『旅』2/6

 セラドが「ここの味は間違いない」と案内したのは、裏路地にひっそりと佇む小さな店で、客も少なかった。しかし不愛想な店主がテーブルに並べてゆく料理はいずれも絶品で、こだわって仕入れているというプラチナム産のエールも、バグランのそれに負けず劣らずの味わいだった。

「あの、質問いいですか?」

 食事をひととおり終えたタイミングで、ヘップはバァバに話しかけた。

「なんだい」

「ふたつあるんですけど……ドゥナイ・デンで話を聞いてからずっと気になっていて」

「どうぞ……ヒヒ」

 頷いたバァバは店主に合図を送り、エールのおかわりを注文した。

「皆さんが地の迷宮に潜らないのは、例の結界が関係してるんですか?」

「ご明察。踏み込んだ瞬間に出入り口の結界は消えて、モンスターはここぞとばかりに地上に這い出てくるだろうね。21階との二重結界と言って差し支えないが、仕組みは少し複雑」

「なるほど……」

「ヘッ。オレたちにビビって出てこないんだと思ってたぜ」

「勘違い野郎は黙ってろヨ」「ああ?」

 ルカがセラドを睨む。セラドも睨み返す。

「ホッホ! お嬢。セラド殿。ここはヘップ殿の質問に耳を傾けましょう」

「ソ。お静かに……で、もうひとつは?」

 促されたヘップは、軽く咳ばらいをしてから続けた。

「なぜ、賢者ふたりは厄災になってしまったのですか。ヤコラの手記には、100年前にと書いてありましたし、ふたりはそのあとも賢者のままだった。なのになんで50年も経ってから」

「クク……とてもいい質問」

 満足げに何度か頷き、バァバは続ける。

「それはね。倒した瞬間、厄災の一部……魂の欠片みたいなものが賢者に転移した、と考えている」

「タマシイの、カケラ……。それが50年かけて賢者の肉体を乗っ取った……、と」

「ソ。まあ厄災に魂なんてモノがあるか知らないけどね。そう例えるのがわかりやすい。50年前にアタシらが地の厄災を倒したときは、翌朝に復活してるから6人とも無事ってハナシ」

「じゃあ、倒したらまた同じことになるんじゃ」

「ならないね」

 バァバが即答した。

「なぜです?」

「そのあたりは心配しなくていいさ……ヒヒ」

 はぐらかされたヘップは考え込んだ。タイミングを計ったように店主がエールを運んでくる。

「オレもひとつあるぜ」

 全員の視線がセラドに集まる。「どうせくだらない質問だろ」とルカは鼻で笑ったが、セラドの目がいつになく鋭いことに気づいたのか、それ以上は何も言わなかった。

「ハイ、セラドくん。ドーゾ」

「いいか、正直に答えろよ? ……ダンジョン発見の噂が大陸中に広まったのがだいたい2年前だ。で、ハンターが殺到。ま、オレらが訪れた時にはだいぶ盛り下がってたけどな。死ぬか、泣いて国に帰るかでよ」

 という言葉の意味を、ヘップは知っている。酒に溺れた一匹狼のバードが、異常なペースでダンジョン探索を繰り返していた理由を思い出す。ふとセラドの手元を見ると、右手が――腰に吊った剣の柄頭に乗せられている。

 セラドは言葉を切って、バァバの表情を伺っている。バァバは並々と注がれたエールを一気に飲み干し、「もう一杯」とゲップを吐いた。

「テメーらはよ、ダンジョンの存在を50年も前から知っていた……。なのに知らん顔で武具屋だの酒場だの診療所だのを開いて商売してよ、ノコノコとやってきたハンターたちが地下でバンバン死んでいくのを黙って見ていたわけだ」

 ふたたび言葉を切ったセラドは、義手でゆっくりと葡萄酒の瓶を掴み、グイと呷る。濡れた髭を袖口で拭い、

「……テメーらだろ、ダンジョンの噂を撒いたのは」

 ズバリと言った。ヘップも薄々勘づいていたことだが、聞けずにいた問い。

「ソ」

 バァバは頬杖をついたまま、あっさりと認めた。セラドは「フン」と小さく鼻息を漏らし、ギロリとバァバを睨んでいる。先ほどまで柄頭に乗っていた右手は、グリップを握っている。

「テメーらの目的は人材発掘。ダンジョンは冒険者を集めるための餌。そうだな?」

「ソ。何十年もかけて大陸中をまわってもビビンとくる逸材がぜんぜん見つからなくてね。じゃあ来てもらおうか、って逆転の発想……ヒヒ」

「……罪悪感は」

 尋ねるセラドの義手が、静かに鞘を掴んだ。

「ハァーー?」

 バァバの大声に、全員がビクッと肩を上げた。

「罪悪感? んなモン微塵もないさ。こっちは最初から ”世にも恐ろしいモンスターが徘徊する危険なダンジョンがあります” って言ってるんだ。強制もしちゃいない。となりゃ、あとは挑戦者の自己責任だろう? 名をあげたい奴もいる。一攫千金を狙う奴もいる。難病の家族を救うために珍しい素材を採りに来る奴もいる。戦もめっきり減っちまってとにかく何かをブッ殺したい奴だっている。鍛錬目的の奴も。どいつもこいつも自分で来たくて来てるんだ。文句を言われる筋合いはないね。1000人いたら1000人が自己責任」

 早口でまくし立てたバァバは、無味乾燥な目でセラドを見つめている。

「流血沙汰は外で頼みますよ」

 店主は小声で言いながらエールを置いて、カウンターに戻ってゆく。

 見定めるようにバァバを睨んでいたセラドは、やがて柄から手を離した。

「ならいい。お涙チョーダイなクソ言い訳しようもんならその首を刎ねてやろうと思っていたけどよ。ま、死人の首を飛ばして意味があるのか知らねぇが」

 張り詰めていた空気が緩んだ。喉の渇きに気づいたヘップは、飲み物に手を伸ばす。

「アタシが提案した。少しばかり意見は割れたが、音信不通だったドーラを除く全員が納得した。天の塔の封印が弱まってケツに火がついてたしね。大陸に情報を流したのもアタシ」

「そんなところだろうよ」

「ヒヒ……腹の虫はおさまったかい?」

「おさまらねーな。許せねぇ」

 安心しきっていたヘップは、ギョッとしてセラドを見た。しかし先ほどまでの険しい表情はそこになかった。

「……オレとヘップだけが知らなかったってことにな」

「ククッ。まあまあ。いい話を持ってきたから……アタシがここに来た一番の理由さ。それでオアイコにしようじゃないか」

「いい話? 怪しいもんだぜ」

「ヒヒ……人を疑ってばかりじゃ疲れるよ?」

「ケッ、誰のせいだと思ってんだ。本当にいい話なんだろうな」

「そりゃもう。チョット寄り道になるけどね。その価値はある」

「気になります~」

「寄り道してる暇なんてあんのかヨ」

「ホッホ……」

 全員が会話に加わり、バァバに注目した。

「エー、静粛に。では明日にでもやってもらおうかね」

「やる? やるってなんだよ」

 バァバはクツクツと笑い、ボソリと言った。

「虫退治」


◇◇◇


「あれですね」

 ヘップは、バァバに渡された地図を懐に戻し、岩山の中腹に見える鉱山の入り口を指した。ゆっくりと進む馬上で船を漕いでいたセラドが「んぁ? 着いたか?」と目を開けて、気の抜けたあくびをする。

「もう着きます。気合入れないと危ないですよ」

「ったくダンジョンを離れてアウトドアのはずが……また穴潜りとはなぁ」

「ホッホ! ミスリルのために頑張りましょうぞ」

 バァバが持ち掛けた「いい話」とは、ストーン・スパイダーの退治だった。喜ぶ奴などいるものかと5人は幻滅したが、ミスリルが手に入ると聞いて目の色が変わった。


 過去2度にわたる厄災との戦いにおいて、天と地の迷宮を包囲した部隊は、外に出ようとするおびただしい数のモンスターを撃滅した。だが、すべてではない。深層を寝ぐらにする竜族や巨人族、高位の悪魔族らが稀に姿を見せるたびに陣形は大きく乱れ、包囲の網をすり抜ける矮小なモンスターたちは捨て置かれた。

 そうして大陸に侵出したある種は地上の環境に適応できず死に絶え、ある種は安住の地に辿り着いて繁殖し、またある種は他種と交配することで大陸の生態系に溶け込んでいった。時には縄張りに踏み入った旅人を襲い、時には群れをなして家畜や農作物を食い荒らすこともあるが、各国の兵団や武芸に秀でた者たちならばさほど苦労せずに撃退できるモンスターがほとんどである。

 ストーン・スパイダーは中型の虫族で、頭胸部と腹部をあわせるとホビットほどの大きさになる。土くれや岩を好んで喰らう習性があり、いまも地の迷宮の浅層に生息してゆるやかに構造を拡張、変形させている。

 バァバが得た情報によれば、そういった個体のひとつがプラチナム王国領の上質な鉱物を餌に異常成長を続け、ここ最近は極めて希少な鉱石『ミスリル』を狙うようになったと言う。


「ササっとお腹を裂いて、いただいちゃいましょう~」

 にこやかな顔で冷酷な一言を放つサヨカに一行はギョッとするが、その通りのことをするためにこうして足を運んでいるのだ。多分に含まれた魔素によって白銀の輝きを放ち、鋼をしのぐ強さを持つミスリル。蜘蛛ごときが溶解、消化できるはずのない、武具素材。


◇◇◇


「あれ? バァバは閉鎖中って言ってましたけど……」

 鉱山の入り口近くの岩場に、ひとりの男が腰を下ろしていた。男も気づいた様子で、手を振ってくる。一行は警戒しながら近づき、鉱夫たちの詰所らしき小屋の前で馬を降りた。馬をロープでつないでいると、男は座ったまま大声で話しかけてきた。

「冒険者ご一行、ってところですかい? こんな所に珍しい」

「なんだテメー? 鉱夫か? いまは立ち入り禁止って聞いてるぜ」

「ええ、ええ。どうかご内密に」

 男は土で汚れた顔を緩めて、いたずらっぽく笑った。バンダナの代わりにボロきれを頭に巻き、捲られた袖から伸びる両腕は肉体労働にふさわしい逞しさを備えている。

「おひとりで採掘ですか~?」

「こりゃまた宝石みたいな髪のエルフさんだ。ええ、ええ。ほかで掘らせてもらえりゃいいんですけどね。バケモノのせいで鉱山はいくつも閉鎖。安全なところはどこも人手が足りてるってんで、困ったもんです。街の日雇い仕事は性に合わなくって……学もありませんしね。コソコソチマチマ掘って、たまーに採れる銀でしのいでるってワケです。へへ」

 会話を楽しんでいるかのように、男はよく喋った。

「バケモノって、大きな蜘蛛さんですか~?」

「ええ、ええ、そうみたいです。最近はここらがお気に入りのようで。おたくらの目当ても、バケモノが蓄えてるってウワサのミスリルでしょう?」

 一同はわずかに身構えた。

「おっと、余計なこと言っちまったかな? その装備で穴掘りするとは思えませんからね、ええ。へへ。実際、ここでは昔からたまーに採れたって話しですよ、ミスリル。それを独り占めするバケモノが出たって、王国兵や冒険者が騒いでましたけどね、まったく歯が立たないってんで、みんなビビって近寄りません。退治してもらえりゃこっちも助かるってもんです。さ、どうぞお気をつけて」

 男は「どうぞどうぞ」と入り口に向けて手を伸ばす。

「そのバケモノ、貴様は見たのか?」

 ルカがスカーフ越しにくぐもった声で尋ねると、男はブンブンと首を横に振った。

「いやいやいや。手足の千切れた死体が運び出されるのは見ましたけどね。かなり大物って話しです。……でもおたくらはずいぶんと強そうだ。期待してますよ」

「へっ、大物ねえ。アタイが一撃で終わらせてやるヨ。ホーゼ、念のためロケート位置感知魔法を頼む」

「ホッホ。お任せを」

 ホーゼはひらりと地に降りると、小さな革袋から粘土を取り出して、手際よく人形を作った。小さな小さなその人形を両手でそっと包み、口元に近づけて詠唱を済ませると、坑道の入り口の脇に置く。

「では蜘蛛さん退治に出発〜」

「お気をつけて」

 鉱夫に見送られながら、5人は薄暗い坑道の中へと足を踏み入れた。



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