『フロン王と戦士たち』4/4

「ヒマ……」

 月明かりに照らされた小丘の上で、ルカは足を投げ出して座っていた。

 大地の起伏のせいで戦場は見えないが、かすかに聞こえてくる戦士たちの雄叫び、そしてトロルの絶叫が、仲間の健闘を伝えていた。


(もしかして、アタイの出番がない……)


「お嬢、いけませんぞ。戦場に行って暴れたいな、などと考えては」

 物心ついた時からそばにいる老ノームは、いつも心を見透かしたように釘を刺してくる。

「だってヨー」

「無事に終わればそれで良いのです。ま、甘い物でも食べて」

 ホーゼが甘菓子をひとつ召喚して、差し出した。引ったくってボリボリと齧る。

「む! お嬢……出番ですぞ」

 フクロウの視界を借りていたホーゼが、なにかを見つけたらしい。ルカは口をモゴモゴさせながら跳ね起きる。

「集落の北東方面、距離はここからおよそ800。騎兵が50ほど……あれはビコス!」

 ホーゼが驚きの声をあげた。

「ビコス? 大将が本隊から離れたってのかヨ」

 ルカはグッと背伸びして、身体をほぐす。

「戦場を大きく迂回してこの進路……間違いなく集落に向かっておっ」

 ホーゼが言い終わらぬうちに、ルカは砂塵を巻き上げながら走り出していた。


◇◇◇


 最前線に躍り出てきた超大型の重装トロルによって、オーガの陣形は崩されようとしていた。オーガたちは3人がかりで1体を倒したが、残りの2体の大木のような棍棒にドラゴンタートルの甲羅は叩き割られ、足元を狙うオーガは蹴り飛ばされる。分厚い鎧の隙間を狙って斬り、突いても、重装トロルは怯むことなく暴れまわる。オーガシャーマンが前列の穴を埋めて横陣を死守しようとするが、巨大な2体に便乗してバラバラと襲い掛かってくる雑兵を相手にしているうちに、陣形が大きく乱れはじめた。死体の壁と重装トロルを盾にジワジワと距離を詰めていた大軍が、ここぞとばかりに仕掛けてきた。

 前面に加えて左右、背後から迫るトロルの群れを相手に、オーガたちは劣勢に立たされた。方円陣への移行を試みるも、重装トロルの暴力がそれを許さない。ひとり、またひとりと傷を負い、大量のトロルに押し倒されてゆく。ドラゴンタートルも必死の抵抗を見せるが、幾本もの槍に首根っこを刺されて呻き鳴く。

「怯むな! 重装トロルに集中しろ!」

 号令を飛ばした年長のオーガが戦斧で雑兵を千切り、重装トロルを睨み上げる――と、首から上が無かった。目の前を飛び抜けた影が、トロルの大軍の真っ只中に着地した。勢いで地面が抉れ、衝撃波によってトロルの群れが枯れ葉のように吹き飛んだ。

「フロン!」

「待たせた。予想以上の数だな」

 フロンは周囲のトロルを蹴散らしながら、残り1体になった重装トロルへと猛進する。

「ブルルルアァァァ!」

 怒りの矛先をフロンに向けた重装トロルが、味方を踏みつぶしながら突進した。互いにトロルの海を割りながら突き進み、ふたつの肉体が激突した。力比べに勝利したのはフロンだった。強烈なチャージで重装トロルを叩き伏せ、仰向けになったその胸に大剣【ドゥーム・ブリンガー】を突き刺した。

「オゴゴォォアアア!」

 断末魔が戦場に響き渡り、トロルたちの手が止まった。フロンは充分に睥睨へいげいしてから声を張り上げた。

「トロルどもよ! 我はローレンシウムの王、フロン! 死にたい者からかかってこい!」

 フロンは片手で大剣を引き抜き、敗者となった重装トロルの首を刎ね、戦士たちに指示を飛ばしはじめた。

「方円陣! 負傷者を囲め! 亀たちは甲羅に篭り火炎で遠方の敵を焼け! シャーマンは治療を優先しろ! ふたりだけ我について来い! 本陣に突入してビコスと側近の者どもを片付ける!」

「「我らが!」」

 戦斧を振り回していた年長のオーガとその息子が、すぐさま名乗りを上げた。頷いたフロンは【ドゥーム・ブリンガー】を縦真っ二つに割り、デュアル・ウィ二刀流ールドにスイッチする。

「道を開けよ!」

 先頭を駆けるフロンが二振りの長剣を振るうたび、青緑色の群れは雑草のように刈り飛ばされて宙を舞う。いにしえの戦神ラゾスを彷彿とさせる猛勇を目の当たりにしたトロルたちは畏れ、逃げまどい、道を譲るしかなかった。


◇◇◇


 ワイルド・ボ巨大な猪アを駆るトロル騎兵隊50騎が、集落を視界に捉えた。

「アレダ!」「お楽しみの時間ダアァ!」「グググゲッ!」

 子分たちが奇声を上げながら加速する。最後尾を走るビコスは唇を舐めた。

 ビコスは楽観していた。オーガの相手は、戦に飢えている下っ端どもに任せておけばいい。勝てるだけの数を揃えた。重装トロルも連れてきた。生き残った者は村で暴れさせてやろう。だがその前に甘美な汁を啜るのは族長なのだ、と。

「……ア?」

 ビコスは目を細めた。左手の方向、闇の中で火の玉がふたつ揺れている。ビコスはさらに目を細めて注視する。猛スピードで近づいてくる火の玉の正体は、何者かの両腕だった。真っ赤に燃える両腕――に照らされた女の顔が暗闇に浮かび上がる。白髪の女オーガ。笑っている。殺意が自分に向けられていることに気づいたビコスは、子分に指示を飛ばす。

「左方向から敵ィ! ブッ殺せ!」

「オラがイタダク!」

 騎兵隊のなかでもとりわけ強暴な子分が単騎、進路を変えて女オーガに襲い掛かった。

「シッ!」

 炎を纏った拳が、闇の中でワン・ツーの軌跡を描いた。


(ア……?)


 一瞬の出来事に、ビコスは目を剥いた。女オーガを弾き飛ばすはずのワイルド・ボアが火だるまになって明後日の方向へ飛んでいき、アッパーカットを喰らった子分もまた炎に包まれて空高く舞い上がったのだ。

「ソイツを囲めェ!」

 ビコスは手綱を強く引きながら号令を発した。騎兵隊が一定の距離を保ちながら女オーガを取り囲む。その外側からビコスは叫んだ。

「オイ! テンメェ……その白い髪……フロンのガキだな!? ノコノコひとりで来やがって。フロンの首とセットでオレサマの椅子に飾ってやる!」

「ガキじゃねーヨ、孫だ。名はルカ。覚えときな……殺されるまでの短い間だけな! ハハ!」

 女オーガ――ルカが、喜悦きえつを含んだ笑いとともにビコスを指さした。族長をコケにされて怒らぬ者はいない。子分たちはいまにも飛び掛かろうとしている。

「オレサマの精鋭50騎に囲まれてよぉ、強がってンじゃねぇよ……」

「1匹死んだから49だろ、トロルは数も数えられねーの?」

「るせぇ! コマけぇメスめ! れ!」

 ビコスが命じた瞬間、ルカが立っている場所から全方位に白い突風が放射された。


(さむッ! ――冷気?)


 大地が円盤状に凍りつき、騎兵たちは氷像のように固まって動かない。子分を盾に命拾いしたビコスは言葉を詰まらせた。

「ア? な、ア? ……なンなン? ハ? オイ!」

「ホッホ! 使いどころの難しいこのスペル、久しぶりに役立ちましたわい」

 妙に張りのある声が上空から聞こえた。ルカの真上――いつの間にか、棒切れに跨った小人が浮いている。

「こっちはお預けばっかでウズウズしてんだヨ」

 ルカが不敵な笑みを浮かべて近づいてくる。凍りついたまま動かない子分の胸に拳が打ち込まれ、取り出された心臓が……燃える拳に握りつぶされた。

「ブギィィ!」「ア、こら」

 気圧されたワイルド・ボアが急反転した。ビコスは手綱と脚力で抑えつけて、視線をルカの方に戻す。――ルカの顔がすぐそこにあった。

「シッ!」「ブギィィイイイ!」

 ローキック一発で、巨大なワイルド・ボアが横転した。投げ出されて無様に転がったビコスは、大鉈を構えながら立ち上がった。相手は強い。だが動揺も怖れもない。恥辱による怒りが全身から噴き出すのがわかる。

「テンメェ……イテェ思いさせながらズタズタにバラして骨までシャブってやる!」

「ヘッ! バラバラにしてそこの猪に食わせてやるヨ。ホーゼ! 手、出すな。火ィ消して」

 上空の小人がなにかを詠唱すると、ガントレ籠手ットの炎が一瞬で消えた。

「エンチャンタ付与魔術師ーか?」

「ホッホ、本職はメイジです。サモナー召喚士の真似事もできますぞ。出せるのは甘菓子だけですが……」

「ヨし! やろーぜ!」

 ルカが白銀のガントレットを頬の高さに構え、大胆な前重心の姿勢をとった。ビコスは大鉈をべろりと舐めて両腕を広げ、大きく構えた。


(……ン? なンだアイツ)


 ビコスは反応に困った。新たな闖入者――不可視化の術で身を隠した人間の男が、締まりのない顔でトコトコと走ってくる。本人は隠れているつもりらしいが、トロルの目には通用しない。

「いやはや、これは揉めそうですな……」

 上空の小人が声を漏らした。小人も、その視線からして男の姿が見えている。

「どうした? ホーゼ」

「いえ、お嬢、その、ですな……」

 小人が口ごもる。闖入者がスラリと剣を抜いて迫ってきた。

「ンだテンメェー! 邪魔だ!」

 ビコスは男の脳天に大鉈を振り下ろした。刃が刃でいなされ、屈辱の感触だけが手に残る。

「おっと、やっぱ見えてんの? 浮遊曲で足音まで消したのによ」

 不可視化の術を解いた男が、探るような、挑発するような目でビコスの顔をじろじろと見る。

「ンだテンメー!」

「うるせーな。ンだテンメーしか言えねぇのか。まずテメーが名を……って、もう無理か」

「ン? だと、ゴ、ガッ……」

 喉を撫でられたような感覚と同時に、呼吸ができなくなった。大鉈を捨て、喉元を両手で抑える。指の隙間から生温かい血がどぼどぼと溢れて、男の履き物を汚した。

「うぇ、すげー血の色。ブーツが汚れただろぉヘップ。背中から急所を狙えよ」

「トロルの体に詳しくないので、喉を裂くのが一番です」

 ビコスの返り血で鉄紺色に染まったホビットが、まるで魔術のように足元に現れた。


(コイ、ツ、どこから……)


 ビコスは膝を突いた。これまでいくつも喉を切り裂いてきたが、切り裂かれる感触とはこういうものか、などと考えながら終わりを待っていると、ホビットのダガーがゆっくりと胸に――


◇◇◇


「てかよ、なんでヘップはバレねーんだ」

「さぁ……オイラのステルスはセラドさんの曲やスペルと違うから、ですかね?」

「ずりぃな」

「そう言われても」

「アー腹減った。眠い。ダンジョンから戻るなり早く加勢に行けだのなんだの……さっさと終わらせて帰ろうぜ」

「オッス」

 葬ったトロルのことなどもう忘れたかのように、ふたりは呑気に会話を続けている。上空から眺めていたホーゼは、感心しながら髭をしごいた。


(ホッホ。セラドにヘップ、例のコンビですな。特にヘップ……私やトロルの目を欺くとはなかなか)


「で、オーガは殺さなくていいんだよな?」

 セラドが思い出したように、横目でルカを見た。ルカは先ほどからギリギリと歯を鳴らし、肩を震わせている。

「です。手を出すな、とバァバが」

 腑に落ちない顔で「なんでだろーな」と呟いたセラドが、ルカに話しかけた。

「なあアンタ、うら若き王女さまを助けに行ってこい……って、とあるババアに言われたんだがよ。心当たりねぇかな」

「アタイの……」


(ホッホ……やはり揉めそうですな……しかしここは下手に介入せず……)


「ん? さっきからプルプルして、泣いてんの? オレたちが来たからにゃもう大丈夫だぜ。ってかアンタ、なかなかの美人――」

「獲物を横取りすんじゃねーヨ!」

 ルカが吼え、セラドの悲鳴が原野に響いた。


◇◇◇


 同日深夜、ニューワールド。

「デリカシー無いマンの容体は」

 バァバがパイプ煙草をふかしながら、遅れてやってきたアンナに尋ねた。アンナは持参のゴブレットに葡萄酒を注ぎながら、

「肋骨が4本折れていた。ご立派な防具がなければ内臓破裂で死んでいたかもしれないな」

 と素っ気なく答えた。

 セラドは無事。ヘップは安堵のため息を吐いて、ルカとホーゼにもう一度頭を下げた。

「すいません、オイラたちが余計な手出しをしたばっかりに」

「いやいや! こちらこそ申し訳ない……ホレ! お嬢! 謝りなされ」

 ホーゼもまた頭を下げる。ルカはムスッとした顔でエールを飲み干し、コップをテーブルに叩きつけた。

「……謝る? アタイが? なんでヨ。邪魔したのはコイツらだ。 そもそもそこのババアが紛らわしい指示を出したせいだろ」

「ヒヒ……印象に残る出逢い、大、成、功。乾杯」

 バァバが特大コップを掲げた。

「あぁ!?」

 殴りかかりそうな剣幕でルカが立ち上がった。

「ルカ、やめんか。お前は他種族との付き合い方を学ぶのだ。命を預け合うことになるこの面々とは特にな」

 隣のフロンにたしなめられて、ルカは不服そうに席に着く。

「チッ。組むのがこんなヤツラじゃ不安だヨ」

「まあまあルカさん。仲良くやりましょうねー」

 アンナの横で静かにしていたサヨカが、ルカに笑いかけた。

「あぁ? 生きるか死ぬかって話だってのに、わかってんの?」

「ウフフ―。わかってますけど?」

 サヨカの目は笑っているが、反論させない圧があった。ルカは舌打ちしながらそっぽを向いて、口をへの字に結んだ。

 ヘップは話題を変えようと、年配者たちを見まわした。

「で、オイラたち5人になにをさせるんです? 命を預け合う、って言いましたよね……」

「人探しだ」

 答えたのはフロンだ。

「人探し……誰を?」

「ドーラという名のフェルパー猫人族だ」

「フェルパーって、聞いたことしか……場所の目星はついてるんですか?」

「まだわからぬ」

「えぇ……」

 話が飲み込めないヘップは、助けを求めてカウンターの奥を見た。バグランとトンボは黙ったまま頷く。

「ヒヒ……」

 振り向くと、バァバが煙草の煙で輪っかを作って遊んでいる。

「バァバのその顔、絶対なにか企んでますよね?」

 青空ダンジョンの一件を通じて、ヘップはバァバという人物をほんの少し理解したような気がしていた。バァバは口をすぼめ、煙の矢で輪っかを射抜き……呟いた。

「ジャーニー……アドベンチャー……」

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