12『欠員と新鋭』

『欠員と新鋭』1/3

 トンボ、イノッチ、イラック、テレコ、ニッチョ、カナン、パッチ、べべ、ジャン……報せを受けたドゥナイ・デンの住人たちがこぞって診療所に駆けつけ、ヘップたちを励まし、セラドの快復を願いながら帰っていった。


 受付と待合室を兼ねた一室。

 誰も喋らなくなってから、もうずいぶんと時間が経つ。ルカ、ホーゼ、ジーラ、そしてヘップの4人は、重苦しい空気と不安に圧し潰されそうになりながら、処置室のドアが開くのを待っている。椅子に座っている3人と違い、ジーラだけは両膝立ちと合掌の姿勢を崩さない。光の乙ミーニル神に捧げる祈りの言葉が、時折微かに聞こえてくる。

 ヘップはまじろぎもせず、ドア見つめていた。幼いころ盗賊団に拾われ、ひたすらにシーフの業を叩き込まれてきた彼には、信仰心というものが無い。いまは亡き頭領のナモンは、義賊王の異称を持つ神レル・ベインの名をしばしば口にし、祈る仕草を見せもした。だがヘップには、どこかその行為が表面的で滑稽なものに思えてしかたがなかった。やがてナモンは道を踏み外し、拾い子の自分に殺される運命を辿る。

 ヘップは神や他人の信仰心を否定するつもりはないが、神に祈るつもりもない。いま、祈るような気持ちで一切を委ねる相手は、扉の向こうにいるふたりのエルフだ。


 ――ここはどの王国領にも属さず、半ば歴史から忘れ去られていた不毛の地、セイヘン。セレンの里でヒュドラー・プラントを撃破したヘップたちは、バァバの手助けによってドゥナイ・デンに戻っていた。


◇◇◇


 処置室のドアノブが回る音に、4人は立ち上がった。静かに扉が開き、沈痛な面持ちのサヨカ、そしていつもどおり無表情のアンナが出てきた。なめし革のエプロンは血にまみれ、結わえられた翡翠色と金色の髪はすっかりほつれている。ヘップは頭に浮かんだいくつもの質問を飲み込み、ふたりのどちらかが口を開くのを待った。

「――なんとも言いようがない」

 金色の眉を微かに動かし、アンナが言った。

「どういうことだヨ」

 ルカが詰め寄った。アンナは表情を変えず、燃えるように赤い瞳で見つめ返す。

「貴様たちが期待しているのは、助かった、もう安心だ……そういう言葉だろう。だが、まだ判断できない」

「そんな……」

「放っておけば確実に失われていた命を、ひとまず繋ぎとめることはできた。セラドは生きている。しかしあの毒は……地の迷宮で経験したものより遥かに手強い。失血量、経過時間、戦闘のダメージ……いくつかの要因も重なり、完全な処置はできなかった」

「ま、また一緒に戦えるんだろ? 旅先でもヨ、アイツ死にそうになったんだ。その時だって……とぼけた顔で、バカみたいに酒だのなんだのって」

「最後まで聞け」

 アンナは切れ長の目を鋭く細めて、ルカの言葉を遮った。

「……毒によって組織が損傷し、一部の臓器は機能不全を起こしている。セラドはこれから死ぬかもしれない……私はそう言っている。そしてこのまま快復に向かったとしても、右目の視力は戻らない。左腕はふたたび義手に頼ることになろうが、神経の損傷からして以前のように動かすことはもう出来ないだろう。体のどこかに重い麻痺が残る可能性もある。……戦う戦わない以前に、日常生活すら苦労するかもしれない」

 淡々と発せられる、痛ましい言葉。何も言えず、黙って聞くしかなかった。

「すみません。師匠も、わたしも、なんとか、したかったのに……」

 サヨカは崩れ落ち、悔し涙を零した。

「貴様はよくやった。私ひとりでは死なせていたかもしれない」

 アンナが静かに言った。

 ホーゼがその小さな手で、彼女の両手を取った。

「サヨカ殿。彼の命を繋いだのは、あなたの力もあってこそ」

「アタイのせいだ……! アタイがきっちり仕事してりゃあ……」

 ルカはギリギリと牙を鳴らし、握り拳を震わせている。

「あの、顔……見てもいいですか」

 ヘップが問うと、アンナは頷き、ドアノブに手をかけた。

「短時間で済ませろ。触れるなよ。鎮静薬が効いていまは眠っている」


 ――銀色の大きな診療台の上に、セラドが横たわっていた。台は綺麗に拭かれており、石床を濡らしたであろう大量の血も、その臭いだけを残してすっかり洗い流されていた。

 4人は口々にセラドの名を呟き、そろりと近づく。

 魔法灯に照らされたセラドの肌は、まだ青黒さを残しているが、本来の色に近づいているように見えた。顔の半分と、途中までしかない左腕、そして胴体のほとんどが包帯に覆われ、右腕から数本の管が伸びている。厚い胸板が上下している様子を見て、ヘップは少しだけホッとした。

「あれを頼めるか」

 アンナに言われて、ヘップは部屋の隅を見た。無造作に積まれていたのは、セラドの所持品だった。泥と血に塗れた防具。緊急処置のためか、切り裂かれた肌着類。壊れた楽器。それに――折れた剣。全財産を注ぎ込んだ伝説級の剣だと自慢していた彼の顔が、脳裏に浮かぶ。

「手入れしておきます。またいつでも使えるように」

 ヘップは声の震えを悟られぬよう、淡々と答えた。

「サヨカ、貴様も休め。あとは私が見ておく。なにかあれば報せてやる」

 アンナが、処置室の外で座り込んだままのサヨカに声をかけた。

「はい……」

 サヨカは俯いたまま答えたが、立ちあがろうとしない。すると、ルカがサヨカに歩み寄り、手を差し伸べた。サヨカは驚いたようにルカを見上げて、少し躊躇ったあと、その手を取った。ルカに引っ張り上げられて、彼女は立ち上がった。

 セラドの荷物は、体格のよいルカがそのほとんどを受け持った。サヨカは折れた剣を大事そうに抱え、ヘップとホーゼは道具類を担当する。ジーラは直立不動の姿勢を崩そうとせず、ブロンズ色の大きな目をしっかりと開き、セラドの姿を網膜に焼きつけている。フェルパーの悲願のために命を賭した男の姿を。

「ホラ」

 ルカが、義手をジーラの胸に突きつけた。

「ここの鍛冶屋が作ったんだとヨ。いまは不在らしいから、今度相談してみよーぜ」

 ジーラはその重みを確かめるように義手を両手で支えて、静かに頷いた。


◇◇◇


 久しぶりに迎えたドゥナイ・デンの朝は、旅して回ったどの場所よりも静かだった。早めに目を覚ましたヘップは、昨晩のことを振り返る。


 落胆するヘップたちを診療所の外で待っていたのは、ハーフリングのテレコだった。

 ――「アンタたち! 全員ウチに泊まりな! 長旅で疲れた体にはね、ウチの薬草風呂! 栄養満点の食事! それに上等なベッド! ホラ! さっさとついてきな! 替えの服? アンタね、ウチは血まみれ埃まみれ体液まみれのハンターを相手にしてる宿屋だよ? ノームのアンタは……ベベの古着が丁度いいね。オーガのお嬢さんはすまないけど口元を隠しとくれ。ああ、汚れ物を綺麗にしたけりゃ専用の洗い場でね。ヘップ、明日にでも案内してやって」

 チャキチャキと話を進めるテレコに言われるがまま、5人は湯に浸かり、食事を摂り、大部屋のベッドで気絶するように眠ってしまった。


 ヘップは、まだベッドで眠っているサヨカ、ルカ、ホーゼを起こさぬようそっと部屋を出た。1階に降りると、空きっ腹を刺激する美味そうな匂いにつられて、足が自然と大食堂の方へと向かう。ふとセラドの顔が頭に浮かび、己の食欲に罪悪感を覚えてしまう。

「おはようヘップ兄ちゃん!」「ご飯できてるよ! 私たちはもう食べたよ!」「ヘップ兄ちゃんだー」

 廊下を走ってきたハーフリング三姉妹は、今日も元気そうで癒される。

「おはよう。カナン、パッチ、べべ」

 ヘップは気を取り直し、まとわりつく小さな頭をくしゃくしゃと撫でながら大食堂に向かう。

「ねえセラドは?」「セラド助かったの?」「おじちゃん大丈夫?」

「うん、みんなが心配してくれたから、きっと大丈夫。ねえ、ジーラさん見なかった?」

「猫さん、ひとりでご飯食べようとしてたから一緒に食べたんだよ!」「わたしあの人好き!」「猫さんはごちそうさましてお外に行ったよ!」

「え、そうなんだ……」

 大食堂に入ると、6人掛けのテーブルがいくつも並んでいる。うちふたつには、6人組と4人組のハンターたちが座り、朝食を摂っていた。さらにその奥、隅のテーブルに、金髪の青年がひとりで座っている。違和感を覚えたヘップは、悟られないように青年を観察した。この頃になっても、ドゥナイ・デンに足を踏み入れる新顔はゼロではない。だが、青年の身だしなみや食事作法は慎み深く……それでいて護衛の類を引き連れていないことが、不自然だった。

「お母さんとお父さんに知らせてくるね!」「私はサヨカさんたちを起こしてくる!」「あたしも行くー!」

 ヘップは「ありがとう」と言って、食器が並べられた卓に腰掛けた。目を閉じ、深く息を吸う。3つ首の蛇竜。至らなかった自分の戦闘力と采配。崩れ落ちる仲間たち。満身創痍のセラド――

「よう、ヘップ。聞いたぜ」

 声をかけてきたのは、先ほどまで別テーブルに座っていた古参のドワーフレンジャーだった。ニューワールドの常連客、名はアイーレ。人情味のある男で、セラドとも何度か酒を酌み交わしている男だ。

「大丈夫か?」

 アイーレの表情と口ぶりは、セラドだけでなくヘップのことも心配してくれているようだった。

「はい。一命は……でもまだ油断できない状態で」

「そうか。ま、ドワーフ並みにしぶてぇ男だ。きっと良くなる」

 三つ編みの髭をしごきながら、アイーレは力強くヘップの肩を叩いた。

「はい。きっと……」

「虫みてぇな返事だなオイ。……しっかし、あれだけ深く潜ってる男がまさか地上で大怪我するたぁなあ。一体なにが起きてるんだ? お前もサヨカちゃんもいきなり旅に出ちまうしよ。バグランとバテマルちゃんだってそうだ」

「あ、いや、それは……」

 バグランとバテマルがモリブ山に向かった件は、昨晩バァバから聞いていた。トンボはセラドの見舞いにジャン少年を連れてきて、彼がニューワールドの手伝いをしてくれていると言っていた。

「バグランめ、ワシがバテマルちゃんを狙っているのを知ってて……。アッ、そういやバァバが酒場にハンターを集めてなにか話すらしいが、知ってるか? 今日の夜だ」

「え? はあ、いや」

 察しはつくが答えてよいのか判断できず分からず、ヘップは口ごもった。それをどう受け止めたのか、老け顔のアイーレは豪傑笑いをする。

「ワッハ! そうか。ま! 困ったコトがありゃよ、遠慮なく声かけな。テルル山の名射手、必中のアイーレ様とその仲間たちにな!」

 アイーレは目じりに皺を刻みながらウインクし、食堂から去っていった。彼の仲間たちが追いかけ、茶々を入れる声が廊下から響いてくる。

「もう必中とか言うのよしなよ恥ずかしい」

「うるせぇ!」

「昨日も何本か外してたろ」

「いいえ全部カスってました!」

「雑貨屋に老眼レンズ売ってたわよ」

「いらんわ!」

 ヘップが苦笑していると、入れ替わりでサヨカたちが食堂に入ってきた。


◇◇◇


 食事を済ませた4人は、テレコとニッチョに礼を述べ、急ぎ足で宿屋裏手に向かった。テレコによれば、食事の際にジーラが洗い場のことを訊ねてきたと言う。

「おはようございます」

 布服姿のジーラは、すでに4人の防具の手入れを終えていた。長旅でくすんでいた金属は輝きを取り戻し、汚れ切っていたホーゼとサヨカのローブはニッチョ特製の洗濯石鹸で丁寧に洗われていた。まるで生き返ったような装備を見て、4人は口々に感謝の言葉を述べる。

「いえ、いいんです。私のは汚れていませんし……せめてなにかしたくて。でもヘップさんの皮鎧は損傷が激しいので、補修は難しそうです。それに――」

 ジーラが視線を向けた先には、泥と血にまみれたセラドの装備品が置かれていた。

「これは、私が勝手にしないほうがいいと思って」

 全員がブラシを手に取り、装備品をひとつ選ぶ。

「はいヨ」

 ルカが、ジーラにリュートを手渡した。

「専門家に見せる前に、キレイにしとこーぜ。アタイがやるとブッ壊しちまいそうだしさ。アンタ細かい仕事、得意そうだし」

 ジーラは少し戸惑いを見せたあと、「はい。任せて」と言って袖を捲りなおした。

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