『モリブ山のドワーフ』3/5

 緊急の報せを受けたバテマルは、バグランとジアームの案内に従い、医療用の部屋へと向かった。通路を駆け抜け、部屋に飛び込むと、清潔な室内に診察用と思われるベッドが整然と並んでいた。そのひとつをドワーフたちが騒然と囲み、部屋全体に緊迫した空気が漂っている。

「どなたか、どなたか使者を! ドゥナイ・デンに、バーバリアンのバテマルに、故郷の危機を報せ、どうか!」

 知っている声だった。バテマルが駆け寄ると、診察台の上で暴れるバーバリアンの男――ダイカがドワーフたちに抑え込まれている。

「これ! じっとせんか! あーもう意識を戻さなきゃよかったわい!」

 革手袋に革エプロンのドワーフ医師が、傷を処置しながら怒鳴りつけた。医師の両脇ではドワーフプリーストが詠唱を続けている。

「ダイカ!」

 バテマルの声に反応したダイカが、目を見開いた。

「……バテマル? バテマル! なぜここに」

「それはいい。私はここにいる。一体どうした」

 バテマルは膝を突いてダイカの手を握り、ゆっくりと、安心させるように問いかけた。ダイカは少しばかり落ち着きを取り戻したようで、苦痛に顔を歪めながら喋りはじめた。医師が好機を逃すまいと手際よく処置を施しつつ、周囲のドワーフに手振りで指示を出す。

「ボーバーの奴らが、攻めてきた。海岸の防衛線は突破され……湾に近い村から順に、次々と落とされている」

「また奴らが? 早すぎる……だが我々の対策も万全のはず」

「ボーバー王の息子を名乗る男が兵を率いて上陸……我々では歯が立たなかった。族長らはクルタで迎え撃つ心づもりだが、いまどうなっているのかは……」

「あの臆病者の王にそんな子が?」

「その狂戦士、凄まじく……私もこのざま。どうかバテマル」

「任せろ」

 バテマルが手を強く握ると、ダイカは安堵の表情を浮かべて目を閉じた。

「おい……ダイカ?」

「安心しなされ。また気を失っただけさね」

 医師が脈を取りながら言った。

「頼んだぞ。大事な客人だ」

 やり取りを見守っていたジアームが、医師の肩を叩いた。


◇◇◇


 大股で部屋を出たバテマルは、最短で故郷に戻る方法を考えながら斧の門に向かう。追いかけてきたバグランとジアームが、行く手をふさぐように前に立った。

「なあ、バテマルよ。急ぐ気持ちはわかるが、話してくれんか」

 バグランが気にかけてくれていることは間違いなかった。だがこれはバーバリアンの問題。己のへそほどまでしかない小さなふたりを左右へ押し分けようとすると、巨大な岩石のようにビクともしない。

「どいてくれ。行かねば」

「だろうな。だがどうやって? 知ってのとおり、大山脈のほとんどは霊峰の複雑な魔素の流れのせいでゲートがまともに使えんぞ」

「私とお前がドゥナイ・デンから来た時と同じだ。スピリット・オブ・ウルフに乗って森を抜け、ゲートを使える場所からイシィ・マーに飛ぶ。そこから故郷のラウラまでは、山ふたつ」

「ふむ……だが考えてみろ。ラウラの正確な場所は知らんが、いくらあの蒼き狼でもすぐにたどり着ける道程ではなかろう? さっきの男がここに来るまでに要した時間も踏まえりゃ、そんな悠長なことは言ってられん」

「だから急いでいる! ほかに手はない。エルフの賢者であろうと、ノームの大魔法使いであろうと。自然のルールには逆らえない」

 バテマルは、自分が感情的になっていることを恥じ、深く息を吸った。目の前のバグランは冷静に言葉を受けとめ、赤毛の顎鬚を撫でながら――

「そのルールを無視できるとしたら、どうだ?」

 と、不敵な笑みを浮かべて言った。

「どういう意味だ」

 訝しんで睨みつけると、バグランはよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに頷いた。

「ここから一刻ほどでイシィ・マーに行ける方法がある」

「ありえない」

「あるんだなぁ。このモリブには」

 ジアームが割って入り、バグランの隣に並んだ。ふたりの瞳に偽りの色は見えない。

「ならそれで――」

「まあまあ、落ち着け。急がば回れだ」

 ジアームがストップのハンドサインで遮った。

「この作戦を成功させるためには、あんたの情報が欠かせない。だからちぃとばかし話を聞かせてくれ。バグラン、お前の家を借りていいな?」

「おう。ま、バーバリアンには窮屈極まりないがな」


◇◇◇


 3人は1階から上へと伸びる階段をのぼり、4階の足場を壁沿いに進んでいた。先頭を歩くバグランは、規則的にならぶ小さな扉ををいくつも通り過ぎてから、「ここだ」と言って立ち止まった。

「さあ、ここだ。ようこそわが家へ」

 バグランが扉を押し開いて中に入る。身を屈めてバテマルが続くと、そこは居室だった。すぐに灯されたいくつかの燭台が、ゴツゴツとした岩壁を照らす。中央にはドワーフサイズの木製テーブルと丸椅子が4つ。まだ奥に部屋があるらしく、バグランは「掛けてくれ」と言いながらそちらへ消えていった。酒場と違い、他種族用の椅子は見当たらない。バテマルは、小さな椅子に大きな尻を乗せた。座ってもなお天井に頭がつきそうで、背中を丸めると、テーブルを挟んで正面にジアームが腰掛けた。

「で、私に聞きたいこととは」

「焦るな。順を追ってだな。バグランまだか!?」

「待て待て。えー、あー……あったあった」

 姿を現したバグランが、テーブルの上に大きな紙を広げ、ふたたび奥の部屋に消えていった。 

 バテマルは息を呑んで、紙に描かれたものに見入った。

「これは、地図……この大陸の?」

「そう。完全ではないがな。お前さん、こうしてカナラ・ローを俯瞰するのは初めてか?」

「ああ。……アルゴ、メンデレー、プラチナム……セイヘン。西側はある程度わかるが、東側はさっぱりだ。自分たちで調査したのか?」

 ジアームが頷く。

「ドワーフには探検好きが多くてな。だが大山脈の北の北、イシィ・マーのさらに奥となると、話は別だ。バーバリアンに追い返されるとわかっていながら、わざわざ険しい雪山を越える物好きはおらん。300年以上生きとるワシですら、はまったく分からん」

 ジアームがトントンと地図を指した場所には、なにも描かれていない。モリブから連なる大山脈の北端、バーバリアンの集落が点在する一帯だ。

「まずはお前さんの故郷の正確な位置と、敵の正体が知りたい」


 カナラ・ローの北西部、険しい大山脈の果てに、古くからイシィ・マーと呼ばれる地が広がっている。さらにその奥深く、北端に進むと海が広がり、海との境界線には切り立った崖が延々と続いているが、一箇所だけ、船を出せる湾が存在する。湾の周辺には、漁で暮らしを立てるバーバリアン族の集落が点在し、それらの集合体がラウラと呼ばれている。

 バーバリアンが排他的になった原因は、ラウラがまだラウラと呼ばれず、集落の数も現在の半数以下だった時代に起きた一件にある。

 かつて、未開の荒海、北の海から一隻の大型船が湾に漂着した。その船はあちこち損傷しており、乗っていた人間族の多くは重い病に苦しみ、いくつもの死体が甲板に積まれていた。

 当時のバーバリアンは警戒心というものを持っておらず、素直に乗員たちを迎え入れた。寝床と食事を与え、病を治療し、船の修理材を提供した。その船はバーバリアンが操る漁船の数倍も大きく、初めて見る複雑な構造をしていた。

 幾日か経ったある夜、人間たちは船内に隠しておいた武器を手に取り、バーバリアンの寝込みを襲った。男も女も見境なく殺し、村に火を放った。体格と人数に勝るバーバリアンたちが体勢を立て直し、漁猟ぎょりょう用の道具を武器に立ち向かおうとした時には、船は既に沖へと逃げ延びていた。

 彼らは北の荒海の向こう、名も知らぬ大陸からやって来た蛮族だった。慎ましく暮らすバーバリアンから蛮族が奪っていったものは、極寒の地では生死に直結する備蓄食糧。そして一番の宝――なによりも大切な子供たちだった。

 この事件を教訓に、バーバリアンはいくつかの行動に出た。

 鍛冶に力を入れ、ほとんど独学で強力な武具を作るようになった。

 必要な鉱物を手に入れるため、採掘の技術も体得した。元来有していたシャーマ呪術師ンとしての素質を伸ばし、高度な呪術を操るようになった。ごく僅かではあるが、探求心の強さから人間族の都を訪れ、珍しい素材や知識を持ち帰る者もいた。すべての行動は、脅威から土地と民を守る……その一点に繋がっていた。

 守りを固める一方で、周囲の制止を振り切って攻めに出る者もいた。夫や妻を殺され、子を奪われた者たちの一部だ。彼らは船に乗り荒波に向かっていったが、数日後に船の残骸だけが戻って来るばかりだった。北の海はバーバリアンに多大な恵みを与えるが、海の向こうに導くつもりは無いようだった。

 その後も蛮族……ボーバー人と自称する存在は、長い歴史のなかで何度も南征を企て、湾に襲来した。次第にその船と兵の数は増え、戦力を増していったが、バーバリアンたちは徹底した武装化と防衛作戦によってすべて返り討ちにしていた。


「――噂の『北の悪魔』が人間族だったとはな」

 口を開いたジアームは、太い腕を組んで考えを巡らせているようだった。

「しかし……しつこく攻めてくる理由が見えん。自分たちが暮らす場所があり、デカイ船を作る技術と資源があって、兵を揃える力もある。なのになぜだ? 危険な海を越え、地形も気候も厳しいイシィ・マーを執拗に狙う……」

「正確にはわからない。ただ、奴らも何かしらの脅威に追われているようだ」

「長いことやり合っといて曖昧だな。何人かとっ捕まえて吐かせりゃいい」

 バテマルは首を小さく横に振った。

「私たちは敵を生かさない。拷問も固く禁じている」

「ふむ……。ま、よぉく話はわかった。そのボーバー人がまた攻めて来て、今回は親玉の息子とやらが暴れまわり、お前さんたちは危機に陥っている、と」

「ボーバーの王は腰抜けだ。何度代替わりしようとも、船団の最後尾で見物するばかりで戦おうとしない」

「王ってのはそういうもんじゃないか」

「お前もそういうものか? モリブの王」

 嫌味を含めてしまったバテマルは、己の非礼をすぐに後悔した。正面の男の顔、眼帯に覆われた右眼の下には頬まで続く傷があり、左の瞳は蝋燭の灯りを呑み込んで赤く燃えているように見える。布服から覗く首や腕には、その猛勇ぶりを示す古傷がいくつもあった。

「……すまない」

「ガッハ! 気にするな。モリブの王はな、穴を掘るにも敵をぶっ叩くにも、最前線におらんと我慢できぬ性分。あいつには負けるがな」

 ジアームは親指を立てて、奥の部屋にいるはずのバグランを指した。つられてバテマルがそちらを見ると、バグランが姿を現し――

「その恰好は……?」

 バテマルは無意識に口にしていた。

 そこには、モリブ最強と謳われる戦士が立っていた。癖の強そうな長い赤髪を後ろにぴったりと撫でつけ、いくつもの傷が刻まれた顔から下は、虹色の光を仄かに含む白銀のプレートアー全身鎧マーによって完全に覆われている。トレードマークの髭はいつもと編み方が異なり、戦闘の邪魔にならないよう工夫されていた。

「フン。この恰好で雪遊びでもすると思うか?」

 バグランがムスっとした顔で言った。バテマルは、鍛冶師の見事な業に心を奪われ、上から下、隅々まで目を走らせた。

「ミスリルをこれほど見事な鎧にするとは……可動部の蝶番は……なるほどこれなら……指先は義手の仕組みに似ているな……この波のような打ちだしは耐久性を高めるためか? 裏側の構造は……」

「じろじろ見るな」

「ああすまない。しかし……素晴らしい仕事だ。一体誰が」

 バグランが顎でジアームを指した。

「ガッハ! マスター・ブラックスミ鍛冶屋スことワシの自信作よ」

 ジアームは誇らしげに胸を張り、

「よろしくな」

 と言ってテーブル越しに握手を求めてきた。

「よろしく?」

「バァバの依頼を忘れたか? ワシが鍛冶の相棒だ」

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