07『賢者ヤコラの手記』

『賢者ヤコラの手記』1/3

 かつて、エルフは皆ハイエルフだった。

 正確に記すなら、ハイエルフという呼称すら存在せず、皆『エルフ』と呼ばれていた。のちに枝分かれしていったエルフ族たちが、原始のエルフを『ハイエルフ』と呼んでいる。それだけのことだ。


 どの古代種族よりも高い知性を持ち、魔素の扱いに長けていたハイエルフは、何千年もの間、カナラ・ロー大陸北東部の広大な森林地――タリューの森と呼ばれる土地を変わりなく統治した。他種族との交流を持たず、ただ静かに、ただ平和に。ときにトロルのような蛮族と争うこともあったが、大半のハイエルフは森で生まれ、森で死んでいった。


 だが、永遠に続くと思われていた平和な日々は、智王ソナラが統治する時代に突如として終わりを迎えた。


 魔法至上主義派閥イルークの暴挙。

 イルークのハイエルフたちは、魔素が持つ無限の可能性に取り憑かれていた。長い歳月のなかで狂気の集団と化していった彼らはソナラ王を謀殺し、さらなる強大な魔力を手に入れるべく禁忌に手を出した。


 イルークたちの願いは遂に叶い、彼らはエルフの賢者たちにも劣らぬ絶大な魔力を手に入れたが、その代償は予想外のものだった。イルークたちの澄んだ瞳は燃えるように赤く染まり、長い耳はさらに伸びて鋭く尖り、癒えることのない血の渇きに苦しむようになった。

 代償は、彼らの血族2親等にまで及んだ。静かに死を待つはずの老エルフから、生まれたばかりの幼エルフまで、イルークと濃い血の繋がりを持つハイエルフたちは、例外なくブラッドエルフになってしまった。

 尊大で強欲な存在となったイルークたちは、血の呪いに後悔するどころか、大陸全土を手中に収めて全種族の頂点に立つことを望んだ。最初の標的は、手近なだった。

 イルークとハイエルフによる魔法大戦が勃発した。


 ハイエルフたちは、小派閥に過ぎなかったイルークを圧倒的な戦力差でねじ伏せようとした。しかし、禁忌を破ったイルーク――ブラッドエルフの魔力は凄まじく、数多のハイエルフが無惨に打ち倒されていった。賢者たちも数名が命を落とした。

 一時は劣勢に立たされたハイエルフだが、ある出来事が風向きを変えた。もともとイルークに属していなかったブラッドエルフたち、つまり肉親の凶行に巻き込まれる形で変異してしまった者たちの多くが、ハイエルフ側についたのだ。


 戦況は一変し、形勢を逆転されたイルークたちは呪いの言葉を吐きながら次々と斃れていった。そして開戦から数えて14個目の太陽が沈むころ、最後のイルークが死んだ。大戦はハイエルフの勝利で終結した。彼らは一様に安堵したが、その喜びは短かった。

 犠牲は甚大だった。人口のおよそ半数を失い、愛した美しき森は焦土と化し、泉は枯れ、多種多様な生物や精霊たちは姿を消した。ハイエルフたちは哀しみに暮れ、遺族は亡き者たちの名を呼び続けた。しかし、この悲劇はまだ終わりではなかった。



 大戦の終結と時を同じくして、焼亡したタリューの森の中心で『ふたつの厄災』が生まれた。

 ふたつの厄災は、どの種族にも例えようのない実体を持っているが、誰かの腹から生まれたわけではない。争いによって消費された天文学的な量の魔素、無数の死者の怨念、生者の憎悪や嘆きなどが禁忌の波紋と交錯することで生み出された超自然的な存在……我々はそう推測している。

 我々エルフの賢者たちは、ふたつの存在を『天の厄災』『地の厄災』と名付けたが、ある者は「天罰」と畏れ、またある者は「悪魔」と恐れ、またある者は「イルークの亡霊」と呼び、忌み嫌った。


 天の災厄は、夜空を覆う余煙の向こうから降りてきたという。

 不運にもその場に居合わせたエルフたちが大勢殺され、巨大な塔が一夜にして森の中心に現れた。塔は直径およそ150メートル、高さ120メートルの直円柱で、石くれ、木片、鉄片、エルフや動物の骨といった内戦の残骸と土が混じり合ったもので形成されていた。外敵の侵入を防ぐためか窓は見当たらず、投石やスペルで破壊を試みても傷ひとつつけることすら出来きぬ魔塔。わずかに設けられた狭間窓のような隙間からは、得体の知れぬ不気味な音が、昼夜を問わず漏れ聞こえていた。


 地の厄災は、大地を裂いて這い出てきたという。

 タリューの森を離れた地の厄災は、まるで旅でもするかのように徒歩で移動しながら、大陸のあちこちに病魔や災害を惹き起こした。やがて南西の果ての地――どの王国にも属さぬ枯れた土地に行き着いた地の厄災は、名もなき廃集落の真下に広大な地下迷宮を造り上げた。


 やがて、天と地の厄災が籠ったふたつの迷宮から、見たことのないモンスターたちが外へ湧き出るようになった。

 繰り返し行われた調査の報告をまとめると、モンスターは自己繁殖、異種交配、変態、進化、退化、召喚、生成を繰り返しながら、迷宮内部を造成していることも判明した。


 エルフの過ちは、エルフの力で正すべし。我々は、いかなる犠牲を払ってもこの事態を収拾することを誓った。

 塔と地下、ふたつの迷宮の入り口に陣を敷いた我々は、当初、再編した戦力の全てで以って突入を繰り返した。しかし大軍が侵攻するには通路が狭く、複雑に入り組み、罠や奇襲も多く……多勢による縦列行軍は命を浪費するばかりだった。

 狭い迷宮で最大限戦力を発揮できる部隊編成について検討を重ねた我々は、各迷宮、前衛3名、後衛3名の計6名で事に当たるべきと結論付けた。わずか6名だが、力ある者が心置きなくその全てを発揮し、万事互いを支え合うには、7名以上では動きづらく、5名以下では攻守のバランスに欠けた。力を測り切れぬ厄災に6名で挑むことの是非については誰も答えを持たず、最深部への到達を優先するしかなかった。


 意見がまとまると、さっそくハイエルフとブラッドエルフの中から、特に優れた者たちが選りすぐられた。私を含めた賢者6名に加え、剣や弓の武芸に秀でた者を4名。鋭敏な感覚の持ち主がを2名。総勢12名の選抜隊は二手に分かれ、その命を賭して迷宮に挑むことになった。

 ほかのエルフたちにも重要な役割があった。

 ひとつ。外に出ようとするモンスターを迷宮の入り口で食い止めること。大陸全土に混乱と死が広がることを避けねばならない。

 ふたつ。補給物資の運搬と、その運搬路の確保。迷宮の道中は長く険しく、奥に進むほどモンスターは手強くなり、天の塔は低層階の調査と全高から割り出して20近い階層があると考えられていた。6名で運べる物資など高が知れており、無補給で最深部に到達することはできない。幾度も往復している余裕もない。そもそも6名が尽くすべき責務は戦うことであり、重い荷物のせいで本領が発揮できなければ本末転倒である。よって、切り開かれた搬路を死守し、最前線で戦う6人に物資を送り届ける必要があった。

 みっつ。欠員の穴埋め。本隊の選に漏れた者のうち12名を交代要員に任命し、安全が確保された運搬路で待機させ、いざというときの備えとした。


 作戦が決行されてから23日目、二手に分かれて戦い続けた選抜隊は、はからずも同じ日に厄災を打ち倒した。


 だが――12名のうち、ふたたび日の光を浴びた者はわずか4名だった。天の塔では賢者が2名、地の迷宮では賢者1名と射手1名が生き残り、ほかの8名は皆、厄災と刺し違えて命を落とした。交代要員の12名も最終決戦に加わったが、全員が不帰の者となった。

 犠牲はそれだけに留まらない。物資の搬路を守るべく戦った者たち――特に最上階、最深部に近い場所でその役を担った者たちの半数が戦死した。天の塔は地上21階、地の迷宮も同じく地下21階まであったが、中継部隊は彼らの力量限界の18階までを、文字通り死守しながら散っていった。

 外に陣を敷き、溢れ出したモンスターと戦った者たちも、多くの命を散らしながらその役割を全うした。


 厄災の消滅という喜ばしい結果とともに、ふたつの変化が生じていた。

 まず顕著に現れた変化は、モンスターたちの生態系だ。エルフを苦しめた竜族や巨人族などの大型種族、悪魔族、エルフを捕らえ兵に変える魔法生物族や不死族といった脅威はその姿を見せなくなり、低級なモンスターばかりが迷宮を跋扈するようになっていた。たとえ地上に出ても大きな脅威にはならないと思われたが、エルフたちは二度と災いが繰り返されぬよう、地下迷宮の入り口を固く封印し、その上に修道院を建てた。

 次に現れた変化は、ハイエルフの弱体化だった。これまで魔素を自由自在に運用できていた彼らの力は、他種族に比べれば多少秀でている、という程度にまで衰えていることが判った。ハイエルフたちは焼失した故郷を捨て、大陸各地へと散っていき、やがてウッドエルフやハーフエルフと呼ばれる種に枝分かれしていった。

 一方、ブラッドエルフたちは、焦土と化したタリューの森を捨てぬと決め、天の塔を囲むように居を構えた。何人たりとも災いに近づかぬように。そして、モンスターを封じ込めるために。……だが彼らは、敢えて塔の入り口に封印を施さなかった。モンスターの血で渇きを癒すために。


 内乱と厄災によって、エルフは当初人口の5分の4を失った。しかし我々は誓ったとおり、エルフの過ちを、エルフの力で正したのだ。多種族に知られることなく。


 ――その後、50年が経って再び災いが起きるまでは、そう言えた。

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