10『港町の蛙、無人島の猫』
『港町の蛙、無人島の猫』1/4
船乗たちの赤ら顔は日焼けか、あるいは酒によるものか。暑苦しい男衆でごった返す、埠頭高台の青空酒場。まだ太陽が真上で輝いているにも関わらず、テーブル代わりに並べられた樽のほとんどが占領されていた。
見晴らしの良い一画の樽に陣取ったセラドとルカは、海から吹き付ける潮臭い風を浴びながら、乾いた喉を癒していた。先ほどまで背嚢から聞こえていたホーゼのイビキは、客たちの喧騒にすっかり掻き消されている。
「クゥーッ! 久しぶりのセイシュ、たまんねーな」
「……美味いのか、それ?」
言葉少なに山羊の乳を飲んでいたルカが、目を細めてセラドの手元を見た。木製の四角い容器。そのなかで揺れる無色透明な液体に、多少の興味はあるようだ。
「おう。これは海の向こう、トンボの故郷ヴィ・フェンでしか作れねぇ酒でな。エールや葡萄酒に比べりゃずいぶんと値が張るが……この独特な香りと味わいがクセになる。コメが原料ってんだから驚きだ。コウジとかいう謎めいた粉を混ぜて発酵させているんだとかなんとか」
「詳しいんだな。ここにはよく来ていたのか?」
「いんや、数回だけ。酒のウンチクは行商人の受け売りだ。保存の問題でヨソじゃ滅多にお目にかかれねーのが残念……」
飲んでみるか? と促すと、ルカは口をつけて……顔をしかめた。その肩向こうに、ヘップとサヨカの姿が見えた。
「おいこっちだ! ヘップ! ……あの顔じゃ、アイツらも空振りだな」
コップを持ったヘップとサヨカが、器用に酔客を避けながら合流した。ヘップは近場に転がっていた木箱を手繰り寄せて足元に置き、樽の縁からヒョッコリと顔を出す。
「ハァ。ダメでした」
ヘップが力なく言った。
「……ったくどうなってやがる。船乗りの野郎、島の話をした途端にアーダメダメ、アーソリャムリの一点張りだ。駄賃はたっぷり払うって言ってんのによ。口を揃えてお断り。理由すら言おうとしねぇ」
「ええ。それでオイラたち、漁師にもけっこうあたったんですよ。小さい船なら融通利かせてくれるかなって。でも全滅」
ヘップが言いながら、海の方へと視線を彷徨わせる。セラドもつられて、眼下に広がる埠頭を何気なく眺めた。小さな村ひとつがスッポリと収まりそうな、広い広い埠頭。埋め立て整備された石敷きの陸域から青い海へと伸びる巨大な桟橋は、全部で5基。いまはそのうち3基に大型船が停泊しており、荷の揚げ積みを担う港の男たちや船夫、護衛を引き連れた商人らが、忙しなく動き回っていた。その大半は人間だが、こうして全体を見渡してみれば肌や髪の色、船の外形、積み荷……なにもかも一様でないことが分かる。
(行ってみてぇなあ。海の向こう)
桟橋からやや離れた岸壁に目を向ければ、大小を問わずひしめき合うように係留された漁船の群れが見える。早朝の水揚げを終えた漁師たちは道具の手入れを終え、すでにこの青空酒場で酒盛りを始めている。
「ブンどっちまうか。小さい船。ちゃんと返せば……」
口にすると、女性ふたりが咎めるような目でセラドを睨んだ。
「ダメですよセラドさんー。ドロボウはよくないですー」
「アタイは嫌いだねそういうの。漁師だって生活がかかってる」
「んだよ善人ぶりやがって。大陸の命運がー、ってときによぉ」
「そもそも」
エールを飲んでいたヘップが遮った。
「このなかに船を操れる人、います?」
全員が黙る。
「……いませんよね。漁師がポロっとこぼしたんですが、例の無人島はここから近いといってもけっこうな距離があって、途中に厄介な潮の流れがあるそうです。素人がどうにかできる話じゃなさそうですよ」
「ソノトーリッ!」
「うおっ!? あっ、ちょ、酒が、オレの」
背後から突然声をかけられ、セイシュが樽の上にこぼれた。セラドは慌てて口を尖らせ吸おうとするが、劣化した木材に浸みこむほうが速かった。
「ッ……もったいねーなぁ! 誰だコラァ!」
拳を握り締めて振り向く。が、誰もいない。
「下、下」
声につられて下を見ると、ボロ切れをほっかむりにした何者かがセラドを見上げていた。年季の入った革鎧を着て、薄汚れた布ズボンを履き、細長い木の棒を背負っている。一見すると少年のようだが……その顔つきと黄緑色の肌は、どう見ても人間ではなかった。
「……カエル?」
「ホッホ。フロルグですな。珍しい」
いつの間にか目を覚ましていたホーゼが、ルカの背中から顔を覗かせて言った。
「フロルグ? ジジイの手記に出て来たアレか」
「わー、初めて見ましたー。カワイイですねー」
「ハ? 可愛い? 冗談言うなヨ。バカでかいカエルが2本足で立つなんて」
誇らしげに胸を張って鳴き袋を膨らませていたフロルグは、全員の注目を十分に集めてから一歩下がり――仰々しくお辞儀をして見せた。
「ドモ。アッシの名はトビー。決して怪しいモンじゃありヤセン」
――ここはカナラ・ロー大陸の交易拠点、港町ビスマ。モリブ山でバテマルがグレート・フォージに向き合いはじめたころ、5人は船探しに奔走していた。
◇◇◇
「騙そうってんならその首、一瞬で飛ぶからな。何色の血が噴き出すか楽しみだぜ」
「ケケ。赤ですよ、ダンナ」
先頭をゆくトビーは、セラドの脅しに怯える様子もなく、人間と変わらぬ足つきで細い路地を進んでゆく。高台の青空酒場から海の方へと続くなだらかな坂を下った先の、住居区画。隙間なく建ち並ぶ木造住宅はお世辞にも立派とは言えず、時折見かけるのは老人か子供ばかり。
「怪しいもんだね。こんな狭い場所をコソコソクネクネ歩いてヨ」
「ご安心くだセ。オーガの御婦人」
フードとスカーフで素性を隠していたルカから、わずかに殺気が立ち昇った。トビーはそれを察したかのように振り返ると、下瞼を動かしてウィンクした。
「オエー」
ルカが身震いする。
「ケケ。アッシはね、詳しいんでス。まだ尻尾がついてるガキの頃、エルフの賢者サマからいろーんな話を……っと、この話は長くなりヤスんで、また。いまは急ぎヤシょう。組合のヤツらに絡まれたら面倒、面倒」
「組合? 船乗りのか」
「エエ、エエ。交易組合。ヤツらは結託して港を仕切ってるんでサ。その息は地元の漁師にも」
「そりゃまあ、ストロームから自治権が認められているからな」
セラドは、かつて教わった話を思い出していた。大型船の登場で急速に発展した港町ビスマ。自国領に吸収すべく交渉、派兵を繰り返したストローム王国。屈強な船乗りたちによる抵抗。悪政による交易の不自由を懸念した別大陸の商人たちが、ビスマを援護……。
「おや御存知で? エエ、エエ。たしかに荒くれ者が多いんで、守るべきオキテやシクミってのは必要でス。ただそれも度が過ぎるとね、まったくヨロシク無いんでサ」
トビーは歩きながら大袈裟に肩を落とし、ケロロ……と鳴いた。
「そういえば皆さん言ってましたねー。”ダメダメ! ダメって決められてんだ” って」
サヨカは船乗りの真似をしたかったのか、強面を作りながら低い声で言った。
「エエ。船乗りの連中はみんなね、逆らえねぇんでス。ダンナたちが行きたいってあの島にゃ、何十年か前から猫人族が住みついてヤシてね。猫島なんて呼ばれて、ビスマにもときどき姿を見せるようになって……物々交換とか、まぁまぁイイ関係だったんでスが……当時の組合長が ”好き勝手してるのが気に食わねぇ!” ってんで、手下をたーくさん引き連れて追い出しに行ったんでサ。無人島で暮らしたけりゃ組合にカネを納めろってね。もともと無人島ですよ? ビスマにはなんの権利もない。猫サンはなーんも悪いコトしてヤセン」
「で、返り討ちにあった、と」
トビーはどこか嬉しそうに、二度、三度と頷く。
「5回遠征して、5回ともズタボロで戻って来て、組合長のバカ高いプライドもズタボロ。以降、猫サンたちはビスマに出入り禁止。ヤツらね、好きなんでサ、出入り禁止が。さらにゃコッチからの渡航もゴハット。口に出すのもダメ。島と猫人族の存在そのものを無かったコトにしちまおうって魂胆。……で、いまはその組合長の息子が後を継いでるんでスが、2代続く逆恨みってのは恐ろしいモンで。ヒラの船乗りたちにしてみりゃどーでもいい話なのに、バカな組合長一派だけがいつまでもネチネチと――」
トビーが饒舌だった口を閉じて、立ち止まった。背中の棒を抜いて両手で握り、路地の前方、10メートルほど先の突き当りに向けて牽制の構えを取る。ヘップもいち早くダガーを抜いて、後方を睨んでいた。
「組合の悪口は駄目だろう? クソガエルのトビィー」
路地の陰から、いかにもガラの悪そうな男が4人。退路を断つように、背後に4人。セラドとルカは、サヨカを守るように前と後ろを分担した。ギィ、バタン、ガチャリ。家々のドアや窓が閉まる音があちこちから聞こえる。
「なぁトビィー。駄目だよなぁ? まーたコソコソと商売しやがってぇ。勝手なことされたら困るんだよなぁ。俺様が叱られちまう」
ひときわ図体のでかい坊主頭が不敵な笑みを浮かべ、大きな鉈で己の肩をトン、トン、トンと叩く。
「ケケ。思ったより早い御登場で。この一件、自由にやらせてもらいヤスよ。アンタら組合ともナシがついてる」
「アー? それとこれとは別。別! 別なんだよ。あの島は別! ……オイ、しつこく聞き回ってたのはテメェらだな? ったく、めんどくせぇ。怪我したくなきゃ酒でも飲んで、土産買って、大人しく故郷に帰りな」
「「ああ!?」」
セラドとルカが同時に凄むと、男たちが怯んだ。トビーは慌ててセラドを制し、囁いた。
「ダンナ、これはアッシの問題。お任せを。前方の4人をとっちめるんで、すぐに走ってください。突き当りを右、左、右、あとは真っすぐ行けばアッシらのドックが。そこまで行きゃぁヤツらも手が出せヤセン。一足先に向かった仲間がいるんで話は通じヤス」
「誰の問題かなんて関係ねーな。売られたケンカは買うもんだ」
セラドは好戦的な目で男たちを見まわしながら答える。トビーがほっかむりを取り、水かきのついた5本指をセラドの腕に置いて目を細めた。
「ダンナらがやると、ウッカリ殺しちまいそうでね。アッシは今後もここで商売するんでサ。ああいうゴロツキと上手く渡り合いながら」
カエルの真剣な眼差しというものを、セラドは初めて見た。その意志は充分に伝わった。
「……やれんのか?」
トビーが頷く。
「ヘップ、どう思う」
セラドが小声で問うと、ヘップも頷いた。
「従いましょう。セラドさんも万全じゃない。待ち伏せを警戒しながらオイラが先頭を行きます。あとは順にセラドさん、サヨカさん、ルカさん、一列で。もし後ろに追手が見えたらホーゼさんのスペルで妨害を。致命的なのはダメです。住宅が密集しているので火も使わないでください」
背嚢から顔だけ出していたホーゼがニコリと笑った。
「おいヘップリーダー。さん付けはよせって言ったろ」
「いやぁ、慣れなくって」
「コラァ! なーにコソコソくっちゃべってんだぁ!? 」
シビレを切らした男たちが、ゆっくりと距離を詰めはじめた。
「では、のちほどドックで。右、左、右、真っすぐでス」
トビーは言いながら地面スレスレまで身を屈め――その姿が消えた。
「ホレェ! 大人しく武器を捨デッ」
ゴツン! と痛々しい音が路地裏に響いた瞬間、坊主頭は昏倒していた。あまりの速さにセラドは舌を巻いた。超人的な脚力でひとっ飛びしたトビーが、棒で男の脳天を打ったのだ。
「ケーッ!」
「なグッ」「ちょバッ」「ッ!?」
トビーが棒を巧みに操りながら、残りの3人の周囲を跳ね回る。男たちはその動きを目で追うことすら出来ぬまま、鳩尾を突かれ、側頭部を打たれ、アゴを叩かれ、人形のように崩れ落ちた。見とれていたヘップが気を取り直し、先陣を切った。セラド、サヨカ、ルカも、路地に転がった男たちを踏みつけながらトビーとすれ違う。
「お、オイ! 待てコラ!」「テンメー!」
「させヤセンよ!」
威勢のいい声に、セラドは一瞬振り返った。トビーが振り回していた棒の先端をビタッと静止させると、追撃しようとしていた男たちの足もピタリと止まった。
「オネンネしたい人からドウゾ」
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