『正体不明の存在』5/6
バグランは地を這うように身を屈めながら魔物に駆け寄り、戦斧の一振りで左足を切断した。阿吽の呼吸でトンボが踏み込み、体勢を崩した巨体の首筋を狙う。魔物は斬撃を躱しながら片足で跳躍して、大きく間合いを取った。
「グルル……やはり首を庇う。刎ねれば死ぬということか」
獣化しても手こずる敵に、トンボが唸り声を上げる。
「だといいがな。手足を切っても埒があかん」
バグランは周囲を見渡した。切り落とした魔物の腕が4本。脚が3本。翼が1枚。そうしているあいだに魔物は新しい左足をズルッと生やして、何事もなかったように立ち上がる。
「シュルル……シィィ……ヴァァシィィ……」
これまでと違う奇妙な発声に、バグランは身構えた。
「大きな魔素の流れ……スペルがくるぞ! 離れろ!」
バテマルの声。まだ痺れが取れないらしく、座ったままだ。奇怪な詠唱の終わりを告げるように、魔物が両手を左右に広げる。バグランはトンボに目配せしてから、バテマルの前に素早く移動した。
「聞こえないのか! 離れろと――」
「置いていくのは性に合わん」
バグランは【巨人の】戦斧を風車のように回転させはじめる。直後、魔物から放射状に生じた衝撃波が、大鎌のごとく3人に襲い掛かった。回転する斧刃が盾となるも、第2波、第3波、第4波と息つく暇もなく飛んでくる空気の刃にバグランの筋肉は斬り裂かれ、血しぶきが霧のように舞い上がる。背後のバテマルが呪術による癒しで支援するも、焼け石に水。
「シャーマンは治癒も得意じゃないんかい!」
「全員そうだと決めつけるな!」
「ムゥー! はよせいトンボ! 長くはもたん!」
「急かすな」
離れた位置から衝撃波を観察していたトンボが、獣人の脚力で大きく、高く跳躍した。魔物の頭上に勝機を見出しての一刀・兜割り。落下の勢いを乗せた名刀【ハバキリ】が垂直に振り下ろされる――よりもはやく、魔物は水平に広げていた両手を天に向けた。束になった衝撃波が降下中のトンボを切り裂き、ベスト、シャツ、灰色の体毛、大量の血が宙に舞う。
「グルォオオォーン!」
トンボはそれでもカタナを振り抜いて、受け身を取れず地面に激突した。逸れた刃筋は魔物の顔の一部をそぎ落し、左腕を付け根から切断していた。魔物はひるみながらも右手を水平に戻し、動こうとしていたバグランとバテマルに衝撃波を収束させる。
「トンボ! ぐぬぅーいつまで続くんじゃこれはー!」
バグランはひたすら斧を回す。トンボが伏したまま魔物の足首に噛みついた――が、蹴飛ばされて遥か彼方へ飛んでいってしまった。
(かなりマズイ……が、スペルなら必ず魔素切れを起こす……はよ切れろ!)
魔物の左腕が生え変わり、続いて顔の再生がはじまった。衝撃波の威力が増していく。
「ムオオォォォ!」
「私を置いて逃げろ! ひとりなら――」
バテマルが叫ぶ。
「ワシを見くびるなァァムオオォォ、お?」
どこからか、力強い旋律が聞こえてきた。魔物の周囲にぐるりと不可視の壁がそびえたかのように、衝撃波がことごとく途中消滅してゆく。魔物はスペルを止めて身を低くし、邪魔者の姿をぎょろぎょろと探しはじめた。
「ほぅらよっと!」
聞き覚えのある男の声と同時に、魔物の首が飛んだ。
「エール奢ってくれよな。寝酒に1杯と思ったのに店主がいねーんだもんよ」
自慢の剣楽器【エヨナのシンギングソード】を担いだセラドが、不敵な笑みを浮かべながら姿をあらわした。
(フン、あの剣、酒場でさんざん見せびらかしとっただけある……)
「助かった。葡萄酒を樽ごとやろう」
バグランは気前よく答えた。魔物は首を刎ねられて倒れたまま、動く様子はない。
「お、いいねぇバグラン殿。鍛冶屋のバテマルちゃんはコイツのメンテナンス代をまけてくれよな。多少は慣れてきたがちょいと改良が必要……だけど、オレ貧乏でさ」
セラドが金属製の左手をコンコンと叩いてウインクした。
「内容による」
「シブイ返事だなぁ。まあいい、オレは美人にとくべつ優しいんだ……で、なんだアレ? ダンジョンの深層からちゃっかり出てきたとか?」
「……わからん」
如何なる魔物であれ、出られるはずがない。
「正体不明の存在ねぇ……怖い怖い。とにかく奢りの約束、忘れんなよ」
「わかっと――」
バグランはぎょっとして魔物を見た。胴体から湧き出る黒い粘液が、首の方へと流れて新たな頭部を形成しつつある。
「葡萄酒はお預けだ。誰も死なずに倒せたら奢ってやろう」
バグランは戦斧を構えた。つられて魔物を見たセラドが「うそだろ」と呟いて、
「なあ、さっき明後日の方向に飛んでったのは相棒のリアル・サムライ様か?」
剣を構えながら尋ねた。
「そうだ」
「死んでもノーカウント?」
「あれしきでは死なん」
バグランは即答した。
(とは言えトンボが欠けたのは痛い。バテマルをかばいながらワシとセラド、ふたりでやれるか? 厄介なのはブレスとスペル……バァバかアンナがいれば……)
「楽しそうじゃないか……ヒヒ」
「エッ!?」
ビクリと振り返ると、背後にバァバが立っていた。
「たまに早寝しようと思ったらうるさくてね。マッタク」
「なんちゅー地獄耳……とにかく、よく来てくれた。なんだその杖、腰でもやったか?」
バァバは老婆だが、杖を持ち歩くことはめったにない。
「オモチャで遊べると思ってね……クク」
「だいぶやられているな」
アンナもいる。気づけばバテマルの傍らにはサヨカが座り、治療をはじめている。
「おお……お前らもきてくれたか!」
バグランが頬を緩ませた瞬間、
「ヴァァァァァァァァァァ!」
予想以上の早さで頭部の再生を終えていた魔物がブレスを吐いた。
「しまっ――」
しかしその凶悪な息は、とつぜん立ち昇った竜巻に吸い上げられて、上空で霧散した。
「あれはアークデーモン?」
竜巻を操るアンナが、金色の眉をひそめながらバァバに意見を求めた。
「似ているが、チト違うね」
「地下から?」
「クク……それはない。だがあるとしたら……。サヨカ、バテマルの具合は」
「もういけます~。いけますよね?」
「ああ、助かった」
バテマルが跳ねるように立ち上がった。
「ヨロシ……。じゃ、アンナ、その竜巻でしばらく動きを封じておいとくれ」
「どのくらい?」
「45秒」
「了解。地上に抑えつけておく」
「ヒヒ……頼むよ」
アンナが
(バァバ、アンナ、サヨカ、セラド、バテマル、それにワシ……これなら、この作戦なら勝てる!)
バグランは確信した。すぐさま全員に指示を――
「エー、コホン。指示を出します……ヒヒ」
出すよりもはやく、バァバが口を開いた。
「アンナはブレスとスペルの対応に専念。アタシがいい感じにしたら、攻撃はバテマルから。アイツの右脇腹をぶん殴って鎧にヒビを入れる。あの左脇腹のヒビ、お前さんのハンマーだろ?」
「そうだ」
「ヨロシ。おなじ要領で右の脇腹もやっとくれ。バグランとセラドは鎧の両脇を縦に斬っとくれ。ヒビを利用して鎧の左右を縦にパックリ割るんだ。仕上げはアタシに任せときな。サヨカはアタシの隣で手伝いとヒールを」
バァバの指示に、バグラン以外の全員が頷いた。
「バグラン、理解できたかい?」
「あ、うむ……。しかし、なぜわざわざ鎧を?」
「あのブレストプレートがクサイ」
バァバは琥珀色の左眼を光らせながら言った。
「は?」
「装備した者を触媒にして呪いの主が顕現し、やがて完全体になる……シークレットパワーの一種ってところかね。おそらく、だが」
「なに? じゃあもとはハンターってことか? 鎧をぶった切れば助かるんだな?」
「助かるとは限らないよ。ハンターとも限らない。人間の気配は微かに残っちゃいるが、解呪は手遅れ。デカブツの中身がどうなっているか……」
「フム。だがやってみる価値はある、と」
「ソ」
「ならさっさとはじめようぜ」
セラドが前衛に立った。バグラン、バテマルがその両脇に並び立つ。後衛にアンナとサヨカ、バァバ。
「そろそろ動くぞ」
アンナが言った。
「ゥゥゥヴォォォアアア!」
力を溜めていた魔物が、両手と翼を勢いよく広げて竜巻を消し去った。獲物を品定めするように目をせわしなく動かす。
「……いま気づいたが、鎧の脇腹を縦に斬るって難儀じゃないか? 腕が邪魔だ」
バグランは魔物を見据えたまま疑問を口にした。
「アタシがいい感じにする、って言っただろ……クク」
バァバが、手にしていた白い杖をサヨカに渡し、サヨカの杖を預かった。
「交換ですか? なんだか禍々しいパワーを感じる杖ですね~」
「クク……敏感な子だね……。じゃ、投げて。アイツの頭の上のに
バァバが槍を投げるフリで指示を出す。
「はい~。じゃあ、いきますよー、そー、れ!」
サヨカが、言われるままに勢いよく杖を投げた。バグランは、その見事すぎる投擲に唖然とした。槍使いが投擲したジャベリンの如く鋭い軌道を描いて飛んでいった杖が――魔物の頭上でビタリと制止して……ドス黒い球体に包まれた。
「ありゃなんじゃ」
「【ガルガンチュアの】杖。楽しいユニーク・アイテムさ」
暗黒球体はバチ、バチと雷のような光を纏いながら膨らみ……ヌッと突き出た巨大な手が、球体の淵を掴んだ。手の主は続けて顔、胴体を覗かせて、強引にこちらの世界に――
「ゴルルルァァァァッ!」
ついに球体から飛び出したのは、全身にボロ布と錆びた鎖を巻きつけた巨人だった。巨人は異様に太く長い両腕を振り上げ、両掌を組み、落下の勢いを乗せ――魔物の頭頂部にハンマーパンチを見舞った。隕石が直撃したような一発に、魔物が膝を突く。着地した巨人は魔物の背後にまわり、羽交い絞めをキメた。動きを封じられて怒り狂った魔物が大きく息を吸い、胸を膨らませる。だがブレスを吐こうと大きく開けた口に、拳大の氷塊が撃ち込まれた。
「ガーガー騒いで喉が渇くだろう。たらふく食え」
大気を操ることを得意とするア
「オオゴボォォォ!」
衝撃で魔物が吹き飛びそうになるが、巨人の羽交い締めがそうはさせない。
「同時に行くぜ。俺は向かって右、オッサンは左な」
セラドが前傾姿勢を取った。
「フン。お前こそ遅れるなよ」
バグランは、セラドと同時にスタートを切った。狙うは――羽交い絞めにされて剥き出しになった脇腹。
「おら、よっと!」「ムゥン!」
脇の下から腰まで一刀両断、バキンッ、と鈍い音が鳴って、鎧の締めが緩んだ。
「でー!? 次はどうするんだ!」
飛び退いたセラドが叫ぶ。両肩の接合部は無傷なままだ。左右の脇腹だけ切断したところで鎧は脱げない。
「こうするんだよ……クク」
羽交い絞めを解いた巨人が、鎧の前面部を掴み、一息に捲り上げた。癒着していた胸、腹の粘りっこい皮膚が、鎧とともにミチミチと剥がれ、魔物の胴体が露になる。巨人はパッカリと開いたブレストプレートを真上に脱がして、放り捨てた。
「ゴバァァアアァアァァァ!」
絶叫する魔物の全身から高温の蒸気が噴き出し、白い靄が視界を奪う。
「アチ! アッチ!」
「やったか?」
「警戒を解くんじゃないよ! アンナ!」
バァバに言われるよりはやく、アンナが竜巻を生んで蒸気を巻き上げはじめていた。たちまち視界が開け、魔物がいた場所に――白い杖。そして小さな男の子が倒れていた。
「は……? 嘘だろ?」
セラドが唖然とした表情で子供を見下ろす。バグランは駆け寄り、細い首筋にそっと指をあてた。弱いが、脈がある。
「……生きてるぞ!」
「どいてくださいー」
駆け寄ってきたサヨカに後を引き継ぐ。
「ヒヒ……奇跡。どうやらその子、ほかにもシークレットパワーを受けていたようだね。マイナスだけじゃなくプラスのブレンド……そのおかげで肉体が持ち応えた、ってところか……運がイイ」
「助かるんだな」
安堵の声を漏らしたバテマルが座り込んだ。
「肉体はね。心の方ははまだ様子を見ないとナントモ」
「こんな小せぇガキがよ……恐ろしいぜ。しかしおかしくねぇか?」
セラドが全員の顔を見回しながら続ける。
「……このガキがひとりでやったのか? 力の解放ってやつが必要なんだろ? それにそんなパワーのあるモン、いくつも持ってるか?」
当然の疑問だ。静かに首を振るバァバの目に、めずらしく本物の怒りが宿っている。
「救いようのないバカタレがほかにいるってことさ。子供を実験体にするような」
「ケッ、なんだよそれ。魔物より許せねぇな。探してぶっ殺そうぜ」
お調子者のセラドの目もまた、めずらしく真剣で、憤怒に満ちている。
「いずれ天罰が下るさ」
「いずれ、って……待ってられるかよ」
「急かさない、急かさない。それは明日かもしれないよ? ……クク」
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