『セラドの独唱』3/3
ダンジョン地下9階、南西部。
地図に書き加えられた隠しエリアをしばらく進み、青銅の扉の前に立ったセラドは、目を閉じて精神を集中させていた。道中、猫背メイジの情報は正確だった。つまり目の前の扉を開けた先は小さな部屋で、あいつらがいるはず。深く息を吐いて、目を開き、後ろを向く。背後に立たせていた1体の魔物――山羊の頭と4本の腕を持つ人型のレッ
(よし……いまのオレならやれるはずだ。いや、やれる)
レッサーデーモンを扉の前に待機させたまま、セラドは10メートルほど距離を取った。徘徊モンスター対策のイ
「よし」
セラドは【カッコウの】フルートで『オレとテメーの視覚結束』を奏で、自分の視界をレッサーデーモンの視界に結びつけた。白目を剥いたセラドは【永遠の夜の】リュートを背中から掴み取り、ペット化しているレッサーデーモンに向けて『オレの魅力ある妙演』を弾いた。
「シィィィィッ!」
(クソッ! スペル耐性が高いレッサーデーモンならもう少し粘れると思っていたが…… )
青銅の扉がゴゥンと音を立てて閉ざされた。このまま放っておけば、またどこかのグループが知らずに扉を開けて、不意打ちを喰らい、殺される。殺されて終わるならまだマシだ、とセラドは思う。精神汚染と死の拷問によってゲボクにされるよりも。
(まあいい……中の状況はわかった。曲の構成を少し変えねぇと……作戦はそのままだ。突入して殺す。殺さなきゃならねぇ。順調だ。そう、順調……)
この3カ月のあいだ頭の中で練り上げ反芻してきた作戦は、体が自然に動くレベルで染みついている。
「やるか」
腹を決めたセラドは、扉の前まで進んだ。ちょうどインビジブルの効果が切れたが、そのままにする。ビショップやサイオニックには通用しない。
(4曲はやめだ。3曲。うち1曲は入れ替える。となると……3曲とも15秒か、クソッ。とにかくまずはサイオニックだ。アイツとは10秒以内にケリをつける。そのあとは――)
『オレの戦いの唱歌』『オレたちの障壁』『オレたちの心の律動』を続けて奏でる。
「ヘッ。何がオレたちのだよ。自分で付けておいて笑わせるぜ」
セラドは自嘲気味に笑って、真顔に戻り、扉を開けた。突入。イメージ通りに床の死体を跨ぎ、踏み、サイオニックに突進する。横から戦斧が割り込む。強化した左拳で斧を叩き払う。突きの間合いに到達、レジェンダリー・ショートソードの剣先でサイオニックの心臓を狙う。
「オオオオオォォォォ!」
サイオニックの肩に突き刺した刃を、そのまま強引に斬り下ろす。刃は難なく骨と内臓を切断しながら股まで到達し、ハの字に解体されたサイオニックは絶命した。
「シャコラァ!」
セラドは吠えた。その刹那――左腕に衝撃が走った。戦斧が石床を砕く音。切断された前腕から噴き出た血が顔にしぶく。
「んの、キスポ、テメーェェェェ!」
セラドは右手一本でレジェンダリー・ショートソードを握り締めながら回転跳躍、常人離れした脚力と全身の捻りが加わった一撃がウォリアーの太い首を刎ね飛ばした。
「ハーッ! ハーッ、……スー。間に合っ、た」
最優先ターゲットのサイオニックは始末できた。セラドは呼吸を整えながら、残るビショップの方に向き直る。3曲の効果は、たったいま切れた。大量出血で遠のく意識を必死に保ちながら、3メートル先のビショップと視線を合わせた。緑青色の司教服を血で汚した彼女は、禍々しい眼でセラドを凝視したまま長い詠唱を終えようとしていた。
(あのスペル――黒焦げにする気かよクソ)
セラドは咄嗟にレッグホルスターからフルートを抜こうとしたが、左手が無いことを思い出して舌打ちした。一瞬だけうつむき、視線を戻し――
「お前を葬る」
宣言したセラドはレジェンダリー・ショートソードを胸の前で水平に構え、意識を集中させる。ビショップのパ
ぼうっと佇んでいたビショップが、ぎこちなく首をかしげた。
ごうごうと吼える燃焼音を掻き消すように、澄んだ音色を室内に響かせながら、セラドは炎の中から歩み出た。剣舞にも似た動きで刃を振るたびに幾種もの音が生じ、炎が剣身に吸い込まれてゆく。
バードが扱う楽器は4種。打楽器、弦楽器、金管楽器、木管楽器である。口笛と歌声も一定の効果を生み出すが、効果は薄く、用途も限られるため数には含まれない。しかし、真のバードを志す者であれば、ここにひとつの例外があることを知っておかなければならない。剣楽器【エヨナのシンギングソード】。第5の楽器で、武器。
ふたたび詠唱しようとしたビショップは発声を止め、己の胸を見た。
「あばよ」
彼女は――ビショップは、心臓に突き立てられた剣先をまじまじと見つめて、静かに崩れ落ちた。
(終わった……もういいよな)
すべてをやり遂げて仰向けに倒れたセラドは、朦朧とした意識の中……消え入りそうな声で唄った。散乱した死体の数々が優しい声に包まれ、ボロボロと崩れてゆく。
その独唱が止まったとき、彼は床一面に広がる灰に囲まれていた。
◇◇◇
目が覚めると、見覚えのある天井が視界いっぱいに広がっていた。薬草と薬品の臭いが鼻を突く。セラドは上体を起こそうと無意識に左手を突いて、ハッとした。左手が突ける。遅れてやってきた痛みに顔をしかめかながら目を走らせると、左腕は鈍く光る金属製の――
(……義手?)
「あ、意識が戻りましたねー」
声の方に顔を向けると、なめし革のエプロンを身に着けホウキを持ったウッドエルフが窓際に立っていた。翡翠色の髪を結わえた、そばかす混じりの少女。
「キミは……サヨカ。そうサヨカ。ちゃんと覚えてるぜ……。またキミに助けられたのかな、オレ」
「今回はわたしじゃないですー。師匠ですよ。難しい治療でしたから」
「……オレは生き延びたのか」
「そうですねー。助手のわたしは何度か、あ、これは死んだなーと思いましたけど。師匠はすごいです」
「そうか……」
沈黙が病室を支配し、ホウキをサッサと動かす音だけが響く。いまは余計なことを考えまいと、セラドは話題を変えた。
「その髪……サヨカちゃんはウッドエルフだよな?」
「そうですー。ちゃんはやめてくださいー。こう見えて貴方より年上ですよ? 間違いなく」
「ああスマン……で、師匠のアンナ……アンナさんはブラッドエルフ」
「そうですー」
「ブラッドエルフって、ほかのエルフ族と仲が悪いんじゃないのか?」
ホウキを動かしていたサヨカの手が止まった。
「ですねー。でもわたしと師匠はそういうコトないですから。ソンケーしてます」
「嘘つけ。寝首を掻こうとしたろ」
不意に飛んできた声に、セラドとサヨカが病室の入り口を見た。アンナが立っている。
「やだなあ師匠。昔のコトじゃないですかー。じゃ、わたしは隣の部屋を掃除してきますねーウフフー」
切れ長の目を三日月のように曲げ細めたサヨカは、そそくさと出ていった。その様子を睨んでいたアンナが、
「礼を言うんだな。貴様を助けた一団に」
と言いながら振り向いた。
「一団?」
「師匠、お客さまですー」
外からサヨカの声が届く。
「丁度おでましだ」
アンナが入り口から離れると、太眉のドワーフレンジャーがズカズカと入ってきた。
「おー! 死なずに済んだかぁ! 良かったなぁ!」
「え、誰? ……あ、酒場によくいる……昨日オレの問いかけに返事した……」
「昨日だぁ? あー。お前さん寝込んでたからな。救出されてから2日経ってるぞ。しかし死なずにすんで良かった。礼を言わせてくれ」
「礼? アンタがオレを助けたんだろ?」
「それは事実だ。担いでシュッとな。……だがお前さんが殺したんだろ? あのゲボク3人。ワシらが到着した時には灰になってたけどよ」
「……ああ、確かに。オレが殺した。そう、殺したんだ……。だが礼を言われる理由はねぇ」
記憶を辿ったセラドは、虚しさに襲われて目を伏せた。
「あるんだよ! お前さん、猫背のメイジと話したろう? あの子のグループはな、ワシらと進捗を競う仲……良きライバルで、良き飲み仲間だった。だから仇を取ってくれたお前さんには礼を言わなきゃならん。たまに酒も奢ってくれてたしな! ガハハ」
「そうか……。しかし礼はいらねぇよ。オレはオレのためにやったんだ。むしろ助けてくれて……ありがとよ」
「いいってことよ! お前さんにカモられるバカをツマミにまた酒が飲めるってもんさ」
ニヤリとウィンクしたドワーフレンジャーは「じゃあまた」と片手を挙げて退室した。
「やかましい男だ。貴様ももう出て行っていいぞ。そこにまとめた荷物と、これを持ってな」
アンナは部屋の隅に放ってある武具一式と楽器に目配せしてから、紙を二枚、セラドに手渡した。
「これは?」
セラドはベッドに座ったまま、一枚目の紙に書かれた文字を追う。
”請求先:セラド/500000イェン/バテマルの鍛冶屋”
「ハ?」
「いくつかグレードがある義手の中でも自信作、これまでにない工夫を凝らした一級品とのことだ。詳しい性能は本人に聞け」
「いやいや頼んでねぇし……」
混乱するセラドは呟きながら二枚目の紙に目を通した。
”請求先:セラド/200000イェン/アンナの診療所”
「ハァ?」
セラドが見上げると、アンナは自慢げに頷いた。
「今回の処置はかなり面倒だったが、成功と言えるだろう。残っていた前腕の筋肉や神経は、なんとか義手と接続できた。楽器を扱うような繊細な動きを取り戻せるかどうかは分からないが、リハビリに励むといい」
アンナの視線が一瞬だけ楽器に向けられた。
「いやいや頼んでねぇって……」
「貴様……仇討ちを遂げ、生き延び、失った手も生活に不自由無いレベルで治療を施され……何が不満だ。金はたんまりあるんだろう? 以前バァバが言いふらしていたぞ。だから私もバテマルも動いた。金が無ければ止血だけして放り出しているところだ」
苛立ちを隠さぬアンナが連続で言葉を浴びせてくる。放心のあまり首を垂らしていたセラドはハァ、と大きな溜息を吐き、小さな声で言った。
「……オレ、スッカラカンなんだよね」
◇◇◇
セラドは鉄板のように重く感じる二枚の紙ペラを持ったまま、中央通りに出た。ヒュウ、と夜風が頬を撫でる。もう何度目かわからない溜息を漏らし、宿屋に足を向けた。宿代だけは前払いのぶんが残っているが、何をするにも先立つ物が必要だ。レジェンダリー・ソードと7階までのリフトキーがあるとはいえ、左手がこの状態でそこまで潜るのは危険過ぎる。浅い階層で小銭を稼ぐだけでは返済が終わるまえに寿命が終わる。楽器を売って当面の資金に充てるという手もある。いずれも上物のユニーク・アイテムだ。バードなら高値で買うことは間違いない。
「でもなぁ……。そりゃあできねぇってもんさ」
セラドは呆けた顔を引き締め、二枚の紙をズボンのポケットに押し込んだ。
「ん?」
違和感を覚え、ポケットをまさぐる。掴み出されたのは――クシャクシャの1000イェン札、3枚。
(……あのときの釣り銭か。ピッタリだと思ったのにな)
セラドは足を止めてしばし考え、やがて踵を返し……ニューワールドに向けて歩き出した。先ほどよりいくらか確かな足取りで。
いつになく見通しの良い夜道を歩きながら、ふと空を見上げる。
(今日はやけに月が綺麗じゃねーか。星も……。終わったんだ。そうだ。終わった。オレたちをこんな目にあわせたクソサイオニックはもういねぇ。それに……)
ふたりの顔が目に浮かんだ。
あの部屋で見たあの顔ではなく、苦楽を共にしてきた懐かしい顔が。
腕っぷしと明るさだけが取り柄だった従者、キスポ。
そして――人を愛するということを教えてくれた女性、サンシャ。
もう、彼女たちが誰かを殺めることはない。誰かに恨まれることもない。
「これじゃイカサマもできやしねぇ。ったくキスポの野郎め。あの世で会ったらブッ飛ばして左腕をへし折ってやる」
セラドは左手の指をぎこちなく動かしながら、ひとり軽快に笑った。
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ダンジョンバァバ ジョン久作 @J-Q
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