『旅』3/6
ミスリルの強力な魔素を体内に蓄積したストーン・スパイダーは、地の迷宮のそれよりもはるかに巨大な個体に成長していた。狭く入り組んだ坑道を縦横無尽に駆け回る凶悪なモンスターにとって、数で勝負することしか知らない王国兵は恐れるに値せず、坑道に現れた5人に対しても獰猛に襲い掛かった。
……が、今回は相手が悪かった。地の迷宮の中層階をたった2人で攻略しているセラドとヘップ、オーガ族随一の格闘能力を備えるルカ、上級メイジの証『ソーサラー』の称号を有するホーゼ、経験不足ながらプリーストとして非凡な才を持つサヨカ。ストーン・スパイダーはこの5人にいくつかのかすり傷を負わせた後、あっけなく死んだ。
「なあ、やっぱ売っちまうのもありじゃねえか?」
坑道の戻り道、布袋いっぱいのミスリルを背負ったセラドは、もう一度提案した。ルカの舌打ちが狭い空間に反響する。
「価値がわからない酔っ払いは黙ってな。これだけまとまった量はいくら金を積んだって簡単に手に入らないんだヨ」
「でもクセーんだよ。クセーだろ? 鼻詰まってんのか? こんなクセーので武器だの防具だの作ってよ、クセーままだったら最悪だろ?」
「ホッホ! たしかにこの世のものとは思えぬ悪臭ですな。しかしセラド殿、臭いの元は臓物や体液。丁寧に洗い流して炉にくべたら問題ありません。それにヘップ殿にはもっと良い装備品を使っていただきたいですしな」
ルカの肩に乗っているホーゼが、ヘップの装備を上から下まで眺めながら言った。
「え? オイラですか?」
「ええ。そんなノーマルなダガーでは心もとない。上半身も守備力を上げたいところですな。サヨカ殿は魔素の運用効率を上げるために腕輪をこしらえるといいでしょう」
「いいですね~」
「いやぁ、オイラは別に……まった!」
ヘップの唐突な一言に、全員の足が止まった。セラドはその意味をいち早く理解し、腰の剣に手を伸ばす。
「前方、油の臭い。来るときにはありませんでした」
ヘップの断言が外れたことはない。セラドもほかの3人にならって、鼻をスンスンと鳴らしてみる。
「ミスリルがクサすぎてわからねぇ」
「どれ、私が」
ホーゼがゴニョゴニョと何かを唱えると、彼の左の掌に炎が灯った。その炎を摘まむように、右手の指先を何度か動かすと……炎はその形を変えていき、やがて小さな火の鳥になった。
「手品みてぇだな。召喚スペルか?」
「いえいえ、私が召喚できるのは甘菓子だけ。これは火炎スペルの応用です」
ニコリと笑ったホーゼが火の鳥にフッと息を吹きかけ、前方に飛ばした。人が歩く程度の速さでゆったりと進む火の鳥から、炎の雫がぽた、ぽた、と垂れ落ち、地面にオレンジ色の点線を描いてゆく。一滴、一滴、一滴。20メートルほど飛んだところで一滴が油に引火し、ごうっと燃え上がった。炎は火の鳥を呑み込みながらあっという間に坑道の側面、天井へと広がり、炎の壁となって行く手を塞ぐ。
「ホッホ。罠ですな。まあ油を燃やし尽くせばよホッ!?」
突然ルカが動いて、炎の壁の向こうから飛んできた何かを掴み取った。1本の矢……。ルカが動かなければ、矢はホーゼの小さな頭部を正確に捉えていた。
「出てこいヨ、卑怯者」
ルカが矢のシャフトをへし折りながら、5人の先頭に立った。セラドはヘップと中列を維持。ホーゼは杖にまたがって浮遊し、スペルを詠唱しながらサヨカと同じ位置まで後退していく。矢がもう1本。ルカがふたたび掴み取る。詠唱を終えたホーゼが両掌を前方に向けると、炎の壁のなかに新たな火柱が出現した。火勢がいっそう強まり、離れていても皮膚がちりちりと刺激される。たちまち油を喰い尽くした炎はその勢いを弱めながら――こちらに歩いてくる男の姿を赤く照らした。
「テメェ、さっきの」
入り口にいた鉱夫。似つかわしくない弓を携えている。
「いやあ、丸焼きにするつもりだったんですけどねぇ。さすがホビットくん、鼻も勘もいい。それにスカーフの彼女! 私の矢を素手で掴むって、人間業じゃないですよそれ。あ、オーガでしたね。ハハッ! 笑えますね」
「アタイを知ってるのか?」
「いえ。そのヘタクソな変装、もっと工夫したほうがいいですよ? あ、ホビットくんとウッドエルフのお嬢さんは辺鄙な集落で会ってるんですけどね。あれ? 会ってる? いや、お見かけと言うべき? まあそんなところです。ホビットくんは酒場の雑用クビになったんですか? ハハッ! ……そっちの二日酔い男と老ぼれノームは知りませんね」
男は異様な調子でまくし立てて、最後はスッと真顔に戻った。先刻の鉱夫と同一人物とは思えない。
「 二日酔い男って、オレ? おいヘップ、誰だコイツ。ニューワールドの客か?」
「さあ……オイラ、一度見た客の顔は忘れないのに」
「私も知りません~」
「ああ気になさらず! あの時と顔が違いますから。それにどうせここで死ぬんです。あ、死ぬのは私じゃありませんよ? ハハ! 皆さんが。あ、でも一応名乗らないと失礼ですか? えー、シン。……シンと申します」
シンと名乗った男は、狂気じみた三日月目を作り、仰々しくお辞儀した。
「オレはセラドだ。テメー、狙いはミスリルか?」
「ええ、ええ。ま、私にもいろいろと事情が、ね? あの蜘蛛、私とは相性が悪くって。噂を流して、ホイホイ釣られた冒険者にお任せした方がラクかな、そいつら殺す方がラクかな、って。って、てって言い過ぎですね私。でもみんな失敗して役立たず。バカ王妃はまだかまだかってしつこいし、相手にするだけで疲れるんですよ。あ、ここだけの話しですよ? シーでお願いします」
シンは人差し指を薄い唇にあてて、ウィンクした。
「バカはテメーだろ。5対1だぞ? 泣きベソかいて謝っても許さねーから覚悟しろ」
「えー? 私、泣いたことないんですよね。ハハッ!」
「じゃあ今日が初めてだな。喜べ」
(……と言ったものの、ちぃと厄介だ。弓の腕前と罠の使い方からして、おそらくレ
セラドは後列のサヨカにミスリルを託して、小声で4人に指示を出す。
「絶対に逃がすわけにはいかねぇ。オレとルカでやる。接近戦だ。ホーゼとサヨカはひとまず攻撃スペル禁止、ヘップはふたりを矢から守ってやれ。あとは場の流れでイイ感じに。あのムカつく余裕ぶりはまだ手の内をすべて見せてませんって顔だ。注意しろ」
「リーダー気取りか? ま、いいさ。やってやるヨ」
ルカが外套とスカーフを剥ぎ、両腕に嵌めた白銀の籠手――【メイジフィスト】をガンガンと打ち鳴らした。セラドも【エヨナのシンギングソード】を鞘から抜く。
「さ! 作戦は決まりましたか?」
シンは薄気味悪い笑みを浮かべながら、挑発するように左、右、左、右、と首を傾けている。
セラドとルカは同時に地を蹴り、20メートルの間合いを詰めにかかった。
「そう来ますよね」
シンは驚異的な速さで背中の矢筒から2本抜き、弓を水平に構えて同時に放った。ルカは速度を落とさず拳で払い除ける。セラドは半身になって辛くも回避し、走り続ける。シンはすでに次の射撃体勢に入っている。右手に3本の矢が見える。うち1本が射られた。
「っと!」
射線を読んだセラドはぎりぎりで回避するも、バランスを崩して前のめりになる。シンを視界に捉えたまま体勢を立て直そうとするが、間髪入れず飛来した2本目を避けるためには転がるしかなかった。
「またオレかクソ!」
斜め前へ飛び込むように前転し、勢いに任せて膝立ちになる。3本目を射終えたシンと目が合った。シンの目は笑っていた。セラドは咄嗟に左手を顔の前にかざした。鋼鉄の義手が矢を弾く金属音が響く。指の隙間から見えるシンは不満げな真顔に戻っていた。セラドはすぐさま立ち上がり、後れを取り戻すべく走った。並外れた脚力を持つルカは、すでに近接戦闘の間合いに入っていた。
「シッ!」
ルカが左ストレートから入る。バックステップで回避したシンのバンダナが風圧で吹き飛び、短く刈り揃えられた銀色の髪があらわになった。シンは素早い手探りで矢を選び抜き、ルカの足元を射った。矢が突き立った地面から木の根がニョロっと伸びて、蛸のようにルカの両足を絡め取った。
「こ、の……!」
「【根の】矢、そのまんまですよね。ハハッ! 」
シンは弓を背負いなおしながらリズミカルにバックステップすると、屈んで岩陰に手を伸ばした。拾い上げたのは、見たことのない形状のクロスボウだった。矢をつがえる位置に長方形の箱が乗っていて、レバーようなものが生えている。
「これ重いから嫌いなんですけどね」
シンは呟きながらレバーを前後させはじめた。次々と射出される短い矢がルカに襲いかかる。
「シッ、シシシシッ!」
ルカは足を固定されたまま、超高速で拳を繰り出して矢を叩き落としていく。硬質なガントレットと矢尻が衝突する連続音が坑道に響く。シンが「すごいすごい!」と笑いながら激しくレバーを前後する。連射速度はさらに上がり、1本がルカの太腿をかすめ、1本が脇腹の肉をえぐる。ルカに追いつき追い越したセラドは義手で己の顔を守りながらさらに走り、駆け抜けざまにシンを斬った。胴体の肉と骨を断つはずだった一閃が、硬質な何かに遮られる音と感触。剣を握る右手に力を込めなおしながら振り向くと、シンは曲芸じみた連続バック転を打って後退していき――2人と3人のほぼ中間地点でうずくまった。
「イテテ……また肋骨が。困るなあ。もっと簡単に殺せると思ったのに」
シンの布服が裂けて、虹色の光を仄かに放つ胴着が覗き見えている。
「チッ。まさかミスリルを着込んでるとはな」
(クソ、左手が言うこと聞いてりゃぶった斬れたはず……)
陰で続けてきたリハビリとバテマルの技術力のおかげで、楽器の扱いはサマになってきたが、全力で剣を振るうには手首の調子が程遠い。
「ルカ、その根っこみてーの取れねぇのか? スペルかそれ」
セラドは捨てられたクロスボウを踏み潰しながら、ルカの足元を見た。
「レンジャーが矢に込めて使うネ
ルカがしゃがんで、木の根を掴むと、
「う、お、お、お、おおおお!」
強引に引きちぎった。
「力技かよ」
セラドはツッコミながら、ルカの脇腹を見た。自分ならば痛みと出血に顔を歪めそうな傷だが、強靭な筋肉と厚い皮膚のおかげか、一筋の血も垂れていない。その傷口が淡い緑色の光に包まれて、みるみる塞がっていく。
「距離が遠いのでこれくらいしか~。無理するとキレイなお肌に傷跡が残りますよ~」
ヒ
「腹も脚も防具で隠しときゃいいのによ」
セラドは率直に言った。ルカが身に着けている金属武具は、いかつい籠手と、胸当てだけだ。下半身も、二分丈のズボンに薄革のブーツだけ。灰白色の逞しい上腕二頭筋や腹筋、大腿筋は剥き出しである。
「ストライカーには邪魔なんだヨ」
「へぇ、そうですか。……さーて、挟み撃ちだ。次は確実に殺す」
セラドはショートソードをくるりと回し、剣先をシンに向けた。坑道の奥にはヘップ、サヨカ、ホーゼ。出口側にはセラドとルカ。
「酔っ払いにできますかね?」
シンは嘲笑うように目を歪めると、背負っていた弓を掴んだ。
「オレがやるとは言ってねーんだよなぁ」
セラドがニヤ、と笑った瞬間、ヘップがシンの背後に現れた。低姿勢のダガー攻撃がシンの足首を捉える。
「よっ、ステルス王……え?」
ヘップの刃は、確実に足首の腱を切断したはずだった。だがシンはこちらを見たまま微動だにしない。一番混乱したのはヘップだろう。血のついていないダガーを見つめ、シンを見上げる。
「ヘップさん横に逃げて~!」
サヨカの声。機敏に反応したヘップが横へ転がると、元いた場所に矢が突き立った。一部始終を見ていたセラドは我が目を疑った。セラドを見つめていたシンが霞のように消え、新たにヘップの真後ろに現れたシンが、矢を射ったのだ。
「ホビットくんはすばしっこいなあ」
起き上がろうとするヘップの横腹に、シンの蹴りがめり込んだ。ヘップの体が吹っ飛び、壁に激突する。
「ヘップ! んの野郎!」
セラドは走った。
「レンジャー、が、幻術……?」
喘ぎながら言うヘップに向けて弦を引き絞っていたシンが「はて」と首を傾げた。
「レンジャー? 誰がです?」
「え?」
引き絞られていた弦がシンの指から離れた。瞬間、ヘップの前に出現したホーゼの氷柱が命中を阻む。
「アー! んもう! 邪魔ばっかり!」
「シシッ!」「ォラァ!」
地団太を踏むシンに、セラドはルカと同時に仕掛けた。シンが軟体動物めいた反りで拳と剣を避ける。2撃、3撃目と畳みかけても、くねくねと動いて掠りもしない。
「気持ち悪いんだヨ!」
ルカの足払い――を側宙で避けたシンは、またもや連続バック転で距離を稼ぐと、小さな玉を地面に投げつけ――目の眩むような閃光と耳をつんざぐ爆音。頭が真っ白になる。
「の野郎……!」
戻りかけの視力でシンの姿を探すと、坑道の出口方向へと全速力で走っていた。
「今日はこのへんで!」
「ちょ、待て、ふざけんなコラ!」
待つはずもなく、シンは猛スピードで去っていく。
(速えぇ! こうなったら……!)
セラドは剣を納めて【カッコウの】フルートを手に取り、『オレたちの鷲の歌』を奏でた。セラドとルカの身体が、地面から拳ひとつぶん浮きあがる。セラドは地面を走る感覚で宙を蹴りながらルカと目を交わす。
「オレの背中をブン殴れ!」
狙いはすぐに伝わり、背中にどぎつい衝撃が走った。
「痛ってぇぇぇ!」
だが背骨は無事、手足も動く。肋骨をやられた翌日にバァバが押し売りしてきた【分散の】スタデッド・レザーアーマー。悔しいが買って正解。ルカの剛腕によって地上最速の男となったセラドは、みるみるうちにシンに迫る。背後から、爆速で追従するルカの息遣いが聞こえる。
「えええ!?」
逃げ切れると踏んでいたのか、背後を二度見したシンに狼狽の色が浮かんだ。
「オオラアア!」
あと少し、が、弓を手に取ったシンが、振り向きざまに矢を放った。射線はセラドの背後上方――首を回して追うと、天井に命中した矢が爆発した。
(クソ野郎!)
シンの卑怯な一手を見抜いたセラドは、迷わず地面に剣を突き立てて180度急旋回、ルカも遅れて気づいたようだが、ドンピシャのタイミングで引き起こされた落盤がすでに彼女の頭上ではじまっていた。
◇◇◇
「クッ!」
ルカは、正面に落下してきた大きな岩を一撃で粉砕、ふたたび走り出そうとする――が、真上からどっと黒い塊が落ちてくる。前進も後退もできず、拳をがむしゃらに天に向けて繰り出す。次々と身体を打つ岩石の圧力に抗えず、膝をつく。
(こんな無様な死に方――)
「ヨイショォ!」
ルカの耳に、セラドの力強い声が届いた。同時に身体が突き飛ばされ、冷たい地面を転がる感覚。局地的な落盤から免れたルカは土を吐き、目を擦った。土砂に呑み込まれるセラドの姿が一瞬だけ見えて……見えなくなった。
「な……」
「セラドさん!」「セラド殿!」「セラドさん~!」
ルカはすぐに立ち上がることができず、うしろから駆けてくる3人の声を呆然と聞いていた。
◇◇◇
「ハーッ、ハーッ、フゥー……」
坑道を出たシンは、誰も追って来ないことを確かめながら鉱夫の詰め所に入った。弓矢をテーブルに放り、粗末な椅子に腰を下ろす。アドレナリンの分泌がおさまるにつれ、肋骨が悲鳴を上げはじめた。
(どちらかは死んだでしょう。あの酔っ払い、まんまと仲間を助けに戻ってくれて助かりましたよホント……。ああやって悪ぶってるバカは単純でいい。しかしここまで手こずるとは……収穫無しだなんて。ありえませんよね私。なんて愚かな私! あの量のミスリルは惜しい……ここの材料と手持ちの道具で……いや、ロクな罠は作れませんね。治療と追跡に専念して……油断したところをひとりひとり始末すればいい……ええ、ええ……慎重に……。ハァ。ホント、しつこく追ってきたニンジャ集団といい、あの集落に関係する奴らは要注意ですね……)
「フゥー。さ! ヨッシ! 仕切り直し! がんばるぞー! ハハッ!」
シンは両手で頬をパンパンと叩き、立ち上がった。隠しておいた荷物を背負い、詰所の扉を勢いよく開ける。
「ハ?」
目の前に老婆が立っていた。薄汚れたグレーのローブ。白髪まじりの前髪から覗く左眼が、琥珀色に輝いている。
「みぃーつけた」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます