『テンガチ探検隊』2/5

 ダンジョン地下7階の通路に、カチリと小さな音が響いた。先頭を歩いていたウォリアー隊員がぎくりと足を止めて、蒼ざめた顔で振り返る。テンガチはのハンドジェスチャーで応じた。

「そのまま! 足を動かすなよ、そのままだ。大丈夫……大丈夫だ」

 テンガチは落ち着かせながら、ゆっくりと近づく。ほかの隊員は10歩ほど後退する。

「いいか、動くなよ……」

 額に汗を浮かべたウォリアー隊員は、無言で頷いた。彼は過去の探検でもこの手のトラップに引っかかっている。そのピンチを救ったのもテンガチだった。テンガチは地べたに這いつくばって、ウォリアー隊員の大きな足の……先端を確認……しようとした瞬間、

「ガッガーッ! ガッガーッ! ガッガーッ!」

 耳をつんざくような叫び声が探検隊を襲った。

「うおっ!?」「あっバカ!」

 驚いたウォリアー隊員がうっかり足を浮かせてしまった。しかし爆発だの矢が飛んでくるだの、予想していた仕掛けは発動しなかった。

「バカモン! 絶対に動くなと言ったろ! なんだこの叫び声は!」

 叱りつけたテンガチは、音の方向を探った。天井だ。探検隊は一斉に仰ぎ見て、一斉に尻餅をついた。

「ヒッ!?」

「ガッガーッ! ガッガーッ! ガッガーッ!」

 ダンジョンの天井にポッカリと小さな穴が開いている。叫び声の主は、その穴の中から探検隊を見下ろしていた。異形――人間と鳩を混ぜ合わせたようなモンスターが、ノコギリのような嘴をパカパカさせて、狂気じみた鳴き声を発している。

「なんだあれは……まさか、しまった! はやくやめさせろ!」

 テンガチは叫んだ。モンスターを呼び寄せるアラームに違いない。

「ガッガーッ! ガッガーッ! ガッガーッ!」

「クソ! 剣じゃ届かない! スペルでやれ!」

 ウォリアー隊員がロングソードを上に向けてぴょんぴょん跳ねながら叫ぶ。

「集中できないから無理!」

 繊細なプリースト隊員が耳をふさいでしゃがみこんだ。

「ガッガーッ! ガッガーッ! ガッガーッ!」

「うるさいうるさいきたないきたない!」

 潔癖症のメイジ隊員は降り注ぐモンスターの唾液に耐えられず、とんがり帽子の鍔を握って絶叫している。

「もういい! ここから離れよう! 走るぞ!」

 テンガチは号令をかけ――

「あれ? 隠れちゃいましたよ?」

 スカイの声に、全員が天井を見た。気が狂いそうな叫び声は、まるで幻聴だったかのように消えて……穴も完全に塞がっている。

「なんなのよ……あー! もう帽子がベトベト! 最悪」

「警戒しろ! モンスターがくるかもしれん」

 テンガチが腰の探検ナイフを抜くと、隊員たちも身構えた。1本道の通路。前か、後ろか。前3人、後ろ2人で背中合わせにカバーしながら、息を殺して待った。

「……ヒ! 来たわ!」

 後ろを警戒していたメイジ隊員が、小さく悲鳴をあげた。

「なんだあれ……白い……」

 ウォリアー隊員が目を細める。前方を警戒していた3人も、背後から迫る存在に注目した。

「……ハムスター?」

 薄闇の中から現れたのは、真っ白な1匹のハムスターだ。鼻をひくひくさせながら、2足歩行でテク、テクと近づいてくる。

「……にしては大きいぞ。しかも立ってる」

 豚ほどもある。テンガチは訝しんだ。

「可愛い! チッチッチッ、おいでハムちゃん。チッチッチッ」

 メイジ隊員が舌を鳴らしながら手を差し伸べた。動物好きのウォリアー隊員も破顔し、ハムスターを迎え入れるように腰を落とす。

「バカモン! 油断す――」

 テンガチの警告はふたりに届かなかった。ハムスターは矢のような速さでメイジ隊員に飛び掛かり、彼女の細い首筋を大きな前歯で切り裂いた。さらに、彼女の体を蹴って三角跳躍、ウォリアー隊員の額に前歯を突き刺した。一瞬の出来事だった。ハムスター(?)は体毛に飛び散った血をチロチロと舐めながら……真っ黒な目でこちらを見ている。

「あ、ああ……」

 プリースト隊員がへたり込んだ。失禁している。頭が真っ白になったテンガチは、次の一手を考えられぬまま立ち尽くした。……鼻をひくひくさせてこちらを見ていた殺人ハムスターは……やがてクルッと背を向け、トットコ、トットコと暗闇の中へと去って行った。

「……ハーッ、ハーッ!」

 テンガチは忘れていた呼吸を再開しながら、プリースト隊員に駆け寄った。

「おい、おい! しっかりしろ! おい! 立てるか? 立て! 前に進むんだ」

 頬を叩くと、プリースト隊員は虚ろな目でテンガチを見た。

「あ……え、は? 進む? 進む……フフ。さっきの見ましたよね? 隊長死にたいんですか?」

「死なないために進むんだ。いまリフトに戻ろうと後退すれば、あのハム公のケツを追うことになる。前進すべきだ。大丈夫だ、泉に着いてしまえばなんとかなる。私のカンがそう言っている。そしてドゥッシーのうろこを手に入れて帰るんだ! 生きてな! わかったな!」

「は、あ、……はい」

 プリースト隊員はぼんやりと頷いて、よろよろと立ち上がった。その背中を押しながら、テンガチはひたすら考えていた。


(ありえない! なんだあのハムスターは!? もうあれが未確認生物じゃないか! これまでの秘境探検とは次元が違う……諦めるか? ……いや、手ぶらで帰ってメンデレーの王妃がハイそうですかと納得するわけがない。支度金を返すだけでは済むまい……。そもそも支度金はほとんど使ってしまった……クソ、途中で散財しなければ……。我儘で有名な王妃の機嫌を損ねたら人生が終わると聞く。極刑はさすがにないとしても……腹いせに私の悪評を大陸中に広め……破滅させるだろう。クソ! やるしかない。北東に突き進んで泉でドゥッシーで成功報酬で豪遊! 探検記バカ売れ! そうだ、ドゥッシーの財宝も手に入れてやる!)


「ハムスターって二足歩行するんですねえ、隊長、これ」

 スカイに話しかけられて、テンガチは我に返った。

「な、なんだ」

「この絵、どうします?」

 スカイが紙を差し出した。

「ん? なんだ? 念写か……」

 テンガチは愕然とした。巨大な殺人ハムスターが、血濡れた前歯を剥いている。その両脇には、首が千切れかかったメイジ隊員と、額に穴が開いたウォリアー隊員……。

「おま、こんなもの載せるわけ……っ!」

「やっぱり読者に疑われちゃいますかね、こんな生き物は捏造だ……とか」

「そういう問題じゃない!」

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