『港町の蛙、無人島の猫』4/4
女王の間と呼ぶには、あまりに狭く質素な一室だった。案内されたツリーハウスの内部、一番奥まった壁際に、女王の玉座……と呼んでよいのか躊躇うほど飾り気のない椅子が一脚のみ。その他には、調度品の類がひとつも見当たらない。
ジーラとヘップたちは、玉座手間の床敷に車座になっていた。手狭なため、セラドとルカは立ったまま壁に体重を預け、フェルパー特製のハーブ茶を啜っている。全員無言。沈んだ表情の時間がしばらく続いていた。
「……マズイぜ」
セラドが口火を切った。気まずい空気に耐えきれなかったらしい。
「いや、茶が不味いって意味じゃねーぜ? まあ酒のひとつでもありゃ良かったんだが……問題はそこじゃねぇ。テメーらよく見たか? 見たよな? 見ろよアレ。マズイだろ」
セラドが顎をしゃくった先――女王の椅子に、ふたたび全員が注目する。
背もたれに体を預け、先ほどと同じ姿勢のまま、ドーラが座っている。他のフェルパーよりも痩せ細り、体毛のあちこちに白髪のようなものが混じっている。
ジーラに「彼女がドーラです」と紹介されたそのフェルパーは、一言「ア」と発したきり……焦点の定まらぬ目でどこか遠くの何かを見つめたままだ。
「完全にボケてんじゃねーか。ダメだろこりゃ。とんだ無駄足だぜ」
「セラドさん」
ヘップは慌ててセラドをたしなめた。
「いてっ!」
ルカが肘でセラドの脇腹を突いた。
「いってーなコラ! テメーらが言いづらそうだからオレが言ってやってんだよ。あの婆さんがまともに戦えると思うか? 地下1階におりる階段ですっころんで即死だぜ」
セラドは苛立ちを隠さずに言い切った。ジーラは気分を害したふうでもなく、大きな目を少しだけ細めてそのやり取りを見ている。
「ジーラさん」
ヘップは彼女に向き直って姿勢を正した。
「はい。なんでしょう」
「あなたも ”戦士たち” について知っているようですが、どこまで」
「お婆様は隠さず話してくれました。過去に起きたこと。ハイエルフの内戦。厄災との戦い……そして将来、避けられぬ厄災との再戦。お婆様がふたたび戦に身を投じるつもりであること。もう6名、新たな戦士が必要であること。……貴方たちは選ばれたのですね」
黒く細長い瞳に見据えられ、ヘップはゆっくりと頷く。
「トビーさんを除いて、いまここにいる5人がそうです。そしてその ”将来” はすぐそこまで迫っていて、時間がありません。……ですが、あとひとり。あとひとり足りません。ドーラさんは、候補者についてなにか仰っていませんでしたか」
「かつては母が――その候補者でした。ですがもうこの世にいません」
室内の空気がさらに重くなった。
「いまは、私が候補者です」
「ジーラさんが!?」
「はい。お婆様は、母を候補者として鍛えるのと同時に、まだ幼かった私にも厳しい修練を課しました。母も……母として、姉弟子として、私に多くのものを授けてくれました。まだまだ教えを乞いたかったのですが、10年前に母が戦死し、セレン奪還が絶望的になった日を境に、お婆様の知的、精神的能力は急速に失われてゆきました。フェルパーとしてはかなりの高齢ですから、不自然ではないのですが……」
「……なるほど。つまり、オイラたちと組むのがジーラさんで、先の戦士たちと組んでいたドーラさんの代わりがいない、と」
「そういうことです」
「うーん……」
ヘップは腕組みして唸った。12人目を見つけたと同時に、既存の人員がひとり欠けた。まずはこの事実をバァバたちに伝えなければならない。
「わかりました。ではジーラさん、オイラたちと一緒に来てくれますか」
「いえ。それはできません」
ジーラは決意に満ちた表情でキッパリと言った。
「エッ?」「ハァー?」「なんでだヨ!」
「私は女王の代理を務める身。セレンの里を取り戻すまで、皆のもとを離れるつもりはありません」
ジーラはヘップたちを見まわしてから、過去を語った。
フェルパーの故郷――セレンの里は、過去に2度、壊滅的打撃を受けていた。
最初の事件は、およそ50年前に起きた。かつて厄災を討ったエルフの賢者ホーカスは、セレンに身を寄せ、静かに余生を送っていた。聡明なホーカスはフェルパーたちの暮らしを良い方向に導き、ヴァルキリーに秘技を与えもした。だが、その後ホーカスは地の厄災に成り果て、大勢のフェルパーたちが虐殺された。同胞の死に責任を感じていた若き女王ドーラは、賢者ヤコラやフロンたちと共に地の厄災に挑み、勝利した。
2度目の事件は、その3年後に起きた。地の迷宮から生還したドーラをはじめ、虐殺を免れたフェルパーたちによって、セレンの復興の目途が立ってきたころ。3つ首の巨大な魔物が前触れもなく地中から現れ、大勢のフェルパーを殺し、建て直したばかりの家屋をことごとく破壊した。ヴァルキリー隊が反撃を試みるも死者が増えるばかりで、ドーラは一時的に里を捨てる判断を下した。セレンの里には、信仰に不可欠なセレンの泉があった。苦渋の決断だった。
「……そしていくつかの地を放浪したのちに、この島に辿り着いたそうです。セレンの泉の神秘に似た滝つぼを見つけたとき、お婆様は『光の乙女』ミーニルの導きを感じたそうです。しかし私たちの故郷はセレン。皆で彼の地に還るまで、私はここを離れるわけにはいかないのです」
ジーラが言い終えると、ドーラが「ア」と言葉を発した。全員が注目するが、ドーラはボーっと口を開けたままふたたび黙ってしまった。
「……お母さんは戦死した、とのことですが、その3つ首の魔物に?」
ヘップは少し話題を変えることにした。
「ええ。私は同行させてもらえませんでしたが、過去に3度、セレン奪還作戦を決行したことがありまして……」
ジーラはそこで口を閉じた。いまここで暮らしている事実が、失敗を物語っている。
「その魔物ってのはヨ、一体なんなのさ?」
「地の厄災となったホーカスがセレンを発つまえに、大地に植え付けた……お婆様はそう確信していました。魔窟にも同種の魔物がいたそうです」
「へぇ、ダンジョンにも? なんて名前なんだ? オレはダンジョンに詳しいぜ」
セラドがニヤリと笑った。
「ヒュドラー、プラント」
「あ? ヒド、プラン……」
「知ってますー。ヒュドラープラント。植物にも似た3つ首の蛇。サイズは一般的な蛇と同程度。それぞれが別種の体液を吐く。とくに注意すべきは毒液で、解毒薬や治癒スペルが効かないと言われています。少量でも粘膜に付着すると数日は高熱、嘔吐、痺れ、幻覚に悩まされ、場合によっては死に至ることもあるそうですー」
サヨカは細い顎先に人差し指をあて、記憶を掘り起こすように目を動かす。
「オイオイオイ。なんでそんなに詳しいんだよ。ダンジョンバージンだろ?」
「医療に役立つコトはアンナさんから色々と教わってますからねー。彼女が所蔵する資料も読み尽くしました。リサーチリサーチ」
「チッ」
「あー! 舌打ちですかー? やっかみですかー?」
「んなわけねーだろ」
「毒を吐く首も厄介なのですが」
ジーラが割って入った。
「……厄介なのですが、フェルパーにとって最大の脅威は、別の首が吐く体液。その臭いです」
「ニオイ? ……クセぇのか?」
「お婆様や、生還した同胞の話によれば、フェルパーにとって致命的な臭いなのだそうです。短時間で意識が朦朧とし、運動機能が低下。やがて思考が完全に麻痺し、支離滅裂な言動を取って味方にも攻撃を。……もともと嗅覚が鋭いことが原因なのかもしれませんが、詳細は解明できていません」
「でも婆さんは倒してたんだろ? ダンジョンでよ」
「はい。しかしサイズが違いすぎます。魔屈で遭遇するヒュドラープラントは蛇ほどに小さく、セレンのそれは大樹のように大きい。セレンは魔素を含んだ泉と肥沃な大地に恵まれていますので、その力を蓄えて異常発達したのだと思われます」
「でたよ異常発達。蜘蛛の次は蛇かよ」
セラドがウンザリした顔で肩をすくめる。
「魔窟で苦戦しなかった理由は、もうひとつあります。その臭気が他種族――人間族、エルフ族、ドワーフ族、オーガ族にはさほど影響を与えないようで、仲間に任せることができた、と」
「フン。仲間、ねぇ……」
セラドがボリボリと頭を掻きながら鼻息を漏らした。
「あのよ、その頼りになるお仲間はご健在だぜ? 助けを求めなかった理由は何なんだ? 里がピンチです、助けてください。ハイ、退治。万歳! そうすりゃ――」
「彼ら、彼女らにも成すべき事……それぞれの務めがあったと聞いています。それにこれは私たちの問題」
「私たちの問題?」
癪に障ったのか、セラドの声は明らかに苛立っていた。
「なーにが私たちの問題ですだ。バカか? あ? オレがクソ遠いこんな島まで来てんのはな、テメーらが行方不明の音信不通になっちまったからだ。50年もな。50年だぞ? 失意の婆さんは約束を果たすまえにボケちまって戦力外。おかげでまた人探しだ。東へ西へ。北へ南へってな。モタモタしてっと他の種族も故郷を失うどころか滅亡だ。結局よ、巻き込んでんだよテメーらは。ったく」
「……その通りですね。ええ。その通りです」
ジーラが顔を伏せ、黙ってしまった。
「話はよく分かりました。ハーブ茶、ご馳走様です。では……行きましょうか」
ヘップは空になった器を置き、勢いよく立ち上がった。
サヨカとホーゼも続く。
「ご足労いただいたのにすみません。お力になれず……」
ジーラがさらに深々と首を垂れる。トビーがジーラとヘップたちを交互に見て、悲しそうな顔をする。
「ヒッポグリフで船までお送りします」
ジーラが申し出る。
「セレンの里は、ここからどのくらいですか」
ヘップは訊ねた。
「え?」
「ヒッポグリフで送ってもらえると助かるんですけど、距離的にどうでしょう」
「いえ、あの……1日半ほどです。途中で翼を休めながら……ですが」
「ではお願いします。案内だけで構いません。オイラたちが戦います」
「戦う? あの、どういう……」
「ヒュドラープラントねぇ。ま、首がいくつあろうとヨ、所詮は蛇だろ?」
ルカが背伸びし、首をゴキゴキと鳴らす。
「お嬢、油断は禁物ですぞ」
「そんな! いけません」
ジーラは座り込んだまま、戦士の顔になった一行をオロオロと見る。
「いけません? ヘップ隊長の決断に指図すんじゃねぇ」
セラドがジーラの前にしゃがみ込み、ズイっと顔を近づけた。
「そ、それは、そうですが……」
「ヘップ隊長はこう仰っている……。めんどくせーからさっさとブッ殺して帰ろう。ニューワールドのエールと葡萄酒が恋しくて仕方ねぇぜ、ってな」
「言ってませんよセラドさん。ただ、問題があれば解決して来いってバァバたちが」
「まーまー。つまりはそういうコトさ。目の前の問題を解決して、話を先に進める。……だから新入り。支度しろ」
玉座で黙りこくっていたドーラが、また「ア」と言った。その顔はどこか嬉しそうに見えた。
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