『賢者ヤコラの手記』3/3


 老婆は、自らを『ルーゴンの捨て人』と名乗った。

 エルフの賢者と言い当てた根拠を問うたが、はぐらかされてしまった。警戒心よりも賢者としての知的好奇心が勝り、私は老婆の会話に乗ることにした。

 老婆の発言は内容は驚くべきものであったため、詳しく記しておく。


 まず、ルーゴンとは何か、と尋ねると、老婆は「南部の山奥にあった小さな村」と答えた。この大陸で何百年と生きてきた私ですら知らぬ名である。

 次に、とは何か、俗世を捨てたのか、世に見捨てられたのか、と尋ねると、老婆は「両方」と言い、じらすようにパイプ煙草に火をつけてから、「人であることを捨てた、とも言える」と素っ気なく答えた。

 私は、掌から滲み出た汗が梨の杖に吸われてゆくのを感じながら、それはどういう意味だ、と問うた。老婆は「端的に言えば死人しびとさ」と、薄気味悪く笑いながら答えた。

 淡々と、どこか冗談じみた口調で、世人せじんが聞けば笑い飛ばすような告白だった。生命体の死骸に魔力を付与して人形のように操る死霊術や、未練を持つ魂が幽体となってこの世に干渉する事例はあるが、死者そのものが意思を持って喋り、笑い、ましてや煙草をふかすなど聞いたことがない。


 しかし私は戯れ言と思えず、老婆の言葉に耳を傾けていた。

 地の厄災が築いた迷宮では、ヴァンパイアロードと呼ばれる不死の王を頂点とした眷属が、戦士たちを大いに苦しめたと聞いていた。生者とは呼べない存在が生者のように振る舞う前例はあるのだ。


 私は、赤の他人である老婆に対して、本来は語るべきではない真実をポツポツと口にした。万策尽きてすっかり弱気になっていたことが口を軽くしたと言えるが、目の前の怪しい老婆……死人と自称する謎めいた存在に、言いようのない光明を見出したような気になっていたのも事実だった。


 驚くべきことに、老婆は多くのことを知っていた。そしてさらに驚くことに、私の話を聞き終えた彼女は、自らを12戦士のひとりに加わえることを提言し、不足していた兵にも当てがあると言った。

「ありがたい申し出だが、あなたに何ができるのか」

 試すように私が言うと、老婆はエルフの賢者ですら知らぬ言葉で短く呟き、おもむろに眼下を指し示した。目で辿ると、髑髏の戦士が大地に立っていた。傷だらけの鎧を纏い、古めかしい鉄兜で頭と顔を被い、粗末なバックラーと湾曲したソードを持っていた。私が問う前に、老婆は「かつてのここの民」と言った。老婆が指を鳴らすと、髑髏の戦士は砂に消えた。

「得意なことと言えば、このくらいだね」

 と老婆は言って、煙草をふかした。彼女はネクロマン死霊術師サーだった。


 ネクロマンサー。

 死霊術師。死人使い。やまいと死と腐敗の紡ぎ手。

 死者死霊を人形のように扱う不浄の象徴とされているが、ネクロマンサーに関する文献や情報はあまりにも少なく、その正体は闇に包まれている。


 私は、エルフの死生観とかけ離れた死霊術を嫌悪していた。死者が死霊術を扱うなどという話も前代未聞であり、彼女の提案を承諾することに大きな危険を孕んでいることも承知していた。だが、私は受け入れた。長い詠唱と多量の魔素を必要とする召喚術――対象が精霊か死者死霊かはともかく――を一瞬でやってのけるその力量と、兵に当てがあるという彼女の言葉を、私は信じることにしたのだ。


 ルーゴンの捨て人――バァバと名乗った老婆が加わり、戦士は7名になった。

 50年前と比べても遜色のないどころか、より一層強力な者たち。しかし7名でふたつの迷宮を同時に攻略することは不可能。私は当初の計画を諦め、残された唯一の策で勝負するしかなかった。


 6名が地の厄災を討ち、その後に天の厄災も討つ。単純な計画である。


 私を除く6名、ドーラ、バグラン、トンボ、フロン、アンナ、バァバをひとつのグループとして地の迷宮に向かわせ、地の厄災を討つ。統率力と生命力を重視し、フロンをリーダーに定めた。反対する者はいなかった。彼らは偏見に毒されておらず、各々が冷静に実力と役割をもとに最適解を考え、納得していた。

 地上の防衛は、モリブ山のドワーフ隊を主力に、ダームのサイオニッ超能力者ク隊、イムルックのメイジ魔法使いやプリース僧侶トで固める。戦力は充分と言えないが、迷宮内部へ派出する補佐隊の働きによって解決できると考えた。補佐隊とは、バァバが連れてきたニンジャの集団である。サムライ同様に西の大陸から渡来したという彼らの実演を見た私は、ある種の興奮を覚えた。彼らならば、誰よりも上手く迷宮内部で立ち回ってくれることは間違い無かった。

 天の塔における補佐隊も、無理な転戦を強いることを重々承知の上で、彼らの生き残りに託すしかない。


 地の迷宮を攻略しているあいだ、天の塔を包囲するブラッドエルフたちが持ち堪えられるのか、という問題が最後に残るが、ここで私の役目が生まれる。

 50年前の攻略の際、密かに18階に残しておいた私のゲート転送魔法円は『賢者の隠道かくれみち』とも呼ばれる特異なもので、今も生きているはず。単身ならば、そこから【隠れ身の】ローブで姿を消し、最上階まで一気に進むことができる。そして、天の厄災が籠る『ソラの間』そのものを封じる。厄災の力がソラの間の外に及ばなくなれば、日に日に凶悪さを増しているという魔物の動きも抑えられるはずだ。

 地の迷宮の踏破に要する日数と、残存戦力が天の塔まで移動する日数を合わせると、おそらく2ヵ月か、3ヶ月。天の厄災に障壁魔法が有効なことは、50年前の戦いで賢者ボコイが証明している。私の命と賢者たちの遺物を代償に結界を張れば、充分な時間が稼げるだろう。


 6名がひとりも欠けることなく地の厄災に勝利し、さらに天の厄災をも打ち破る。

 薄氷を踏むような作戦だが、彼らはやってのけるだろう。ふたつの厄災を絶息させ、禍根を完全に断ってくれると信じている。


 最後に――

 これは私の仮説だが、厄災を討つことと同程度に重要なこととして、限られた者に


◇◇◇


 手記はそこで終わっていた。続きが破り取られた跡がある。


「あ? ……オイ、これで終わりか? 破られてて続きが読めねーぞ」

 読み終えたセラドは隣のヘップに手記をまわし、椅子にふんぞり返った。テーブルにドッカリと足を乗せ、葡萄酒を呷り、全員を鋭く睨む。

 バァバ、バグラン、トンボ、アンナ、サヨカ。それにオーガふたりと老けたノーム。

 ニューワールドに呼び出されたセラドは、唐突に「これを読め」と手記を渡され、しぶしぶ読んだ。鎮痛薬のせいで酷さを増した二日酔いと戦いながら。バァバから「読み終わるまでイチイチ質問しないように」と釘を刺され、黙って読んだ。どうやらすでに事情を知っているらしい目の前の8人に無言で見守られながら、文句も言わず読み進めた。そうすれば彼らの言うがつまびらかになると期待していただけに、セラドは苛立ちを通り越して怒りを覚えていた。

「続きは?」

「我々も知らない」

 正面に座るオーガが端的に答えた。先ほどフロンと名乗ったオーガの王だ。

「んだよそれ。ふざけてんのか? てかバァバ。アンタ死んでんの?」

「ヒヒ……ちょっと違うけど、そんなところだね」

 パイプ煙草をふかしていたバァバがニタリと笑う。

「コワ……厄災だのなんだのよりそっちが衝撃的だぜ」

「サプラァーイズ」

「チッ、腹立つ……。でよ、このジジイの日記みてーのは、なにが言いたいんだ。グダグダ長げぇんだよ。もっとシンプルに書けっつーの。むかしむかしエルフがいけないコトしました。そのせいでブラッドエルフや厄災ってのが生まれました。倒したはずが50年ぽっちで復活しました。困った賢者のジジイが人を集めて……アンタらを集めて……肝心なところが欠けてるじゃねーか。勝ったのか?」

「ああ」

 フロンが頷いた。セラドは手をひらひらと振って席を立った。

「じゃあハッピーエンドだろ。ハイハイめでたしめでたし。皆さんの武勇伝を教えてくれて感謝感激。もうひと眠りしたら詩でも書いてやるよ」

「だが勝てなかった」

「あ?」

 フロンの一言に、セラドは動きを止めた。

「……オーガの大将さんよ、オレ、回りくどい謎かけは好きじゃねーんだよなあ。ハッキリ言ってくれや」

「ああ、そうだな。すまない」

 神妙な面持ちで素直に詫びたフロンに拍子抜けしたセラドは、やれやれと溜息を吐きながら座り直した。

「ったく面倒くせぇなあ。続けてくれ」

「確かに倒したのだ。50年前……地下21階で、我々6人は地の厄災を倒した」

「やったじゃねーか」

「そして、賢者ヤコラにあらかじめ指示されていた通り、我々は天の塔に向かうことにした。この地で一晩身体を休めてからな」

「で?」

「翌朝……日の出と同時に、地の厄災は復活した」

「……は?」

「念のため網を張っていたバァバが感知した。我々はただちにもう一度、地下21階に向かった。道中のモンスターは掃除したばかりだ。生存者の捜索にあたっていたニンジャたちの助力もあり、すぐに辿り着いた。地の厄災は、確かに復活していた」

「ナンデ?」

「奴は言った。天ある限り、地もある――と」

「でたよ、また謎かけ」

 セラドはうんざりしながら葡萄酒を呷る。

「天と地の厄災はふたつでひとつ。一方が残っていれば、もう一方も息を吹き返す。タイミングは日の出か、一定の時間経過。確証は無いが、我々はそう結論づけている。100年前のエルフたちはそうと知らぬまま運良く同日に倒した。だから賢者ヤコラもこのことを知らなかった」

「……その厄災っての、バカだろ。自分で弱点バラしてんじゃねーか」

「バカ、か。確かにな」

 フロンは鼻から息を漏らし、少し笑った。

「そのような考えを持たぬのかもしれない。奴は、我々にも分かる言葉をいくつか発したが……純粋だった」

「バケモノの親玉が純粋? 笑えるぜ。で? 復活してましたー、のあとは」

「天の塔で賢者ヤコラがそうしたように、地の厄災は我々が封じた」

「封じた……でもよ、命を投げ出した賢者サマと違ってアンタら全員生きてるじゃねーか。あ、ここにいねぇドーラって猫女が犠牲になったとか?」

 フロンは首を横に振った。

「6人全員が犠牲を払った。エルフの賢者が取った手段と違うのはそこだ」

 フロン、バグラン、トンボ、アンナの顔がにわかに険しくなったように思え、セラドは固唾を飲んだ。ほかの3人は隣のテーブルに座ったまま一言も発しない。一呼吸したフロンが、セラドを真っすぐ見ながら続けた。

「我々は……バァバの、ネクロマンサーの力でを地下21階に残し、地の厄災の活動と迷宮の入り口を封じている」

「……理解の範疇を超えてるぜ、それ。まったく意味がわからねえ。塔はどうなったんだ?」

「手記に書いてある通り、賢者ヤコラが命と引き換えに21階を封じた。そして入り口はいまこの時もブラッドエルフたちが守っている。だが賢者の結界は弱まり、解かれようとしている」

 フロンが言い終えると、重々しい空気が店内を支配した。ヘップはふたたび手記を読むのに夢中だ。深く溜息をついたセラドは、葡萄酒の瓶から滴る最後の一滴を舌で受け止め、全員の視線から逃れるようにうつむき……ボリボリと頭を掻き……嫌な予感が思い過ごしであるようにと念じながら……ようやく口を開いた。

「で、そんな話……オレになんの関係があるんだ」

「お前も選ばれし戦士のひとりだ。隣のホビットもな」

「勘弁してくれよ」

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