『正体不明の存在』2/6
松明を掲げる奴隷シーフが先頭に立ち、曲がりくねった洞穴をしばらく進んでいくと、目的の檻が視界に入った。
「着いった着いたよヒャッホー!」
お子様サムライが駆け寄っていく。
奴隷シーフはひどい臭いに吐き気をもよおしながら、檻の近くの松明台に火をうつした。直視できずに目を泳がせていると、
「うわ! ホントに死んでる!」
お子様サムライの声につられて、見てしまった。
死んでいたのは、父親の方だった。大人が立ったり寝たりするにはやや窮屈な檻の中で、背中を丸めて横たわっている。落ちくぼんだ目は濁り、ポッカリと開いた口は、黄色い歯を何本か覗かせたまま動かない。長い白髪はほとんど抜け落ち、丸裸にされた皺だらけの肌は変色が進んでいた。表皮の一部には水泡が見られ、破裂した箇所から液体が滴っている。この死体がすえた臭いの発生源であることは、誰の目にも明らかだった。だが――もうひとつの檻の中、男の子は生きていた。膝を抱えてうつむいたまま動かないが、肩がわずかに上下している。奴隷シーフは胸をなでおろした。
「ほんとクッセー! ウンコもションベンもクセーけどもっとクセー!」
檻の周りをぐるぐるまわって騒ぐ息子を、パパレンジャーが微笑みながら見守っている。
「排泄物の臭いと混ざるとなかなか強烈だな」
「ウエー。ねぇ、なんで死んだのかな」
「じゃあ、ここでク~イズ」
パパレンジャーはお子様サムライの肩に手を置き、「見なさい」と一緒に天井を仰ぎ見た。3,4人が肩車すれば届きそうな天井にポッカリ空いた穴から、月明かりが差し込んでいる。
「夜の洞窟は涼しい。しかし……あの穴。この檻の真上だ」
「うんうん」
「地面を見てごらん。ホラ、手で掻いても土がカラカラだ。つまり私たちがダンジョンに潜っていた4日間、日照りが強かった……そして」
言葉を切って指し示した檻の隅には、ひび割れた木製の器がふたつ。
「水も餌もたっぷり5日ぶん与えたはずだが、水がからっぽだ」
「ふむふむ」
「侵入の形跡や、人為的な外傷はどうかな? あれば他殺の可能性がでてくる」
「ない……そうか、セッシャわかった!」
「おっ、じゃあー、答えは!?」
「餓死!」
「残念ッ!」
「さ、ふたりとも。はじめましょう。準備は?」
ママビショップがパン、パン、と手を叩いて、奴隷シーフの方に振り返る。
「準備、できています」
奴隷シーフは即答した。運んできた武器や防具は、地面に敷いた布の上に、丁寧に並べ終えていた。今回は長くダンジョンに潜っていたこともあって、全部で5つ。
「ねえママ、コイツも父親みたくいきなりヨボヨボになるのかな?」
お子様サムライが子供の檻を蹴った。うつむいたままピクリとも動かない子供に腹を立てたのか、2度、3度と檻を蹴る。
「どうかしら。さ、こっちに来なさい。離れないと危ないって教えたでしょ」
息子を呼び寄せたママビショップは、奴隷シーフが並べた品々をしばらく眺め――小ぶりのカタナを選んだ。
「まずはこれにしましょう」
「カタナ! ヤッタ! クゥーッ楽しみ! ヤッタ、ヤッタ、は・や・く! は・や・く!」
お子様サムライが、大人顔負けの大声で手を叩く。
「真のサムライを志す男児にはカタナが必要だからな。いい結果が出ることを祈ろう」
パパレンジャーも期待に満ちた顔で頷く。
奴隷シーフは、ママビショップからカタナと檻の鍵を預かり、目を伏せながら檻に近づいた。錠前をはずし、扉を開け――たところで、うつむいていたはずの男の子と目が合った。いや、砂埃にまみれた髪越しに覗く目は虚ろで、焦点が合っていないようにも見える。正気でいられるはずがない。若く逞しい父親がとつぜん老人になり、目の前で干からびて死んでいくのに、何もできなかったのだ。
「はやくしなさい」
ママビショップの鋭い声が刺さった。シーフとしての腕前と従順な態度のおかげで生かされているが、もしこの家族の機嫌を損ねたら、次に檻に入るのは誰か? 明白だ。奴隷シーフは決心して、子供の右手にカタナを握らせた。なんの抵抗もなかった。目を合わせないように檻から出て、施錠する。3人がいる位置まで戻り、歯を食いしばりながら地面を睨んだ。
「さて、どうなるかしら」
ママビショップは左手で杖を構え、右手を檻の中の子供に向けてかざす。お子様サムライとパパレンジャーも、このときばかりは揃って口を閉じる。ママビショップの律動的な詠唱が洞窟に響き――かざしていた右手が白く光りはじめ――最後の一言が発せられる。
「――アンリーシュ」
◇◇◇
「うーん、アタリ1、ハズレ4かぁ」
檻を見つめていたパパレンジャーが、何度目かの不満を垂れながら頬髭をさすった。
「うーん、あの鎧、まさか脱げなくなるとはなぁ」
檻の中の子供は相変わらずうつむいているが、その胴体は、鈍く光る鉄色のブレストプレートに覆われていた。着せるときにはブカブカだった金属鎧が、いまは肉体に吸いついたようにジャストフィットしている。
「あの鎧は本当にハズレなのか……なんなのか……」
パパレンジャーがふたたび頬髭をさすりながら考え込む。詠唱疲れで休憩していたママプリーストは、うんざりした顔で彼を見て、
「しつこいわね、なにかの呪いだって言ったでしょ。優秀なビショップの私でも解呪できないんだからどうしようもないじゃない。あとその髭、いつになったら剃るのよ」
苛立ちを隠さずに言う。
「いやあ、なんの呪いなのかな、ってね」
「さあ。脱げなくなる呪いじゃない?」
「大ハズレだなそりゃ」
空気の読めないパパレンジャーがワハハと笑った。
「このまま脱げなかったら体をバラして鎧は売り飛ばせばいいわ」
「そうだな。ま、時間が経てば何かわかるかもしれない。また明日にしよう」
両親が会話している横で、お子様サムライは嬉しそうにカタナを振り回していた。シークレットパワーによって鳥の羽のように軽くなった刃が風を斬り、ピュンピュンと音を立てる。両親は揃って息子を見て、同時に微笑んだ。
「ひとつだけのアタリが大アタリでよかったな」
「ええ。鎧兜があれば完璧にサムライだわ」
「ハハ、まったくだ……おい、怪我しないように気をつけなさい」
「うん! これでセッシャも戦えるぞぉー!」
(うっかり自分を斬って死ねばいいのに……)
奴隷シーフは心のなかで毒づきながら、食料、水筒、掃除用具を荷袋から出し、タイミングを見て3人に言った。
「では、おれは掃除してから帰りますので」
「指示したとおりにやるのよ」
ママビショップがいつものように釘をさす。彼女の指示と要求レベルは、几帳面を通り越して神経質、ひとつでも落ち度があればメシ抜きは当たり前だ。
「はい。あと……その」
「なに?」
「アレは、どうすれば……」
奴隷シーフは、死体がそのままになっている檻を指した。
「ああ、この洞窟、枝道がいくつかあるじゃない? そっちに運んで、捨てておいて。できるだけ奥のほうに」
「は、はい」
「今日はサボらずシッカリ掃除しろよな!」
カタナを持ったお子様サムライが、切りかかるようなポーズで脅す。
「さ、行くぞ。今日はカタナを手に入れたお祝いだ、ご馳走にしよう!」
「エッ、ヤッター!」
仲睦まじく去って行く3人の背中を見つめながら、奴隷シーフは深く溜息をついた。最低最悪の家族なのに、羨ましく感じてしまう自分が嫌になる。もはや朧げな記憶になりつつある父と母の顔を思い浮かべながら、奴隷シーフは掃除用具を担いだ。
◇◇◇
死体を運び終えた奴隷シーフは、子供の檻の掃除に取り掛かっていた。子供は、死んだ父親が運ばれていくことに何の反応も示さなかった。いまは座ったまま柵に背中を預けて、眠ったように目を閉じている。
檻の外側にしゃがみ込み、鉄柵を1本、1本、丁寧に拭いてゆく。
「はぁ……やんなるよ。……あ、ごめん。キミのほうがずっといやだよね」
己の口から出た無神経な愚痴に、奴隷シーフは心から恥じ入った。食事の前にせめて身の回りを綺麗にしてあげよう、などという考えは、罪悪感を薄くのばすための自己満足でしかない。
「しょうがないんだ……。どうすればいいって言うのさ……」
うつむいた奴隷シーフの目から、涙がこぼれ落ちた。
「ただ逃がシテくレレばヨ、か、タ」
「それは考えたさ! 考えたけど……え?」
ハッと顔を上げると、子供の瞼が開いていた。眼球がなぜか黄金色で、爬虫類のようにヌラヌラと照り輝いている。
「きっ、きみその目、大丈夫? わっ!?」
ブレストプレートからドロドロと鉄色の粘液が大量に湧きだして、生き物のように子供の肉体を包んでいく。全身を覆った大量の粘液は目まぐるしく蠢きながら肥大し、黒く大きな肉体――太い腕と脚、そして頭……を作って、人のような形になった。
「ギィィ!」
もはや人間と呼べぬ謎の生物が奇声をあげて、暴れた。窮屈になった檻を拳であっさり破壊して、外に……出てきた。
「た、たす、た……」
腰を抜かして座り込んだ奴隷シーフは、言葉を詰まらせながら目の前の存在を見上げた。宝玉のように輝く瞳の中央に走る縦長の瞳孔が、間違いなく自分に向けられている。
「た、助けて、ごめん、ごめんなさい! 」
やっとのことで声を絞り出して、目を瞑った。ズゥゥー、と、大きく息を吸う音が耳に届き――
「ヴァァァァァァァァァァ!」
爆風のような
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