、あの鎧……」
背後で妻が囁いた。異常に発達した筋肉と同じ鉄色で目立たないが、鈍い光を放つ胴鎧の意匠は、あの子供に着せたブレストプレートそのものだ。ただ、なぜかサイズが格段にアップしている。
「こいつが……あの子供だってのか?」
ギョロギョロと動いていた黄金色の視線がファミリーに固定された。
「こ、こいつ……!」
パパレンジャーは【貫きの】矢をつがえようと背中の矢筒に手を伸ばした。だがその瞬間、
「やぁやぁ我こそは真のサムライ!」
息子がカタナを振り回しながら脇を駆け抜けて――
「だめだ!」
――首根っこを掴まえようとした手が、虚しく宙を掴んだ。
「セッシャのヤイバで斬り捨デペッ」
魔物が、羽虫を払うように腕を振るった。息子が真横に吹き飛んで、激突した石壁に血が散った。肉体は壁に張りついたまま、頭だけがいびつな角度で垂れ下がり……ペーパークラフト武将兜がパサリと地面に落ちた。
「あ、あ…… あ、あああぁぁぁあ!」
妻が息子のもとへ走った。一瞬呆然としていたパパレンジャーは、
「クゥゥソ野ァ郎ォォォ!」
爆発的に沸いた怒りに駆られて次々と矢を放った。魔物は巨体から想像できぬ速さで矢をすべて払い落して、獰猛な口から火の玉を飛ばした。
「ヒッ!」
避けられない、と無意識に腕をクロスして目を瞑ったパパレンジャーは、火の玉が途中で消滅した気配を感じて薄目を開けた。大きな背中が目の前にあった。なめし革を重ねたレザ
「夜狩に行こうってときに……なんだコイツは」
その声は太く、凛々しく、女性のものだった。女性は、大柄な自身の体格をさらに上回る巨大な魔物に向かって、躊躇いもなく突進した。一瞬で間合いが詰まる。魔物が鋭い爪を振り下ろす。女性が左腕のバ
「ウラァッ!」
右手に握り締めた
「無事か」
女性は背中を向けたまま振り返った。太い眉。彫りの深さと高い鼻が目立つ、凛々しい横顔。そして額と頬に刻まれた入れ墨は、彼女がバーバリアンであることを示していた。
バーバリアン。
厳寒が途絶えるこのとない北の大地、イシィ・マーに暮らす種族。ルーツは人間と同じと言われているが、その巨躯と筋力は人間が到達できる域を超えている。強靭な肉体とは裏腹に、無益な戦いを好まず、信心深く、領土拡大に興味がないバーバリアンを他国で見かけることは稀であり、イシィ・マーから一歩も外に出ずにその生涯を終える者も少なくない。
「あっ、はい、助かりました……あなたは?」
見惚れていたパパレンジャーは背筋を伸ばした。
「バテマル。鍛冶屋だ」
「バーバリアン、ですよね? 珍しい……」
「さっきのあれは何だ。どこから来た」
「え? ああ、あのガキ――あ、いや、私にも分からないのですが、いきなり空から現れて……息子を殺されて……もう、なにがなんだか……!」
バテマルの視線が、泣き崩れている妻と、息子の亡骸に向けられた。
「命は短くとも、善き人間ならば良き場所に迎え入れられるだろう。狙われた理由に心当たりは」
「理由? いえ、ないです、ないない。いきなり襲われて」
「ふん、まあいい」
疑るような目をそらしたバテマルが、先ほど魔物が吹っ飛んでいった暗闇を注視する。
「……頑丈なやつめ」
言いながらハンマーの短いグリップをクルリと回し、握りなおす。パパレンジャーはその何気ない動作に驚嘆した。白銀色に光るハンマーヘッドは、山から切り出した城壁の石材のように巨大な直方体で、常人ならば両手で持ち上げられるかどうかすら怪しい。
ほどなくしてミシリ、ミシリと瓦礫を踏み歩く音が響き、魔物がふたたび姿を現した。
「あの一撃を受けて立ち上がるとは……」
バテマルが考え込むような口調で言う。パパレンジャーは目を凝らして魔物を見た。岩をも砕きそうなハンマーの一撃は確実に脇腹をとらえたはずだが、ブレストプレートに亀裂が数本入っているだけだった。
「後退しろ。ゆっくりだ」
バテマルが命じた。先ほどの交戦で圧倒的な力量の差を感じ取っていたパパレンジャーは、素直に従った。じりじりと後ずさり、放心状態の妻をなんとか立ち上がらせる。
「お前はレンジャーだな。女のほうは?」
バテマルが魔物から目を離さずに尋ねる。
「妻は、ビショップです」
「お前は隙があれば目を狙え。女は気を取り直したらスペルで援護しろ」
「は、はい」
魔物は怒り狂うわけでもなく、冷静な足取りで近づいてくる。仁王立ちしたバテマルがハンマーを胸に掲げて謎の言葉を呟くと、淡いグリーンの光が彼女の全身を包んで、消えた。2メートルはあろう背丈のバーバリアンと、それよりも大きな魔物が、まるで決闘前の戦士のように至近距離で睨み合う。
――バテマルが仕掛けた。
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