09『モリブ山のドワーフ』

『モリブ山のドワーフ』1/5

 空を覆う深い森を抜けたバテマルは、目の前の光景に驚嘆した。全高100メートルはあろうかというドワーフが、残雪の大地を見下ろしている。威厳に満ちた表情で両刃の斧を大地に突き、柄頭に両手を重ね乗せて仁王立ちするその姿は、モリブ山の岩壁に彫られていた。

「さ、着いたぞ!」

 バグランの声が、故郷の空気を吸い込む喜びに満ちている。一頭の馬に相乗りする親子のようにスピリット・オブ巨狼の精霊・ウルフに跨っていたふたりは、揃って大地に降り立つ。

 バグランがブーツを雪に深く踏み込ませて故郷の感触を確かめている間に、バテマルは精霊を解き放つための言葉を唱えた。半透明の狼の姿が静かに消え、依り代の術具だけが静かに雪原に落ちる。

「大きいな。ドワーフの王か?」

 術具を拾い上げたバテマルは、あらためて石像を眺めながら訊ねた。

「バサルII世。ここモリブをワシらのと定めた王。掘削の名人だったそうだ」

 バグランが、石像へと続いている雪道を歩きはじめた。バテマルもミスリルの入った袋を担いで、あとに続く。

「見事な像だ。しかしなぜわざわざこのようなものを」

 バテマルは造形の技術に心底感心しながら、率直に訊ねた。族長をこのような形で遺す慣習は、バーバリアンには無い。

「バサルII世が志半ばで死んだあと、彼を想う民たちが長いことかけて彫ったっちゅー話よ。誰よりもよく働き、皆に慕われておったと聞く。ま、300年近く生きとるワシが産まれた時にはもうあったから、詳しくは知らん」

 白い息を吐いて進んでいくと、石彫いしぼりの巨大な斧にジョイントされた金属刃の美しさに驚かされる。対称形の両刃で、精確な長方形。

「腐食していないが……刃の部分は鉄なのか?」

「主には、な。何やら混ぜていろいろ細工してあると聞くが」

「これほど大きな金属をここまで見事に加工できるものなのか。斧の刃を門扉もんぴにしてしまうという発想はどうかと思うが……」

 独り言ちながら歩み寄り、ひんやりとした刃の側面に触れてみる。幾度も外敵を防いできたのだろう。歴史を伺わせる傷が無数に刻まれているが、外力によるひずみは一切見当たらない。まさに鉄壁。

斧頭ふとうを軸に両刃が回転するようになっておる。有事の際はビタッと入り口を塞いで門の役割を果たすが、普段はこうして半開きだな」

「誰でも入れるのか?」

「うむ。当然バーバリアンもな」

「ドワーフは排他的な種族と思っていたが」

「それはテルル山の連中だ。ま、その辺の話は後でゆっくりしようじゃないか。ここのエールもニューワールドに負けず劣らず、美味いぞ?」

 バグランが酒を飲む仕草を見せながら斧刃の端まで歩き、岩壁との隙間から洞窟内部へとバテマルを導く。無数の壁つけ燭台に照らされた長方形の通路は直線的で、山に潜っているとは思えぬ照度が確保されている。均一に加工された大きな石材が床、壁、天井を形成しており、彼らの技術力の高さを物語っていた。

「バグラン殿!」

 通路の奥から歩いてきた重装備のドワーフが4名、バグランの前で直立不動の姿勢をとった。

「おう! 見回りご苦労さん。彼女はバテマル。バーバリアンの名工だ」

 眼鏡状の目庇まびさしに覆われた8つの目が、一斉にバテマルに向けられる。

「バーバリアン……!」

「聞きしに勝る肉体」

「美しい……」

「顔に入れ墨とは珍しい」

 4人が口々に感嘆の声を漏らし、無遠慮にバテマルを観察する。バテマルは太い眉を少しだけ寄せて、「しばらく世話になる」と答えた。

「ジロジロ見るな。彼女は怒らせると怖いぞ?」

 バグランが言うと、4人は慌てて詫び言を述べて、そそくさと巡回に出ていった。

「私は怖くないぞ。お前の前で怒ったこともない」

「冗談だ、冗談。まったく」

 バグランが呆れたような顔で鼻から息を漏らす。

「バーバリアンは訪れないのか?」

「ワシの知る限りじゃお前さんが初めてだな。同じ『大山脈』に生きる間柄と言っても、ワシらドワーフは西の端。バーバリアンの里は遥か北、イシィ・マーのさらに奥だろう? そもそもお前さんたちは滅多に里を出ないと聞くが」

「出る必要が無い、という考えが支配的だ」

「だがお前さんは外に出た。ドゥナイ・デンで鍛冶屋を営み、いまはこうしてドワーフの里に来ておる」

「……」

「ま、人生いろいろってこった」

 バグランは肩をすくめ、歩きながら話を続ける。

「この長い通路はな、斧の門が破られた場合に防衛線としても機能する。見てみろ、壁の上のほう……天井付近に覗き窓がいくつもあるだろう?」

「ああ。……あそこから射るのか?」

「そうだ。あの小窓の裏っかわに、兵が入る小部屋があってな、大盾兵が通路で敵を押しとどめて、左右から一斉に攻撃する。矢、石、熱湯、なんでもアリ。ま、通路に侵入を許したことは一度しかないがな」

「私たちの防衛戦術とはまったく発想が違う。興味深い」

「防衛? 噂に聞く『北の悪魔』とやらか」

「仕事に来たつもりが、学ぶことも多そうだ」

 バグランはウムウムと満足そうに頷き、通路の突きあたりをコの字に折れて――芝居じみて言った。

「ようこそモリブへ。ここがワシらの住み家だ」

「おお……」

 一歩足を踏み入れたバテマルは絶句し、その場に立ち尽くした。

 まず驚くのは、その広さだ。小さな町が丸ごと収まってしまいそうなほど広大な半球状の空間が広がっている。そしてオレンジ色の太陽がすぐそばにあるような明るさと、いまにも汗が吹き出しそうな暑さを全身に感じる。

 明かりと熱の源は、すぐに知ることができた。地面のあちこちに、金属で加工された網状の足場がはめ込まれており、バテマルはそのひとつの上に立っている。網の隙間からは、地の底で鮮やかなオレンジ色の溶岩がうねっているのが見えた。

 遠くまで見渡せるだだっ広い地面に建物はほとんど存在せず、鍛冶場や加工設備、それに戦闘訓練のための物らしき設備が点在している。

「住居や施設のほとんどは壁沿いに掘り込んである。円形の土地だから、左右どちらに進んでもグルリとここに戻ってくるってわけだ。1階は、ほぼすべてが客人向けだな。まず宿。天然のアツーイ浴場が自慢だ。食堂と酒場はいくつかあって、長期滞在者も飽きずに楽しめる。何かしらを売る店も多い。ドワーフがこしらえた武器防具はもちろん、加工した宝石、鉱石、道具、衣服、食い物、酒、など、など。そこかしこにある階段から上がれる2階は、ドワーフのための施設だ。3階と4階はドワーフの住居。王の間は5階にあるが、普段はワシらとなにひとつ変わらぬ暮らしをしておる」

 バグランは適当にあれ、これ、と指さしながら、広場を突っ切ってゆく。作業中のドワーフが次々とバグランに声をかけ、短い会話に花が咲く。みな無遠慮にバテマルを見つめるが、敵意の眼差しを向ける者はひとりもいない。

「バグランは名士なのだな」

「ワシはモリブ最強だから……というのは冗談で、ドワーフは長生きだからな。お互いのことをよく知っておるわけだ。ホレ、お目当てのが見えてきたぞ」


 ――ここは、カナラ・ロー大陸の西端。北に向かって連なる大山脈の、始まりの地。ミスリルを託されたバテマルは、バグランの故郷モリブ山を訪れていた。


◇◇◇


 バグランとバテマルがモリブ山に向かう前日、ドゥナイ・デン。


「ヒヒ……おこんにちは」

 バァバが雑貨屋の商品棚をコンコンと叩くと、店の奥で眠りこけていた双子が大きな目をパチリと開けて飛び起きた。

「ヤヤ! バァバさん」「ヨヨ! 珍しいですね」

「儲かってるかい」

「昼寝するにはもってこいの繁盛ぶりです」

 兄のイノックが、屈託のない笑顔で答えた。

「なにかご入用で?」

 弟のイラッチが目を輝かせる。

「買い付けの依頼だよ」

「「買い付け。珍しいですね」」

「期限は30日。最優先は傷薬、包帯、ハーブ、各種ポーション、魔素の石……つまり癒しに関わる道具類全般。それとさらなスクロー巻物ルを100本以上。あとは戦闘に使えそうな小道具を思いつくだけ。この金でね」

 バァバは背負っていた3つの布袋のうち、ひとつをカウンターにドサリと置いた。袋を覗き込んだ兄弟は、裂けんばかりに目を見開いて仰け反った。

「ヤヤヤヤヤ!」「ヨヨヨヨヨ!」

「10000000イェン入ってる。ケチらないで使い切っとくれ。物資が確保できればそれでいい」

「「イ、イ、イッセンマン!?」」

「ピッタリある。数えとくれ」

「いえいえ、いえいえ、そこは疑いません。ただこれほどの額、30日で使い切れるかどうか……」

 兄弟は顔を見合わせて、尖った顎を同時にさする。

いくさがあるのさ。大きいよ。事情は説明するけどまずは仕事の話。これはアンタらにしか頼めない。腕のいいレンジャーの兄と、あちこちに飛べるメイジの弟。どちらも目が肥えていてツテも広い。採取も買い付けも加工もまとめて頼める。そんな最高の双子に期待してるよ。なんせアタシはチト忙しくてね」

「フムム……やってみましょう」「やってみます」

「ヒヒ……頼んだよ。集めた品はアタシの店の裏手へ。倉庫を建てておいた。盗人ぬすっと対策の罠や結界は任せる」

「ハイ……それはそうと、なんだかものすごいニオイがしますね」

 イラッチが、悪臭を追い払うように片手をパタパタさせた。鼻の利くイノックは、バァバが担いでいる布袋をチラチラと見ている。

「これはね、クク……なんとミスリ……おや、ちょうどいい」

 バァバは発言を止めて、店のドアを開けた。テレコが鼻を摘みながら入店してきた。

「ヤァヤ! いらっしゃいませ」「ヨォヨ! いらっしゃいませ」

「なんだいなんだいこの悪臭は」

「ヒヒ……グッド・タイミング」

「グッドなもんかい。鼻がひん曲がっちまうよ。研ぎ石をお願い」

「「毎度ありがとうございます」」

「で、なんでバァバがここに? 珍しいじゃない」

 テレコは恰幅のよい身を翻し、訝しむような目でバァバを見上げた。

「買い付けの依頼さ。……で、テレコ。宿屋の敏腕支配人。旦那を顎で使う女。ハーフリングの大いなる母。商売の達人で槍の名手……アンタにも重要な話とお願いがある」

「褒めてんのかいそれ? 嫌な予感しかしないね」


◇◇◇


 イノック、イラッチ、テレコにを伝え終えたバァバは、残りひとつの布袋……ひときわ大きく重い袋を背負って、鍛冶屋を訪れていた。

「これは私の手に余る。しかしひどい臭いだな」

 依頼内容を聞いて袋の中身――大量のミスリルを確認したバテマルは、端的に答えた。

「おや、いきなり降参かい?」

 バァバの挑発じみた物言いにも表情を変えず、バテマルは大きな指を3本立てた。

「断る理由はみっつある。まずひとつめは、道具や設備の問題。ミスリルを相手にここで使いものになるのはコイツくらいだな」

 バテマルが作業台に鎮座するハンマーを拳でコン、と叩いた。その瞬間、空気が震え、バァバは琥珀色の左眼を輝かせた。久しぶりに間近で見るレジェンダリー・ハンマー。白銀の光を放つ直方体のヘッドは、一切の装飾が無いままに圧倒的な存在感を放ち、見る者を引きつける。堅実な木製のグリップには歴代の持ち主の汗と血を吸い込んだ跡が見られ、その歴史と誇りを物語っている。

「ふたつめ、私はミスリルを扱った経験に乏しい。多少の加工ならなんとかなるが、お前の要求を満たせるとは思えない。みっつめは、相棒の問題。熟達した腕の持ち主であろうと、この鍛冶仕事には相棒が必要だ」

「できる……アンタならできる。アンタの腕を見込んでの頼みだ」

「受けた仕事には責任が伴う。できない仕事は受けない」

 バテマルは取り付く島もない態度ではねのける。

「もっと上等な鍛冶場なら……どうだい?」

 バァバは上目遣いで見つめて、試すように尋ねた。

「上等、が指す質による。とくに炉と金床かなどこ。それにたがねはさみもミスリルの加工に耐えられるものでなければならない。鍛冶場が条件を満たしても、残りふたつの問題は残る」

「ミスリルの扱いに詳しい奴と協力して……なら、どうだい?」

 バァバは上目遣いで見つめて、試すように尋ねた。

「私ではなく、その者に依頼すればよいだろう」

「ダメ、ダメ、ダーメ……。ダンジョンに挑む連中を相手にしてきたアンタの確かな腕、センス、そして戦士としても相当なレベルのアンタだからこそできるきめ細やかな創意工夫……ほかに候補者は見当たらないね。ミスリルを扱った経験なんて関係無いさ。アンタならやれる」

 しつこく粘るバァバに困ったバテマルは、太い腕を組み……鼻から大きく息を吐いた。

「どうやら心当たりがありそうだな。聞かせてくれ」

「ヒヒ……そうこなくっちゃ。あ、その前に事情を説明しておこうかね」

「いや、いい。どうせその話は長くなるのだろう?」

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