『旅』4/6

 意識の淵からゆっくりと浮上したセラドは、鉛のように重い瞼を開けた。目に飛び込んできたのは、見慣れない天井。深く息を吸い込んで、自分が生きていることを確かめる。

「助かったのか……」

 声に出そうとするも、かすれた呟きは自分の耳にすら届かなかった。


(前にもこんなことがあったっけなぁ)


 ひどい全身の痛みに加えて、右半身に妙な重みを感じていた。顎を引き、視線を凝らすと、脇腹のあたりにルカの頭が乗っていた。純白の髪が、窓から差し込む陽の光を浴びて輝いている。どうやら自分はベッドに寝かされていて、彼女は椅子に座ったまま突っ伏して寝ているのだと理解する。


(無事だったか)


 セラドは鼻からそっと息を漏らし、自分の方に顔を向けて寝ているルカをボンヤリと眺めた。髪の色と同じ、白い睫毛。下顎から伸びる短い2本の牙。頭の下敷きになっている灰白色の腕は、セラドよりもはるかに逞しく、しなやかな鋼のようだ。


(美人だな。だが性格が……それにヨダレ……)


 不意にルカの目が開いて、視線がぶつかった。ルカが慌てて顔を上げる。

「イテテテ!」

「あ、すまない……」

 ルカは申し訳なさそうに目を伏せると、背筋を伸ばして椅子に座り直した。

「いや、大丈夫だ。そっちは怪我してねーのか? 全力で突き飛ばしちまったよな、オレ」

「ん? ……ああ。なんともない。それより自分の心配をしろヨ。ずっと意識が無かったんだ。丸2日」

「2日。……ま、こうして生きているんだ。大丈夫だろ」

「サヨカが頑張ってくれた」

「そうか。礼を言わねーとな」

 セラドは深い溜息をつきながら、安堵の感覚に身を委ねた。何を考えるわけでもなく、天井に焦点を合わせる。外の喧騒が窓の隙間から漏れてくる。市場の売り声や子供たちの笑い声、馬車の車輪が石畳に響く音。プラチナム王国に戻ってきたのだ。

「……なんで、」

 ルカが小さな声で言いかけ、口ごもった。

「あ?」

「いや、」

「なんだよ」

「ああ」

「どうしたモゴモゴして。らしくねーぜ」

 セラドは冷やかそうとするが、ルカの真剣な眼差しを受けて口を噤み、じっと待った。

「……何でアタイを助けた? あの男を追わず……そんな大怪我までして」

「あー? あー……。そう言われてもな。んー、まあ、お前に死なれたらオレたちが困るしな。またメンツ探しであーだこーだ時間をかけるのは勘弁だ」

「それはセラドが死んでも同じだろ?」

 ルカの真っすぐな視線に気圧され、視線をふたたび天井に移す。

「……お前の爺ちゃん、フロンの大将がよ、哀しむだろ? お前んとこのお家事情は知らねーけどよ。大将がショックで寝込んだらジジババグループだって困るしな」

「セラドにはいないのか? そういう人が」

「オレ?」

 セラドは「んー」と短く唸り、天井を見つめたまま自嘲的に笑った。

「いねーなぁ。オヤジもオフクロも、とうに死んじまってるし」

「肉親以外は? 思われ人……とかヨ」

「ヘッ。ダンジョンと宿屋を往復するだけの男にイイ女がいるかって? 笑えるぜ」

 ルカは「そうか」と呟き、少しだけ悲しそうな表情を見せた。コケにするわけでも、要らぬ憐れみを押しつけるわけでもない、純粋な反応。セラドはなんだか気まずくなり、話題を変える。

「で? あのクソ弓野郎は」

「わからない。だがバァバが言うにはと」

「バァバ?」

「昨晩フラっと来てヨ、アタイらが持ち帰ったミスリルを担いで去っていきやがった。ドゥナイ・デンの鍛冶屋に任せるとかなんとか」

「へぇ……。ま、あの婆さんが言うんだから心配ねぇだろ。鍛冶仕事もバテマルなら願ったりだ」

「フン。アイツが蜘蛛退治なんて持ち掛けなけりゃ――」

「お嬢! 他人のせいにするのは感心しませんぞ!」

「おわっ?」

 ルカとは反対側、ベッドの左下から、ホーゼが大跳躍しながら現れた。くるりと前宙をきめ、セラドの腹の上に着地。

「ウッ!」

「おいホーゼ! 怪我人になにしてんだヨ!」

「ホッ!? セ、セラド殿、申し訳ない……お嬢の態度につい我慢できず」

「いいからどいてくれ、テテテ……。盗み聞きとは、爺さんも隅に置けねーな」

 セラドが腰をずらし、ベッドにスペースを作ってやると、ホーゼはちょこんと正座した。

「どっから聞いてたんだヨ」

 ルカに睨まれたホーゼは目を泳がせ、しきりに灰色の口髭を撫でる。

「い、いえ、盗み聞きなど、決してわざとでは……それよりお嬢! セラド殿にまず言うべきは、お礼の言葉。……違いますかな?」

 ホーゼにジロリと睨み返され、ルカは言葉に詰まった。

「さ! お礼を!」

「いや、ふたりとも、礼なんていらねーから」

「セラド殿は口出し無用!」

 ピシャリと言われ、呆れたセラドは白目を剥く。


(口出しって。オレ当事者なんですけど……)


「ささ! お嬢。お礼を。命の恩人に礼のひとつも述べられないようではこのホーゼ、指南番としてフロン王になんと詫びればよいのか……」

 オイオイと泣くそぶりを見せるホーゼに促され、しぶしぶ居住まいを正したルカが俯きながら口を開いた。

「……あ、ありがとヨ」

「カーッ。やり直しッ! 目を見て! 助けてくれてありがとうございます! ハイッ!」


(爺さん豹変しすぎだろ……それだけ可愛い教え子ってことか。ルカもルカだ。ノームに叱られるオーガって)


「た、助けてくれて……ありがとう、ございます」

 目の前で繰り広げられるふたりのやり取りが可笑しすぎて、つい笑顔がこぼれてしまう。

「はいよ。どういたしまして」


◇◇◇


 早朝にプラチナム王国を発ってから半日と少し。4頭の馬は速歩で街道を北東へと進み、ストローム王国領の首都、ストロームを目指している。ストロームから遥か北にゆけば、かつてタリューの森と呼ばれていたエルフの故郷、東にゆけば、目的の港町ビスマに辿り着くという。

「セラドさーん、大丈夫ですか? そろそろ休憩したほうが」

 ヘップは、前を走るセラドに声をかけた。相変わらず片手を振って「いらない」の合図を返してくる。釈然としないヘップが鼻を鳴らすと、サヨカが馬を寄せてきて囁いた。

「心配ですね~」

「ええ。ああやって強がってますけどね」

 セラドの姿勢や呼吸を観察しているヘップは、彼が本調子と程遠いことを見抜いている。バァバから買ったという【分散の】スタデッド・レザーアーマーとサヨカの素早い処置が無ければ死んでいたかもしれないのだ。

「もうしばらく治療と安静の時間が欲しいんですけどね~。外傷は癒えても中身がまだ……」

 サヨカの耳打ちに頷いていると、先頭のルカも振り向いた。

「やせ我慢するなヨ?」

 セラドの様子を窺う彼女の顔には、いつもの鋭さが無い。

「うるせーな。だーいじょうぶだって言ってんだろ? ったく心配しすぎなんだよ……。もうちょっと行きゃあ小さな村がある。まだあればの話だが」

「ホッホ。川の近くに村が見えますな。村人や旅人の姿も。道中に障害は見当たりません。日が落ちるころには着くでしょう」

 鳥の目を借りて前方を偵察していたホーゼが報告すると、セラドは満足そうに頷いた。

「ホラ、急ぐぜ! コイツがオレを待っている」

 セラドは駄載鞍に積んだ酒瓶を袋の上から撫でると、駈歩でルカを抜き去っていった。

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