06『フロン王と戦士たち』
『フロン王と戦士たち』1/4
毎朝広場で100回、と決めていたジャンの素振りは、49回目の途中で終わった。木刀を振りかぶったまま、集落の外に意識を向ける。丘陵へと続く街道に人影はない。……が、街道から外れた方角から、微かに音が聞こえる。耳には自信がある。胸がざわつく音。どんどん近づいてくる。
「どうしたの?」
素振りを見物していたカナンが言った。パッチ、べべを含めた宿屋三姉妹が、揃って怪訝な顔をしている。口がきけぬジャンは、慌てて彼女たちに(宿屋へ戻って)とジェスチャーした。
「あっち行け? なんでー?」「ねー、誰かくるよー」「え? どこ?」
暢気な三姉妹は、ジャンの必死さに気づかず動こうとしない。誰かを呼びに行こうにも、3人を置き去りにすることはできない。風に乗って届いていた小さな音は、いまや大太鼓を乱れ叩くような重い地鳴りへと変わり、土煙をあげながら迫りくる武装集団の姿がはっきりと見えた。いちばん小さなべべを抱えて走れば姉たちもついてくるだろうか、と考えたが、逃げるには遅かった。ジャンはトンボから授かった木刀をギュッと握り締めて、三姉妹の前に立った。
黒一色の装備に身を包んだ大柄な戦士たちは皆、轟然と駆ける怪物じみた巨大亀に乗っている。先頭の一騎だけがドゥナイ・デンの広場に入ってきて、ジャンの2メートル手前で鎖の手綱を引いた。後方の十数騎は集落の手前で整然と隊列を成したまま、ビタリと停止している。
「勇気ある少年よ。その武器を下ろしてくれぬか」
広場でジャンと向かい合った大男が、声を発した。低く、太く、落ち着いた声。ジャンは構えを解かない。目鼻立ちは人間に近いが、見たことのない大柄な種族だ。下顎から2本の牙が天に向かって生え、肌は灰白色。髪のない頭部を支える首は牡牛のように逞しく、黒ずんだ
「おっきな亀さん!」
背後から、末っ子のべべの楽しそうな声が響いた。
「シーッ」と、長女のカナンが黙らせる声に続いて、「お姉ちゃん……何あれ」と、声を震わせる次女パッチの声。
「キシシィィィィ……」
大男を乗せた亀が唸った。ジャンは、それがただの巨大な亀ではないことに気づいてゾッとした。亀が、禍々しく燃える瞳でジャンを見つめている。例え話ではなく、実際に双眸の奥で炎が揺れているのだ。
「キシシィィィィ……」
嘴の隙間から、亀にあるはずのない無数の牙が覗き見えた。頭頂部には短く鋭い角が1本生えている。この生き物に惨たらしく食い殺される自分たちの姿が目に浮かび、木刀を握る手の震えが止まらない。ジャンは恐怖のあまり失禁していた。だが大男は嗤わなかった。後ろでパッチが泣きはじめた。
静かな目で見下ろしていた大男が、謎の生き物の首をポンポンと叩いた。
「ドラゴンタートルだ。取って食おうというわけではない」
「なんだいアンタら!」
背後から聞き慣れた声がした。振り返ると、3児の母、テレコが猛烈な速さで駆けてくる。
「ジャン……頑張ったね。ホラ、さがりな」
代わって前方に躍り出たテレコが、槍を構えた。騎乗している大男と彼女の目線の高さは、3倍ほども違う。しかしテレコの声と背中から伝わる貫禄が、ジャンたちを大いに安心させた。
「オーガがなんの用さ」
オーガ。鬼人族。
遥かむかし、戦神ラゾスによって創造された種族といわれており、肉体的な点においては比類なき強さを誇る。大柄なバーバリアンよりもさらに巨大な体躯を支える逞しい筋肉は灰白色の分厚い皮膚に覆われ、頭は石より硬い。下顎の長い犬歯は牙と呼ぶほうが相応しく、10センチを超える者もいる。強靭な肉体を活かした近接戦闘を得意とするが、シ
「ハーフリングよ。争うつもりはない。我はローレンシウムの王、フロン。人に会う為に来た」
「ローレンシウム? 知らないね! そんな国」
王と名乗った大男に対して、テレコは臆さず言い返した。ウサギがトラに歯向かうような絵面だが、背後の戦士たちは憤ることも囃し立てることもなく、黙って様子を見守っている。
「王様だろうと何だろうとオーガに会おうなんてバカはここにゃいないよ。さ! 帰った帰った!」
「いるんだよね……ここに。ヒヒ」
「エッ?」
ジャンとテレコが振り返ると、バァバが三姉妹の頭をワシワシと撫でまわしていた。
――ここはどの王国領にも属さず、半ば忘れ去られていた不毛の地、セイヘン。
歴史書にも地図にも記されていなかった名無しの廃集落は、ダンジョン発見の噂とともにいつしかドゥナイ・デン(=儲けの地)と呼ばれるようになっていた。
◇◇◇
「バァバ……アンタの客人?」
テレコは槍先をオーガに向けたまま聞きなおす。
「ソ」
「正気かい? オーガだよ」
「ソ。驚かせてすまないね。ソイツとは腐れ縁。安心しとくれ……ヒヒ」
テレコはたっぷり時間をかけてオーガの集団を睨みまわしてから、ゆっくりと槍を下ろした。
「人食いオーガは信用ならない……が、バァバがそう言うなら」
「ヒヒ……助かるよ。フロン、お前さんたちが物騒な格好でそんな物を乗り回すから余計に揉めるのさ」
その通りだ、とテレコは頷いた。一方のフロンはドラゴンタートルの鎌首を撫でながら、
「人目を避けてタンタルの谷を抜けて来たからな。装備とコイツは必要だ」
と答えた。宿屋で大勢の冒険者たちを相手にしてきたが、聞いたことのない地名だ。
「おや、おや、おや……ずいぶん遠回りだね。だがあの谷はオーガの縄張りだろう? なにを警戒するのさ」
「いまはトロルどもが幅を利かせている。道中、小競り合いでふたり失った」
フロンの顔が曇った。
「そりゃ初耳。ロクでもない争いを蒸し返して……先代たちがあの世で憤慨してるだろうよ」
「トロルの絶対王が没し……変わってしまったのだ。オーガ三国もいまや一枚岩ではない」
「お話のところ申し訳ないけどね!」
テレコは我慢できずに口を挟んだ。
「アンタらいつまでここでくっちゃべっるつもりだい? いくらバァバの客人だからってオーガに宿は貸せないよ。ほかの客が逃げちまう」
意外にも、フロンは嫌な顔ひとつ浮かべずに頷いた。
「ここから少し離れた場所で野営する。用件を済ませたら明朝に発つつもりだ。……そこの井戸だけ貸してもらえると助かるのだが」
テレコは頷いた。
「井戸はみんなのものさ。アタシがどうこう言う立場じゃないから好きに使えばいい」
「感謝する。ルカとホーゼはこちらに! 残りの者は野営の準備だ!」
ドラゴンタートルから降りたフロンは、よく通る声で背後に合図を送った。集団の中で、ひとりの戦士が下乗した。残りの戦士たちは一斉に反転し、乗り手を降ろした2頭を引き連れて走り去っていく。
堂々とした歩みで近づいてきた戦士は、女のオーガだった。喧嘩を売りに来たとしか思えない目つきでテレコとバァバを睨んでいる。
「紹介しよう。孫娘のルカだ」
下の牙はフロンと比べて短く、背丈も拳ひとつかふたつほど小さい。頭そのものがヘルムだと言わんばかりに揃って禿げた男オーガたちと違い、白き虎のように勇ましく美しい短髪が暴れている。装備について唯一最大に目を引くのは、両腕の肘から拳までを覆う白銀のガン
「そしてルカの指南番、ホーゼ」
ルカの肩に乗っていた初老のノームが、メイジローブをはためかせてフワリと地面に飛び降りた。鍔広の帽子を脱ぐ。
「ホッホ。ホーゼと申します」
「ちっちゃい!」「かわいい!」「お人形さんみたい!」
ハーフリングよりさらに小柄な―― わずか30センチほどの小人を目の当たりにして、娘たちの顔がパッと明るくなった。
「ホッホ。ステキなお嬢さんたちから嬉しいお言葉」
ホーゼは目尻に笑い皺を作り、灰色の口髭を撫でている。
「ノームがオーガに指南? そちらのお方はそんな顔をしとりますな。ホッホ」
心を見透かされたテレコは口ごもった。
「指南するのはもっぱら学問や行儀作法が中心でして……ホレお嬢、ご挨拶を」
ホーゼがルカのふくらはぎをペシペシと叩く。ルカは鼻先で笑った。
「なんでオジイもホーゼも下手に出てんのさ。だからローレンシウムは舐められるんだ」
「ヒヒ……。行儀作法の指南は上手くいってないようだね」
バァバに笑われたホーゼは、溜息を吐いてうなだれた。ルカの目がいっそう吊り上がる。
「あぁ? なんだとババア。オジイの知り合いだからって図に乗んなヨ」
「おぉ傲慢……。フロン、お前さんよりずっとオーガらしくていいじゃないか」
「あー!? やるか! 来いヨ!」
ルカが左右に嵌めたガントレットをガンガンと突き合わせて威嚇する。
「ルカ! やめんか」
「おおコワイコワイ。か弱い老婆に暴力はやめとくれ……ま、立ち話もなんだからコッチへ。バグランとトンボが酒場をやってるのさ。まだ開店前だからちょうどいい……」
バァバはクルリと背を向けて、スタスタと歩き出した。
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