『賢者ヤコラの手記』2/3
天地の迷宮から生還した賢者3名、射手1名のうち、賢者2名の奇行が周囲の目に留まるようになったのは、終戦から50年目のことだった。
それぞれ別の土地で余生を送っていたふたりの賢者は、まるで見えない糸で繋がっているかのように時を同じくして棲家に籠る日が増え、何語とも知れぬ言葉で呻き、喚き、周囲に当たり散らしたという。
従者から立て続けに報せを受けた残る1名の賢者――私は、まず、天の塔で共に戦った賢者ウヤンの元を訪ねた。彼は蛙人族フロルグの里に身を寄せ、湖のほとりで穏やかに暮らしているはずだった。だが、数十年ぶりに再会した友を見た瞬間、忘れもしないあの戦慄が五体を駆け抜けるのを感じ、脳裏におぞましい記憶がまざまざと蘇った。賢者の中で最も聡明なウヤンが放つ魔気は、天の厄災そのものだったのだ。
私は迷うことなく、全身全霊を以って友を葬ろうとした。しかし敵わず、私は湖に沈められ、ウヤン――以降は『天の厄災』と記そう――は忽然と姿を消した。
フロルグによって冷たい湖の底から救出された私は、急いでもう一方の賢者、ホーカスの隠遁先――猫人族フェルパーの里を訪れたが、こちらも手遅れだった。かつて地の迷宮から生還した温厚な賢者ホーカスは、大勢のフェルパーを殺してどこかに消えたあとだった。賢者ウヤンと同じく、彼もまた厄災の力に侵されことは想像に難くなかった。
悲しみに暮れる暇もなく、私がゲートでタリューの森――今はブラッドエルフが築いた赤の町と記すべきか――に飛ぶと、すでにブラッドエルフの軍隊が塔の入り口に何重もの陣を構えていた。塔の先端に飛来した禍々しい光、つまり厄災の帰還を目の当たりにした彼らは、何をすべきか忘れていなかったのだ。
塔の包囲をブラッドエルフに任せることにした私は、族長のソーヤに急ごしらえの計画を伝え、赤の町を後にした。禁忌を犯していない彼らの力はイルークに劣るが、それでもブラッドエルフは大陸随一のスペ
天の厄災になった賢者ウヤンが天の塔に籠ったことから、セレンの里から消えた賢者ホーカスは地の迷宮を目指していると考えられた。50年前と同じならば、南西の果てに辿り着くまでには多少の猶予がある。私は優先すべき難題に取り掛かった。
難題とは、他種族の長に接触し、真実を明かし、助けを乞い、戦士を揃えることだ。
天の塔に6名。地の迷宮に6名。数を揃えるだけでなく、戦闘における役割を十分に考慮した編成にしなければ勝利は無い。そして、12名を支える多くの兵も必要だった。ハイエルフたちはもういない。彼らはかつての力を失い、親しい者を失い、故郷を失い、大陸中に散ってしまった。
エルフの過ちを、エルフの力で正す――もはやそれは不可能だった。
私はまずセレンの里に戻り、女王ドーラに会った。
フェルパーたちは稀にしか他種族の前に姿を現さないが、信心深く、槍の達人であり、ヴ
フェルパーと同様、厄災の復活に居合わせた蛙人族フロルグたちにも助力を乞うたが、「協力できない」という返答だった。フロルグは高い身体能力を持つ種族だが、一番の特徴である臆病さが表に出た。私は理解を示し、湖の一件で命を助けてくれたことに対してあらためて感謝の意を伝え、立ち去った。この戦いは文字通り命を投げ出す覚悟が必要で、無理強いしたところで良い結果が生まれるとも思えなかった。
次に訪れたテルル山のドワーフは、私を門前払いした。太古からエルフとドワーフは反りが合わないが、閉鎖的なテルル山のドワーフの頭はミスリルより固く、取りつく島もなかった。
一方、異種異文化交流に関心が高いモリブ山のドワーフは、派兵を約束し、さらにモリブ最強の戦士バグランを12名の名簿に加えた。合わせて、遥か西にあるという大陸から流れて来た居候のワーウルフ――サムライが助太刀を申し出た。トンボと名乗ったその男の実力はバグランに比肩する、とバグラン本人が認めており、私は願ってもないことだと歓迎した。
12名の戦士と、彼らを支える兵を集めるにあたり、私が最も期待を寄せていたのは人間族だった。人間は現世のカナラ・ロー大陸で最も繁栄している種族であり、王国の数も両手で数えきれないほど存在していた。人間同士の争いが絶えぬことは私も知っていたが、大陸存亡の危機が彼らを団結させ、求めに応えてくれるだろう。そう考えていた。
だが、そうはならなかった。
強大な兵力と豊富な資源を有する三大国、プラチナム、メンデレー、ストローム。その国王だけが円卓を囲むトライ・ロー評議会。エルフの賢者の強引な面会依頼に何かを感じ取ったのか、三国王たちは評議会への顔出しを許可した。私はまず礼を述べ、そして正直に全てを語り、最後に助けを求めた。国王たちは心底驚いた顔で聞き入り、いくつか質問を口にしたが、やがて黙りこくり、互いの表情を探り合った。
「まずは他を当たってくれぬか。力を貸さぬと言っているわけではない」
と、プラチナム国王が口火を切った。
「我が国も、今すぐ兵を出せるほどの余裕はない」
と、メンデレー国王が言った。
「我が国も戦況次第で検討しよう。また報告に来なさい」
と、ストローム国王が言った。
目を伏せて王たちの言葉を聞いていた私は、何も言い返さずに辞去した。厄災の原因はエルフにある。彼らの判断に対して憤る権利もない。ただ、失望したのだ。軍備の拡充、領土の拡大、蓄財、力比べ……そんなことしか頭にない強国の王たちに。そして、期待していた浅はかな自分自身にも失望した。
落胆していても事は進まぬと気を取り直し、私は要塞の国ダームに向かった。大陸中央部という、列強が喉から手が出るほど欲しがりそうな場所にある人間の国だが、人口は少なく、驚くべきことに剣や鎧を一切持たない。にも関わらず数百年もダームが存続し続けている理由は、国民の大半がサ
面会したダームの王は、12戦士に名を連ねるに相応しい候補者はいないと答えた。有能なサイオニックであればあるほど厄災の精神に強く感応し、正気ではいられないだろうという持論は私の胸に落ちた。
王は、迷宮の外でモンスターを迎え討つための人員を僅かばかり送ると約束した。全員向かわせたいところだが、と唸ったダーム王の対し、私は理解を示し、深く感謝した。国防の要であるサイオニックが不在となれば、欲まみれの大国がじっとしているわけがない。それでも力を貸してくれる人間もいるのだと、私は感銘を受けた。
その後、小国をいくつもまわったが、いずれも空振りに終わった。唯一、石と水の国イムルックだけは派兵を申し出てくれたが、名簿の空き枠を埋めることができそうな戦士はいなかった。
人間族の国をあたり尽くした私は、バーバリアンに接触するために、北の大地イシィ・マーの果てに向かった。ゆかりのあった北方の村へゲートで飛び、そこからは鳥の姿と鹿の姿で雪山をふたつ越える。並外れた肉体を持ち、シ
族長との面会が許された私は言葉の限りを尽くして説得にあたり、厄災を討たねばいずれ北の大地にもその影響が及ぶであろうと伝えた。しかし回答は極寒の地に降り積もる雪のように冷たく、徒労感だけを背中に積み増しながらふたたび山を越える結果に終わった。
小人族については、どちらも無駄足に終わった。ホビットは呑気なもので、畑と家畜の世話の方が心配のようだった。エルフに次いで魔素の扱いが巧みなノームは、是非とも頼りたい相手だった。しかし特定の住処を持たぬ彼らの足跡を追うのは、大山でひと粒の砂金を見つけ出すのと同じくらい難儀であり、途中で諦めざるを得なかった。
最後に私は、大陸の南東部に向かった。火吹き山のオーガたちは気難しい種族であり、他種族との共闘における懸念事項も数えきれない。しかし迷っている余裕は無かった。老骨に鞭打ち、大陸全土を飛び回った結果、集めることができた戦士は、たったの3人なのだ。ブラッドエルフから1名加えたとしても4人。私を含めて5人。
戦士たちを補助する兵も不足していた。モリブ山のドワーフたちは屈強で頼りになるが、数が足りない。ダームのサイオニックとイムルックの人間たちを合わせても、まだ十分とは言えなかった。
かつては同族争い、そしてトロルとの争いが絶えなかったオーガ族。今はオーガ三国のひとつローレンシウムの王の尽力により、安定期が訪れていた。私は、僅かながら面識のあったローレンシウム王に申し入れ、三国の王といっぺんに顔を合わせることができた。
他種族を煩わしく思っている二国の王は、協力を拒否した。しかし――ローレンシウム王だけは、彼の息子フロンを戦士の名簿に加えることを提案した。派兵については、他種族が怯え、全体の士気が乱れ、逆効果になるだろうという理由で、首を縦に振らなかった。私は食い下がろうとしたが、長きに渡りいわれのない扱いを受けてきた彼らの心情を鑑みれば、言葉を飲み込むしかなかった。
さすがに休息が必要と感じた私は、ひとまずタリューに戻り、塔の様子を確認した。
族長ソーヤが言うには、塔から門外へと現れる魔物の数に変化はないが、ドラゴンフライやドゥームビートルはより狂暴になり、粗末な武器で戦うしか能のないコボルドやゴブリンの中にスペルを扱う者が混じるようになってきたということだった。
私がこれまでの僅かな成果をソーヤに伝えると、冷静沈着な彼が珍しく苦い表情を見せた。
「この程度なら百年でも二百年でも凌げよう。しかし50年前と同じ経過を辿るとすれば、いつまで耐えられるか」
ソーヤは、天の塔の巨大な門を睨みながらそう言った。そして、陣頭指揮を執らねばならない自らの代わりとして、12戦士にアンナという名のア
彼女は50年前に地の厄災を討って生還した射手――今は亡き英雄の忘れ形見であり、弓よりもアルケミストの才ありと見極めたソーヤが厳しく指導してきた愛弟子だった。
タリューで束の間の休息を得た私は、南西の地セイヘンに飛び、廃集落にまだ異変が起きていないことを確認した。
それから、廃集落の西側をしばらく歩いた。50年前、戦死した大勢のエルフを焼いた痕跡はすっかり消えてしまっていたが、熱と煤と灰と悲しみにまみれた記憶だけは鮮明に蘇った。惨劇が繰り返されると思うと、私の胸はすっかり潰れてしまいそうだった。
私は、かつて地下迷宮を封じるために建てた修道院――そこで生活を営む修道士など最初から存在しない――の屋根に飛び、軒先にいた先客の鴉の横に腰かけ、次の一手を考えようにも考えが浮かばず、途方に暮れた。
この時までに集まった戦士は6名。フェルパーの女王ドーラ。ドワーフの戦士バグランとワーウルフのサムライ。オーガの王子フロン、そしてブラッドエルフのアンナ。私。必要な人数の半分。せめてあとひとりいれば、最悪の手ではあるが、賭ける価値のある計画がひとつだけ残っていた。
陽が落ちはじめ、隣の鴉が飛び去った後も、私は眼前に広がる景色をぼんやり眺めていた。
生命の営みを忘れたような、痩せた大地。豊穣の大地カナラ・ローを割拠する欲王たちから見れば、開墾するのも馬鹿馬鹿しく、軍事的な視点からも捨て置かれて当然といった辺境の地。吹き寄せる風は冷たく、私を嘲笑うかのようで、いっそう暗澹とした気分にさせた。
「ヒヒ……。エルフの賢者とは珍しい」
この時の驚きを、私は忘れることができない。
いつの間にか、灰色のローブに身を包んだ老婆が隣に座っていた。無人の集落の、屋根の上だというのに。さらに驚いたのは、老婆が私の正体を見抜いたことだ。蝋のように白いローブを纏い、自然界ではあり得ぬ捻じれ方をした杖を持っている老人を見れば、魔法使いであることくらいは想像に難くない。だが、フードを深く被り魔力を抑えていた私をエルフの賢者と呼んだのだ。
「身構えなくていいさ。何かしようってワケじゃない」
老婆は、琥珀色の左眼を光らせて薄く笑った。
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