『港町の蛙、無人島の猫』2/4
トビーに言われた通りに路地を進んだ一行は、町はずれに鋭くそびえる岩壁を目指して走っていた。その根元に穿たれた洞窟の入り口で番をしていたフロルグふたりが、一行に気づいて手招きする。
「サ、こちらへ」
片方のフロルグが入り口に挿してあった松明を手に取り、先導をはじめた。
「トビーさん、強かったですね」
ヘップの声が、狭く湿った洞窟内に響く。
「ああ。ありゃ只モンじゃねーな」
「ホッホ。フロルグの筋力と敏捷性は人間のそれを遥かに凌ぐと言いますからな。一方で慎ましく、禁欲的な性格の持ち主であるからして、
「モンク? 詩にも出てこねーな。あの棒術も初めて見る動きだった」
「ニューワールドでも見かけたことありませんね」
「わたしもはじめてですー」
「厄介な相手だヨ、モンクは」
背後からルカの声。
「ス
セラドが首を回し、好奇心に満ちた目を向けると、ルカは首を横に振った。
「違うね。全身を武器にする
「へぇ……なぁ、お前もモンク?」
先導するフロルグもトビーと同じく、細長い棒を背負っている。
「エエ。そんな大したモンじゃねぇでスが。……ササ! 着きヤシたよ」
微かに聞こえていたさざ波の音が大きくなり、洞窟の視界が急に開けた。
太陽光が僅かに届く、大きな海蝕洞。透き通った海水は宝石のように青く輝き、細身の中型船を係留するに充分な幅と深さがあるように見えた。船をU字に囲むゴツゴツとした足場は水面より随分と高く、甲板に渡された板はほぼ水平だ。
「わぁー! 綺麗ですねー」
「ホッホ! 天然の
「奥にはワッシらが住めるように穴を掘って、設備を揃えてヤス」
案内役のフロルグが誇らしげに胸を張った。
「どのくらいいるんだ?」
出航準備に励む色違い模様違いの蛙人族たちを眺めながら、セラドは訊ねた。
「18でス。うち船員は12。あ、仲間って意味じゃ、コッソリ協力してくれてる人間も町に何人かいヤスね」
「へぇ……てかよ。海水、大丈夫なのか? ホラ、お前らってカエル……」
気になっていた質問を投げると、フロルグはケロケロと笑った。
「問題ありヤセンよ」
「ホッホ。興味深いですな。船乗りのフロルグ……。ましてや人間を相手に大立ち回りするとは、意外や意外」
「エエ、エエ。……フロルグってのは根っからの臆病モンで、閉鎖的で、湖のほとりで心穏やかに暮らしたい……そんな種族でサ。大半はいまもそうしてヤス。でもね、ワッシらはガキの頃に、エルフの賢者サマから教わったんでス。この大陸には暑いも寒いも、潤いも乾きもあって、いろーんな種族が生きてる。その話がもう面白くって。だからここにいるモンは、ヒトリ立ちしてすぐに里を出たヤツらでサ。ま、連れションってほどの仲良しでもねかったんで、みんなバラバラに旅だの修業だのって別の理由で。そのあとにトビーの呼びかけで……って、トビーのヤツ、遅いね?」
ハッ、と我に返ったような表情を見せたフロルグは、そのお喋りな口をパッカリと開けたまま考え込んでしまった。
◇◇◇
「追い詰めたぞ!」「観念しやがれ!」「もう我慢できねぇ、ブッ殺しちまえ!」「殺すな! とっ捕まえろって命令だぞ!」
血走った目でトビーを囲む男たちの数は、いまや20人近くに膨れ上がっていた。路上のあちこちで昏倒している男たちが目を覚ましてふたたび加わるのも、時間の問題。屋根の上に逃げる算段は、頭上から牽制してくる何本もの槍によって阻まれていた。
「ケケ。コリャ困った」
二の腕の傷から流れ出た血が腕を伝い、棒を握る手を滑らせる。
(時間は充分稼げた。あとはドックにトンズラするだけ。全面的にコトを構える度胸なんざ組合長にゃ無いハズ……しかしコイツらは? すっかり我を忘れちまってる。全力で反撃すれば突破できるが大怪我させちまう……)
トビーが長い舌でペロリと掌を舐め、構え直したその時。
「グェッ」「オゴッ」
上空から呻き声が聞こえて、左右の屋根から男たちが降ってきた。目を細めて振り仰ぐと、左右の屋根に、太陽を背にした黒い人影がひとりずつ……腕を組み、凛とした姿勢で立っていた。
「行け」
一方の影が、トビーに向けて言った。トビーは決断的に屋根の上に跳び上がった。声の主の姿を確かめると、黒装束に黒頭巾の男が鋭い目で路地を見下ろしている。ニンジャだ。
「どこのどなたか知りヤセンがこの御恩、必ず」
「先ほどの旅人たちを無事に島へ送り届けよ。それで貸し借り無しだ」
ニンジャは下で騒ぐ男たちを睨みつけたまま、抑えの利いた声で言った。
「ケケ。承知! ロクでもねぇヤツらですが、殺生だけは勘弁を」
トビーは言い置いて、隣の屋根に飛び移った。
◇◇◇
「アッ!」「オイコラ待て!」「クソ! 逃がすな!」
呆気に取られていた無法者たちが動きはじめた。ニンジャは静かに屋根から飛び降りて、正面に立ちはだかった。
「ドケコラァ! 死にて――」
先駆けて飛び掛かってきた男のみぞおちに正拳突きを入れる。男が体をくの字に曲げて真後ろに吹き飛び、巻き込まれて将棋倒しになった連中の悲鳴と罵声が飛び交う。引き返そうとした残りの者たちは、背後に立つもうひとりのニンジャに気づいて狼狽えた。
「じゃ、邪魔すんな!」「てめぇら、アイツらの仲間か!?」
「……はて? 知らんな。ただの通りすがりだ」
ニンジャは首を傾げてから、脚を肩幅に開いて徒手格闘の構えを取った。
「儂らは稽古が好きでな。お主らは体格も良し。血の気も十分。……どうだ、ひとつ付き合ってくれぬか?」
◇◇◇
準備万端のドックにトビー船長が戻り、留守を守るフロルグ6名に見送られながら出航したその日の夜。
目を見張る持久力でオールを動かしていた
トビーは船首に立ち、夜空を眺めていた。
「眠らないんですかー?」
澄んだ声に振り返ると、サヨカが一歩一歩、慎重に足を前に出しながら近づいてきた。
「おやエルフの御嬢サン。初めての船旅、御加減は大丈夫で?」
「はいー。平気です。なにしてるんですかー?」
出航して数刻後、ルカは船酔いにやられて寝込み、セラドは大海原を眺めながらしこたま酒を飲んで轟沈した。
「エエ。星の位置とね、海の様子を。順調、順調。明日の朝には島に着きヤスよ」
「おかげで助かりました。でも……疑わなかったんですかー? わたしたちのこと。組合の罠だー、とか」
サヨカは言いながらトビーの隣にしゃがみ込み、
「ケケ。……商売相手を見る眼力と偵察力には自信がありヤシてね。ゴタゴタに巻き込んじまってスイヤセンでした」
「そんなそんな。わたしたちのために怪我までさせちゃって……ちょっといいですかー?」
サヨカがそっとトビーの二の腕に手を伸ばし、血の滲んだ包帯をほどいてゆく。
「こんなモン、舐めときゃ治りヤス。フロルグは再生力が自慢なんで」
「だめですよー。目に見えない病原が入ると大変です。熱、痙攣、死んじゃうことだって」
治癒者の顔になったサヨカが、傷口に掌をかざしながら短く詠唱する。
「ケロ……こりゃスゴイ」
「ハイ、これでよし、っと。無理すると傷が開きますから、気をつけてくださいね」
「わかりヤシた」
「……あの襲ってきた人たち、酷いですね。トビーさんたちは人助けしてるだけなのに」
「ケケ。アッシらも商売なんでキッチリ渡し賃は頂きますケドね。邪魔されるのは慣れっこでサ。今日はチィとばかしオオゴトになっちまいヤシたが……」
トビーは頭をつるつると掻いて、ケロリと笑った。
「怒ったり憎んだり、恨んだりしないんですか?」
「エ? ……そうでサねぇ。いまは。いまはね。……むかぁし、見せしめにアッシの幼馴染が殺されたんでスよ。そんときゃあもうカーッと頭に血がのぼっちまって、抗争じみた衝突に発展しヤシた。……でもコッチはコッチでね、お嬢サンには言えないようなやり方で報復して……お互いサマってヤツでサ」
真剣な眼差しで耳を傾けるサヨカを和ませようと、トビーはまたケロリと笑った。
「わたし、お嬢さんって年じゃないですよー? あと名前はサヨカです」
突然ズイ、と顔を近づけられて、トビーは一歩後ずさる。
「おっと。すいヤセン、サ、サヨカサン。
トビーはサヨカをしげしげと見た。人間で言えば少女と呼べそうな、あどけない顔。今日出会ったばかりの彼女はそんな印象だったはず。しかしいまは……。
「詳しいですね。エルフのこと」
「ケケ。エルフの賢者サマが、アッシの故郷で隠居していた時期がありヤシてね。いろいろ教えてもらいヤシた」
賢者ウヤンの穏やかな顔は、50年経ったいまでもはっきりと思い出せる。彼が大陸の未来を脅かす存在になってしまったことを、当時のトビーは信じることができなかった。
「内戦のとき、わたしは8歳でした」
サヨカが、暗い海に向かって呟いた。トビーは驚きを隠せず、目を大きく開いて喉を鳴らしてしまった。つまり目の前のうら若き女性は、エルフがハイエルフと呼ばれていた時代から生きていていることになる。
「大好きだった父は、わたしの目の前で死にました。いつも優しかった祖母も、叔父さん、叔母さんも、タリューの美しい森や泉で一緒に遊んだ友達も。みんなブラッドエルフに殺されてしまいました。あのときのわたしは……なにが起きているのかよく理解できずに、ただただ母の腕の中で……嵐が過ぎ去ることを願うしかありませんでした」
「御辛かったでしょう」
「すべてが終わったあと、母や同胞のエルフたちはタリューを捨てました。捨てるしかありませんでした。でもみんな、外の世界を知りませんでした。慣れない旅。多種族とのいさかい。食べるものすら手に入らない貧しい暮らし。また大勢が死にました。……母も。まだ成長期を迎えていなかったわたしのような幼子や、外で生まれた子らは、なんとか新しい環境に適応していくことができましたが」
「ウッドエルフ……」
サヨカが小さく頷いた。
「やがて成長したわたしは、過去を調べました。わたしの父を殺した張本人は、内戦で死んでいました。その息子は、厄災を討った英雄だと称えられたまま、病死していました。……そして、孫娘は生きていました。2親等にまで及んだ禁忌の代償によって、彼女もブラッドエルフになっていました。金色の髪。炎のように赤い瞳。触れた者を傷つけるほど鋭く尖った長い耳。彼女の顔を見て、8歳のときの記憶が鮮明に蘇りました。似ていたんです。あのときに見た顔と……わたしは我慢なりませんでした。……初めて、殺意というものを抱きました」
トビーは黙って頷いた。厄災との戦いで生還した4名のうち、ブラッドエルフは弓の達人ひとりだけだったと聞いている。
「――でスが、思いとどまった」
「……どうしてそう思います?」
サヨカは切れ長の目を丸くし、トビーを見た。トビーは濃緑色の瞳に向けて答えた。
「あちこちを旅したアッシにゃ分かるんでス。サヨカサンの目はね、復讐者の目でも、復讐を遂げちまったモンの目でもねぇんで。他人思いの……優しさに溢れた目でサ」
サヨカは唇を震わせ、うつむいた。
「あれー。ごめんなさい、へんなコト話しちゃって。誰にも話したコトないのに。おかしいな。ウフフ―」
「いいんでス。そんじゃサヨカサン、アッシね、皆サンの旅について気になってるコトがありヤシて。差支えなきゃ是非、是非、知りたいんですが……」
「なんですか? なんでも教えちゃいますよぉー。わたしもいろいろ聞きたいですー」
サヨカは鼻をすすりながら顔を上げ、長く美しい人差し指で目尻を拭うと、花が綻ぶように微笑んだ。
「ケケ。そんじゃ、あったけぇ葡萄酒でもやりながら、どうでス?」
「ウフフ。いいですねー」
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