『旅』6/6
翌朝、深々と頭を下げる村長たちに見送られた一行は、首都ストロームへと続く緩やかな上り道を延々と進んでいた。
ストロームは、オピラ山と呼ばれる裾野の広い山に築かれた難攻不落の城塞都市で、円錐台の山の頂点に王族の居城がある。
山の側面には、上から貴族の屋敷、宗教施設、1枚目の城壁。続いて、一等・二等国民の住居、軍事施設、工業施設、2枚目の城壁。続いて、各種生活用の施設、3枚目の城壁、という順で、石造りの建物と3枚の城壁がぐるりとひしめいている。
さらに3枚目の城壁の外側、山の東側の麓には、三等以下の国民が暮らす巨大な街が形成されており、城塞と街が一体となって首都の役目を果たしている。街には、領土内外の農産物、東の港町ビスマから届く海産物、交易品、貿易品などが集まり、カナラ・ロー大陸でも有数の商業地として賑わっている。
「通行料? 三大国のひとつを名乗るクセにあこぎだな」
ルカが呆れ顔で言った。ヘップも同感だった。大陸の西側から旅をしてきた一行は、土地勘のあるセラドの提案により、オピラ山を迂回せず、城塞の中を通り抜けて東側の街へと降りる最短ルートを選ぶことになっていた……のだが、それなりの金が必要らしい。
「あこぎだから三大国のひとつになれたのさ。ケチるなら山を迂回しろって話だが、北側の
「まあ、たしかに……」
ヘップは答えながら、バァバから預かった支度金の残りを思い浮かべた。
「先に話をつけてくる。4人分で払っとくからホーゼは顔出すなよ」
返事がない。先程までルカの背嚢から顔を出していたホーゼは、どうやら中に入って寝ているらしい。
「ちょろまかすぶんで酒でも買おうぜ」
セラドは言い残して、市門へと馬を走らせた。夕暮れに照らされた大きな門を守る衛兵たちがセラドに気づき、セラドから挨拶を投げる声が聞こえる。なにやら衛兵と話し込むセラドに追いつくと、門がゆっくりと開きはじめ、重厚な音が空気を震わせた。左右の衛兵は斜めに構えていた長槍を垂直に突き立て、正面を向いたまま「お通りください」とだけ言って黙る。しかし門をくぐる途中、ヘップだけは衛兵の小さな呟きを聞き逃さなかった。
「どのツラ下げて――」
と。
◇◇◇
セラドを先頭に、二等以上の国民用だという生活施設街――2枚目と3枚目の城壁に挟まれた通りを騎乗したまま進んでいると、井戸端の女たちがセラドを見てなにかを囁き合い、すれ違う男もまたセラドに驚きの目を向けてくる。腹に据えかねたルカはスカーフの下で牙を剥いて、
「ジロジロ見てんじゃねーヨ」
衆目を威嚇した。
「ほっとけ」
セラド本人は、気にも留めていないような口ぶりで馬の足を止めようとしない。その態度と、訊くに訊けない空気が、さらにルカを苛立たせる。
建物の間を縫うように走る狭い通路――防衛のためにあえてそうしているのだろう――を黙々と進んでいくと、開けた広場に出た。中央には湧き水を使っているのか大きな噴水があり、名前のわからない花が何種類も植えられている。同じ山でも、黒い土と灰と溶岩に覆われた故郷とはまるで違う。深く被ったフードごしに花々を眺めながら広場を横切ろうとすると、
「おいお前」
いよいよ住民の方から声が掛かった。声の方に目をやると、ガーデンテーブルに3人の男女が座っていた。ふんぞり返った中年の男がセラドの横顔をしげしげと見つめ、両脇に座る女ふたりは、間の抜けた顔で男とセラドを交互に見ている。まだ宵の口だというのに全員の顔がゆで蛸のように赤く、テーブルの上には酒瓶が何本も並んでいた。
「お前だよ、先頭の。オラ、無視すんな!」
「ねぇ、どうしたの?」「大きな声だしちゃって」
男は身なりとは真逆の汚い口調で声を荒げ、女たちの甘ったるい声と混じり合う。一行が無視して横切ろうとすると、男は前のめりになり、確信したように頷いた。
「お前、セラドだろ? 宮廷詩人の。いや、だった、か」
「昔の話だ。さ、行くぞ」
セラドは男を尻目に、前進を促す。
「まーてーよ! そう急がなくてもいいだろぉ?」
「男前じゃない」「ねぇ知り合いなの?」
「よく戻って来れたなぁ? なあオイ!」
男は血色の悪い唇を意地悪そうに歪め、両脇の女はもちろん、こちらにも聞かせるように喋り続ける。
「コイツの親父はセコイ音楽師でなぁ! どっかの貧しい村の出のクセに、先王にゴマすりしていきなり一級国民、宮廷詩人になったんだ。それだけでも気に入らねぇのに王族の女とよろしくやってガキまでこしらえてよぉ! 俺たち貴族を差し置いてなぁ。信じられるか? なぁ? で、そのガキの名前がセラドって言うんだよなぁ。なあ!?」
ルカは、馬上から飛び蹴りを喰らわせてやろうと腰を浮かせた。しかしセラドが制し、「相手にするな」と小さく言って男女の前を通り過ぎる。酔いが回りきっている男はさらに調子づいて早口になり、往来の人々は見て見ぬフリをして通り過ぎる。
「でよ、これがジョークにもならないんだが! なんとセラドくんも宮廷詩人に大抜擢! 死んだパパの席を狙っていた候補者はごまんといたのに、だ。若くして詩歌の才がどうとか褒められていたけどよぉ、俺たちのあいだじゃ、アッチの才で夜な夜な城の老人どもを楽しませてるんじゃねぇかって評判だったぜ? ママの入れ知恵だったのか? なあ? パパの代わりに稼いで来いってか!?」
手綱を握るセラドの手がピクリと動いた。彼の肩から立ち昇る殺気が、ルカにもはっきりと感じ取れた。
「ねぇ、じゃあなんであんなに薄汚い恰好してるの?」
女が言うと、男はバンバンとテーブルを叩いて下卑た笑いを浮かべた。
「そこよ。そこ! コイツはな、どんどん人気者になりやがって、調子こきやがって、しまいにゃどうやったかは知らねぇがなんと! あのメリカ王女から求婚されたのさ! ……なーのーに! なのに、だ! ……断りやがったんだよ。街外れのボロ教会に出入りしてたビチグソと一緒になりてーとか言って宮仕えまで辞めやがってな。それっきりさ。無礼だろ。ありえねーだろ!? バカじゃねーのか? あの女はどうしたよ? 飽きて捨テ、テッ、カッ、ア……」
ついと男が黙る。「どうしたの?」両脇の女が同時に男の顔を見て、同時に絶叫し、椅子から転げ落ちた。男の口から血があふれて、高そうなグラスに滴り落ちる。
「うるさいよ。おまえ」
いつの間にか男の背後に移動していたヘップが、男の耳元で言った。ヘップは指先で摘まんでいた肉片――男の舌の先を、男の胸ポケットに入れてトントンとその胸を叩いた。
「ヘップ! やめとけ」
セラドが鋭い声を上げた。男は消え入りそうな声で呻き、涎と血と涙を垂らし続けている。座ったまま、喚くことも暴れることもなく、微動だにしない。
「しばらくしたら動けるようになるから。それまで反省しなよ」
ヘップの捨て台詞を聞いて、ルカは理解した。男は、動きたくても動けないのだ。
「行くぞ! 騒ぎが広がると囲まれちまう」
セラドが馬の腹をポンと蹴る。
「あのまま言わせておいたらセラドさんが首を刎ねちゃいそうで。すみません」
駆け戻ったヘップはひらりと騎乗し、クセの強いモジャモジャ頭をポリポリと掻いた。
「……ったく、謝るな」
「オッス」
騒ぎとは無関係を装い、薄闇に紛れた一行は
「おい」
「はい?」
「やるじゃん」
「へへ」
◇◇◇
予想よりも早く、衛兵たちの駆けまわる音が街のあちこちから聞こえていた。
偵察を切り上げたホーゼが街外れの教会に戻ると、食欲をそそる香りがノームの小さな胃袋を刺激した。
「ホッホ。これは美味しそうな匂い……」
「もうすぐできますよ~」
サヨカが、食卓と調理場を往復しながらニコリと笑った。窓際で外の様子を伺っていたルカが振り向いて、「どうだった?」と尋ねてきた。
「ホッホ。衛兵が探しているのは4人組。人間の男が1、ホビットの男が1、フード姿の女が2。情報は正確に行き渡っているようですな。しかしヘップ殿のお仕置きを見逃したのは残念、残念……」
「アタイの背中で呑気に寝てるからだ」
「ホッホ……。して、ヘップ殿は?」
「買い出し」
「おやおや、申し付けてくだされば偵察ついでに買ってきたものを」
「ヘチマサイズのホーゼに頼んだら何往復かかるかわからねーからな」
食卓で葡萄酒を飲んでいたセラドが、からかうように口を挟んだ。
「ホッ! 体格だけで決めつけてはいけませんぞ。メイジの手にかかれば買い物などいかようにも」
「はいはい。ま、取っ捕まってなきゃもうじき戻るだろうよ」
セラドはケロっとした態度で話しているが、長く生きてきたホーゼの目から見れば、彼が努めてそう振る舞っていることは明白だった。
「久しぶりに賑やかな夕食になりそうですね」
杖をついたエハン老が調理場から姿を現すと、全員の注意がそちらに向いた。
「とは言っても、客人をもてなす側の私が用意できたのはパンと葡萄酒、芋くらいのものですが」
セラドが素早く立ち上がり、エハン老の椅子を引いて食卓に座らせる。サヨカがスープの入った大きな鉄鍋をヨタヨタ運んでくると、ルカが「任せな」と言って軽々と受け取る。
「すまねぇ。またアンタに迷惑かけちまってよ」
セラドが心のこもった口調で述べると、エハン老は穏やかな表情で頷いた。
「よいのです。散歩に出ていた私が偶然あなた達を見つけ、私の意思でここに招き入れた。それにセラドさん、貴方にまた会えて嬉しいのです。7年ぶりでしょうか」
「ああ。元気そうで何よりだ。この教会もしぶとく残っていて安心したぜ」
「はは。色々な人に助けられて、なんとか」
「人を助けてるのはアンタの方だ。ここらの民はみんなそう思ってる。オレ達だってこうして助けられた。アンタみてぇな聖職者がもっと沢山いりゃあ、村がいくつも救われるってのにな」
「相変わらず口が達者な御方だ。この年になって人に励まされるとは」
エハン老が、垂れ下がった目尻に皺を作る。
裏口のドアが静かに開き、荷物を背負ったヘップが戻ってきた。
「皆さんお揃いですね。さあ、食事にしましょう。頂いた食材とサヨカさんのおかげで美味しいスープが出来ていますよ」
◇◇◇
食卓を囲んでいるあいだ、エハン老はよく喋った。セラドは、首都から出られない老先生のために、旅の途中で立ち寄った土地や村々にまつわる土産話をたくさん話した。セラドは、旅の仲間である4人にもよく話題を振った。同じ聖職者としてサヨカとエハン老の会話は盛り上がり、エハン老は滅多にお目にかかれないオーガとノーム、そしてセラドが相棒と認めたヘップに興味津々という様子で質問を重ねた。食卓はひとつの輪になり、多くの会話を通じて、自然とこれまで以上に互いを知ることとなった。
教会周辺の住人たちが密告する心配は無かったが、セラドと教会の関係を知る衛兵が調べに来るかもしれず、一行はそれぞれ手の届くところに己の武器を置いて食卓を囲んでいた。しかし舌切り貴族の人望は薄いのか、暗闇に塗れた貧民街にわざわざ足を運ぶ兵はいなかった。
◇◇◇
夜が更け、全員が寝静まったあともセラドは食卓に座り、窓の外の月を眺めていた。
「少し眠ったらどうですか」
2階から降りてきたエハン老が、手燭の灯りを食卓に移し、ゆっくりとした動きでセラドの正面に座った。
「明日は早いのでしょう」
「ああ、人の目が増えると厄介だからな」
セラドはもうひとつゴブレットを用意し、葡萄酒を注いでエハン老の前に置く。
「たくさん怪我をしたようですね。痛みますか」
「ヘッ。相変わらずなんでもお見通しだな。……旅の合間に治療してもらっているんだが、中身がまだ少し」
「どれ」
立ち上がろうとするエハン老に、セラドは待ったをかける。
「いいって。もうほとんど治ってるからよ。その力はアンタを必要としているこの国の奴らに使ってやってくれ」
「……相変わらずの意地っ張りですね」
エハン老が微笑んで、互いに黙る。セラドはしばらく迷ったあと、意を決して口を――
「サンシャは亡くなったのですね。おそらくキスポも」
――開いたまま、言葉を失った。
「色々あったのでしょう。貴方も大変でしたね」
労わるような呟きとともに、エハン老の視線がセラドの義手に向けられる。セラドは顔を伏せ、歯を食いしばった。
「……すまねぇ。オレが、不甲斐ねぇばっかりに」
「セラドさん。誰かに謝る必要などありません。彼女たちが自ら望み、覚悟の上で進んだ道。共に過ごせた時間は短くとも、貴方たちの心は満たされていた」
「アンタは知らねぇんだ。アイツらがどうなっちまって、どう死んでいったか」
「ええ。知りません。ですが……いかなる経緯があろうと、ふたりは貴方を恨んだり、責めたりしないでしょう。どうかセラドさん、いまの仲間を大切にしてあげてください。サンシャやキスポと同じように。そして、貴方自身のことも大切にしてあげてください」
エハン老は言い終えると、セラドの言葉を待つかのように黙ってしまった。しばらくの沈黙を経て、セラドは顔を上げた。真正面から視線を受け止めて、「ああ」と一度だけ頷く。口元を緩めたエハン老は「サンシャとキスポに。そして貴方たちの旅の無事に」と、静かに杯を傾けた。
◇◇◇
一番鶏が鳴く前に旅支度を整えた一行は、セラドの頼みでヘップが調達しておいた保存食と、一同からの心ばかりの寄付金を事務室に残し、静かに教会を後にした。
「セラドさん、本当によかったんですか? 挨拶しなくて」
ヘップが、貧民街の路地を顧みながら言う。
「ああ。向こうも分かってるさ。それに手渡そうもんなら突き返されるに決まってる。だから勝手に置いていく」
「ホッホ。旧知のセラド殿が言うのですから、それで良いのでしょう。ささ! 街道が見えて来ましたぞ」
「よし。ここまで来りゃぁ安心だ。突っ走ればビスマまで2日とかからん。ケツの痛みともいよいよお別れだな!」
セラドはヘップの背中を勢いよく叩き、我先にと馬のペースを上げていった。
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