04『テンガチ探検隊』

『テンガチ探検隊』1/5

「三大国のひとつ、メンデレーの王妃が一介のドワーフ探検家を呼びつけた理由は、実に興味深いものだった。ダンジョンの泉で目撃されたという未確認生物、ドゥッシーのうろこが欲しい……。王妃のその一言で、この旅は始まったのだ。私の探検記を手に取る博識な読者諸君のなかには、カナラ・ロー大陸の南西、セイヘン地方で発見されたダンジョンについて詳しい者も少なくないだろう。だが、そのダンジョンの地下深くに大きな泉があり、幻の生物が生息している……そんな荒唐無稽な噂を聞いたことはあるだろうか。初耳だった私はホラ話だと一蹴して断ることもできた。だが……依頼を快諾した。なぜか? 私の勘だ。ドゥッシーは、いる。それを証明するためには、多くの危険を乗り越えなければならない。だから私は、同行者をいつもより多い4人と決めて、人選に細心の注意をはらった。重要なのは、これまでの探検で深めたきずなの強さと、各分野におけるプロフェッショナリズム。どちらも最高の奴らが揃った。王妃から賜った支度金で万全の準備を整えた我々は、幾日も馬を駆った。山脈を越え、谷を抜け、プラチナム王国領を横断し、ときには野盗を、ときにはグリーンスライムやコボルドを蹴散らしながらひたすら南へと進んだ。なぜか私だけが伝染病に倒れ、下痢に苦しみ下着を汚したことも……オイ、オイちょっと待て」

 文章を声に出して読んでいたテンガチは、向かいの席に座る若きサイオニッ超能力者クを睨んだ。

「おい、スカイ。下痢のくだりは要らん。削除だ」

「……はぃ? ゲフー」

 エールをガブ飲みしていたスカイが、ゲップで答えた。眼鏡がずれ、短めの赤毛についた寝癖は朝からそのまま。若く端整な顔立ちが台無しである。

「下痢は削除だ」

「下痢って削除できるんですか?」

「こ、の、文、章、だ」

 テンガチは、冒険の記録が念写された紙をパンパンと叩き、下痢の二文字を指した。

「えー? 削除って簡単に言いますけどそのあとも文章が続いているわけで……最初から念写しなおしじゃないですか。ピッピッて線で消しておけば、あとで製本師が」

「ダメだ。これが旅の道中で書き記したになるのだからな。まだ冒頭だろ。やり直してくれ」

「辺鄙な場所に苦労してたどり着いたぞ! って感じが伝わっていいと思ったのになぁ」

「苦労の描写は大事だ。だが探検隊のリーダーであるこの私が恥ずかしい思いをする必要はない」

「うーん。恥ずかしいですかねぇ」

 スカイは眉毛をハの字に曲げ、口を尖らせた。テンガチは小さくため息をついて、テーブルの上の探検帽を指でコツコツと叩いた。


(こいつにへそを曲げられては困る……リーダーは褒めて伸ばす……)


「いいか、スカイ。お前の才能は大したものだ。目に見えたもの、聞こえたものを瞬時に咀嚼し、その場その場で見事な文章を考え、念写していく。私が喋っているかのような語り口も絶妙だ。私はダーム王国の記録師を何人も雇ったが、お前はバツグンに優秀だと断言しよう。さらに言えばこの挿絵の念写! 柔軟な絵心も素晴らしい。旅の仲間と焚火を囲んでほっこり笑う私の表情。私のポニーとほかの馬の絶妙な遠近感。そしてこれ、これが最高だ。グリーンスライムに立ち向かう私の雄々しい後ろ姿。読者も実際に私と旅をしているような気持ちになるレベルだ」

 テンガチは本心を述べた。ペンを使う手書きの記録師を雇ったこともあるが、彼らは危険な探検になればなるほどチョロッとしたメモしか取れず、あとで思い出しながらチンタラ書く文章には臨場感がない。念写はスピードと臨場感というふたつの大きな不満を解消してくれたものの、豊かな表現力でもって記録できるのはスカイだけだ。

「えへへ。照れますね。じゃあ下痢はイキで?」

「……お前のそういうところが理解できんのだ。ほかの3人はどこに行った」

 テンガチは広い酒場の店内を見まわした。

「明日に備えて寝る、って宿屋に戻りましたよ。しかしこのエール美味しいですねえ。おかわりもらおうかな」

 スカイが、コップの中身をカラにしようと喉を鳴らす。テンガチもその点については同感だった。廃墟同然の集落にただ1軒しかない酒場で、こんなに美味いエールに出会えるとは。

「まあ、しっかり寝て、しっかり働いてくれればそれでいい。それじゃあ……私たちはインタビューだ」

「えー? 今日は飲んで、もう寝ましょうよ」

「人が集う酒場だからこそ、インタビューだ。記録を忘れるなよ」

 探検帽を被り直したテンガチは席を立ち、ざっと店内に視線を走らせる。


(さて誰にするか。私が入店してから客の出入りはなかったはず……)


 入店時と変わらぬ光景。低めにあつらえたカウンターでエールを注ぐドワーフ。受け取りカウンターに料理を並べる坊主頭のシェフ。配膳はセルフ方式だが、テーブルの片づけはホビットがひとりで担っている。客は3グループ。冒険者と思われる4人組と3人組が、それぞれのテーブルで騒いでいる。壁際の小さなテーブルではふたりの男が向き合って座り、先ほどと変わらずカードで賭け事をしている。以上。――のはずだった。しかし、賭けテーブルからひとつ飛んで、2人掛けのテーブルに……灰色のフードを浅く被った老婆が座っている。ほかの客の倍ほどもありそうな巨大なコップを片手に、賭けを見物しているようだ。


(あのバアさん、いつの間に? ……血の気の多そうなやつらがたむろする店内で平然と……。ああいう年寄りは往々にして現地のことをよく知っている。誰かに顔が利くこともある。有益な情報を得られるだけでなく……この集落で動きやすくなるかもしれない。よし。あのバアさんに決まりだ。気難しいかもしれないから……控えめに、低姿勢で……)


 テンガチはさりげなく老婆のテーブルの前まで歩き、探帽子を脱ぎ、ずんぐりとした身体をピンと伸ばした。撫でつけていたシチサンの黒髪がハラリと額に垂れる。

「ご婦人、お楽しみのところ申し訳ない。わたくし、世界を股にかける探検家、テンガチと申します。少し宜しいで」

「ヨロシくない」

「エッ?」


 ――ここはどの王国領にも属さず、半ば忘れ去られていた不毛の地、セイヘン。

 歴史書にも地図にも記されていなかった名無しの廃集落は、ダンジョン発見の噂とともにいつしかドゥナイ・デン(=儲けの地)と呼ばれるようになっていた。


◇◇◇


「いや、あの……コホン。ほんの少しだけお時間を頂ければと思ったのですが」

「くどいね黙ってな。観戦中」

 老婆が、賭けテーブルに向けて顎をしゃくった。ふたりの男が互いの表情を探り合っている。手にはそれぞれカードが3枚。場にカードが2枚。長髪に無精髭の男が、手元の1000イェン札の束を無造作に掴んで、テーブル中央に叩きつけた。大男も乗ったようで、同じように札束を叩きつける。緊張の一瞬。テンガチも思わず見入った。

「トリプルソード、オーバー・ザ・トップで2倍」

 長髪の男が手札をオープンして、ニタリと笑った。

「……アアァァァ!」

 大男が絶叫しながらテーブルに突っ伏して、ダンダンと床を踏みつける。

「惜しかったな。いつでも受けて立つぜ……で、バァバ、こいつら誰?」

 札束を掴んで立ち上がった長髪の男が、獲物を狙う鷹のような目でテンガチを睨みながら老婆のテーブルに席を移した。

「知らない。アンタまたイカサマの腕を上げたね」

「人聞きが悪ぃな、観察力だっつーの。で、なんだアンタら。その恰好……観光か?」

 テンガチはムッとしながらも、笑顔を取り繕った。とりあえず会話はスタートできたのだ。あらためて挨拶する。

「私、のテンガチと申します。いまは宿屋にいる3人と合わせ、総勢5名でここドゥナイ・デンのダンジョンを調べに」

「へぇ、調査。名乗られたら返さないとな、オレはセラド。こっちの怖そうな婆さんはバァバと呼んでやってくれ」

「ヒヒ……怖くないよ」

「ご存知ありませんか? テンガチ探検記。8シリーズどれも好評です」

「知らねぇなあ。で、有名な探検家サンはいったい何を調べに」

「ええ。ここのダンジョンの、地下深くにあると言われる……あるのかどうかすら……」

「あると言われる? ナニ? もったいぶんなよ」

「泉……ッ!」

「泉? どの泉だ?」

「エッ?」

「いや、いくつもあるからよ」

「いくつもある……」

「抉れた岩盤からドーっと滝みたいになってる場所もあるぜ」

「た、滝?」

「地下水がな」

「ヒヒ……このあたりは上がカラカラ、下はドバドバ」

「宿屋にゃ温泉もあるぜ。で、どの泉よ」

 ふたりはさも当然という顔で、テンガチの次の言葉を待っている。

「え、ハハ、そうですよね。泉なんていくらでも……えぇと、7階。地下7階の、大きな泉と聞いています。ご存知で?」

 セラドの顔がサッと強張ったのを、テンガチは見逃さなかった。

「地下7階の泉って、あれはまあ……6階から階段で降りて、北東エリアに行けば簡単に見つかるとは思うが……」

「エッ? 知る人ぞ知る秘境では?」

「いや、ドーンとあるぜ。だが……」

「だが……? なんです?」

 テンガチはごくりと唾を飲んだ。

「いや、あのよ、なんの調査だ? 水質調査? あそこの水は飲んでも下痢とかしないから問題ないぜ」

「いまの下痢も削除ですか?」

 記録していたスカイが言った。テンガチはとりあえず無視した。


(この男の動揺ぶり……7階の泉と聞いたとたん話をはぐらかして……やはりいるのだ! そしてこの男はそれを知っている……隠そうとしている! ここはズバリ訊いて揺さぶりを……)


「あのテンガチさん、下痢は……」

「セラドさん。あなたの態度を見て、私は確信しました」

 テンガチはシチサンの髪をビタッと撫でつけてから、真剣な眼差しでセラドを見据えた。セラドは「な、なんだよ」などと言ってしきりに葡萄酒を飲み、動揺を隠そうとしている。

「……ご存知ですね? 地下7階の泉に生息するという……幻の生物を!」

「ブゥーッ! ……カハッ、ゴホ」

 セラドが豪快に噴いた葡萄酒が、テンガチの顔面をびしょびしょに濡らした。

「……アー、すまん。いきなり笑わせんなよ。反則だぜ」

「笑わせたつもりはありませんが」

 テンガチはハンカチで顔を拭いながら答えた。

「おい本気かよ……聞いたかバァバ? ドゥッシーだってよ」

「ヒヒ……面白そうじゃないか。案内してやったらどうだい? バードは引率も得意だろ」

「ハァ? 面倒はゴメンだぜ」

「案内は不要です」

 テンガチは怒りを抑えながら会話を遮った。

「ガイドは立てない。これは私の探検のモットーです。自らの力で苦難を乗り越え、たどり着くからこそ、最高の探検記が生まれるのです」

「ホラ! 必要ねーってさ。でもどうやって7階まで行くんだ? ここ初めてだろ? 見た感じ、アンタらじゃちょっと無理……」

 セラドはテンガチを上から下まで眺めて、やれやれと言わんばかりの露骨な顔を作った。

「ご心配なく……コレがありますから」

 テンガチはニコ、と笑い、斜めがけの革鞄から1本のキーを取り出した。一瞬驚いたセラドの顔が、にわかに険しくなった。

「おいそれ、リフトのキーじゃねぇか」

「ええ。ある御方から譲り受けましてね。これがあれば地下7階に直行できると伺っています。違いますか?」

 金で解決すれば良い、と、メンデレーの王妃が買いつけた物だ。

「自らの力で苦難を乗り越えるって話はどこにいったんだよ」

「7階をたっぷり探検して、物足りなければ6階や8階も見物するつもりです」

「ハァ。やめとけ。……死ぬぞ」

 断言するような鋭い口調と眼差しに、テンガチは一瞬たじろいだ。


(今度は脅しだと? ……こういう脅しには裏がある。まさか幻の生物が財宝を隠しているとか? 探検のプロに先を越されるのを危惧して? あり得るぞ……引き下がるものか……一度火がついたこの探検魂は消えないのだ……!)


「大丈夫です。最高の仲間を揃えています。力自慢のウォリアー。未踏の地に欠かせないメイジ。怪我の治療はプリースト。そしてリーダーの私と――」

「アンタ名前は」

 バァバが口を挟んだ。

「え? ですからテンガチ……」

「そっちのサイオニックだよ」

 サイオニック、という言葉に、酒場が静かになった。ピリついた空気がテンガチにも伝わってくる。


 サイオニック。超能力者。

 他人とは違う『可能性』を持って生まれ、その力に開眼し、操る術を備えた者たち。体系化され後天的に習得できる『魔法』と異なり、なぜごく一部の者だけが超能力サイキックを扱えるのか、超能力とはいったい何なのか、原理はまったくわかっていない。

 彼らの多くは幼年期に開眼し、その力の能力はさまざまだが、共通して得意とするのが、相手の精神に影響を与えることである。

 目に見えず自覚症状もない精神操作は、周囲にとって恐怖そのものであり、幼さゆえの無邪気な残酷性が引き起こす事件は身内ですら疑心暗鬼にさせるため、子らはたいてい親に捨てられるか、殺されるか、大陸中央部にある要塞の国ダームに託されることになる。


「いや、ご心配なく、こいつはいいヤツでして……」

「心配してないしアンタに聞いてないんだよ。なあダームの坊や、名前は」

「ハィ? ボクですか?」

 記録を取っていたスカイが、呆けたような顔でバァバを見た。

「そう」

「スカイです。ダームってよくわかりましたね」

「羽織ってるそのローブ、色と刺繍がモロだよ」

「あ、たしかに」

 スカイは自分の姿を確かめて、アハハと笑った。

「ダーム? サイオニックの牙城っていうあのヤベー国か」

 セラドが座ったまま身を乗り出して、ジロジロとスカイを見た。

「スカイ。アンタには少し聞きたいこともあるけど……まあいい、アタシは帰って寝るよ。見つかるといいね、ドゥッシーだっけ? ……クク」

 バァバが席を立った。

「じゃ、オレも宿屋に戻って風呂でも浴びるかな。笑える話ありがとよ」

 セラドも立ち上がる。

「あ、あの、まだお尋ねしたいことが」

 テンガチの声は届いたはずだが、バァバは振り向きもせず店を出て行った。

「なあ、探検家のテンガチさんよ、オレはハッキリと言ったからな?」

 セラドは身をかがめて、人差し指をテンガチの胸元に突きつけた。

「な、なにが……ですかな?」

「やめておけ、ってな」

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