『セラドの独唱』2/3

 レジェンダリー・ショートバァバから買った剣ソードの刃が、牡牛に似たゴルゴン怪物の硬質な首筋を捉えた。いや、セラドがと知覚した瞬間に刃は軽々と切断を終えて、ゴルゴンの頭部が仄暗いダンジョンの床に転がった。


(スゲぇ切れ味……。これなら1本でもいいかも……オレもバード吟遊詩人らしく左手にホルンでも持つか? いや、そもそもこの武器があれば楽器も減らせるかも……)


 臨機応変に楽器を変えながら戦うバードは、片手の自由を確保しながら武器を扱うことが求められる。ゆえに、デュアル・ウィ二刀流ールドやツーハンデッドソ両手で扱う剣ードを用いない。そのセオリーに反して2本のレイピアを愛用してきたセラドだが、手に入れたワンハンデッド片手剣ソードの桁外れな性能に気持ちが揺らいだ。

 続いて、武器と楽器の切り替え動作をチェックする。剣身を素早く背中の鞘に納める。レッグホルスターから【カッコウの】フルートを抜く。構えたフルートの歌口に下唇をあてる。フルートを戻す。左手を背中に伸ばして【永遠の夜の】リュートを掴み取る。右手で剣を抜く。……満足したセラドは、ひとり頷いた。この3ヵ月間、自分の戦闘スタイルにあわせて厳選、加工を繰り返してきた装備との相性も問題ない。


(おっと、この足音は……厄介なイヌ公か)


 セラドはフルートを構えて『オレの朗々たる陰暗』を奏でた。一瞬で自分の姿をインビジブ不可視ル状態にした数秒後、血の臭いを嗅ぎつけたブラッドドッグの群れが通路の奥から駆け寄ってきた。


(こいつらは無視。準備はオーケー。いよいよ、か)


 セラドはフルートの演奏曲を『オレたちの鷲の歌』にスイッチする。セラドの身体が、地面から拳ひとつぶんフワリと浮きあがる。ゴルゴンの死骸を貪るブラッドドッグたちが、音色に耳を立てて首をかしげた。フルートを素早くレッグホルスターに戻して、右腰に固定している小さな太鼓――【雄々しき獣の】ドラムを両手で叩きながら走り出す。『オレのアレグレット』によって疾風のごとき俊足を得たセラドは、リズムを刻みながら決戦の場へとひた走った。


(太鼓を叩き続けないと速く走れないってやっぱカッコ悪いよなぁ――)


 バードの演奏効果がするまでにかかる時間は、曲によって差はあるが遅くとも数秒である。演奏を停止すればその効果は時間経過によってするが、これもまた曲によって長短の差がある。

 セラドは、曲ごとに異なるそれらの時間をすべて記憶している。セラドは、実測との誤差1秒未満という正確な体内時計を有している。このふたつを活かして演奏のローテーションを緻密に組み立てることで、セラドはいかなるバードよりも多くの演奏効果を同時発動させることができるのだ。


 閉塞感に包まれたダンジョンに反響する速足曲『オレのアレグレット』。きっかり57秒おきに不可視曲『オレの朗々たる陰暗』と、浮遊曲『オレたちの鷲の歌』が3秒ずつ再奏され、すぐさま『オレのアレグレット』へと戻る。3曲のローテーションを1秒の狂いもなく正確にこなし、モンスターや床のトラップを無視して疾駆する不可視の上級バード。3ヵ月で大きく成長を遂げた彼の命を奪えるモンスターはそうそういない。


◇◇◇


 遡ること1日、バァバの武具屋。


「レジェンダリー・アイテムと交換できるのさ。しかも今回はバード専用の武器だよ……ヒヒ」

「え? レ……レジェ、レジェンダリー!? 冗談だろ」


 レジェンダリー・アイテム。

 唯一無二の効果を持つユニーク・アイテムよりもさらに上、ひとつひとつが最上最強と言われる超級品。武器防具としての性能もさることながら、込められた効果の特有性が持ち主の戦い方までをも一変させることがある。

 【鋭利な】ショートソードや【耐火の】ローブといった、大陸共通の接頭辞がその効果をあらわすマジック・アイテムと異なり、トンボが所持する名刀【ハバキリ】のように、それぞれが固有名詞を持つ。大陸全土を探し歩いても滅多にお目にかかれないほど希少性も高く、ここドゥナイ・デンのダンジョンで近年発見された数はわずかに1点のみである……が、ドゥナイ・デンの住人のなかには所有者が3人もいる。


「アタシの言葉が冗談だって? それじゃぁ要らない、と。アッソ」

「待て、待て待て要るって! 3000ボルで交換だな?」

「アァ? んなわけない」

「ハァ?」

「ちゃんと書いてあるだろ」

 バァバが親指を立てて、『オトクな特典が魅力』と書かれた張り紙を指した。セラドはカウンターに両手を突いて踵を浮かせ、限界までその身を乗り出し……目を凝らす。座ってパイプを咥えるバァバの口からモワァと煙が吐き出された。目に染みる。

「ちょ、それわざとやってんだろ……文字が小さくて読めねーよ」

「3000ボル、プラス1549000イェン」

「は? ひゃくごじゅうまん!?」

「1549000イェン」

「こまけぇ……そんな大金フツー払えねぇだろ」

「当たりまえだよアホ。レジェンダリーだよ? この条件でも破格、ボルならではの出血大サービス……オトクすぎる」

「まあ、そりゃ……そうだけどよ」

「持ってるだろう?」

「え?」

「1549000イェン。持ってるはず。持ってるね。持ってる」

 白髪まじりの髪に隠れていたバァバの左眼があらわになり、琥珀色に輝いた。

「数えたことがあるような言い草しやがって……たぶんあるはずだ、ギリギリ」

 セラドは、宿屋の金庫に預けてある全財産を思い浮かべた。

「じゃ、買うんだね? これ」

 バァバがドン、と1本の剣をカウンターに置いた。

「オ、オイオイこりゃあ……触っていいか?」

「ちょっとだけよ……ヒヒ」

 セラドは生唾を飲み込みながら手を伸ばした。

「こいつぁ……」

 剣のグリップを掴むと、まるで自分が生まれたときから傍にあり続けていたかのように、しっくりと手に馴染んだ。握っただけで身体の奥底から力が湧いてくるような感覚を覚える。

「……カネ、取ってくるわ」

「賢い選択」

「すぐ戻るからな!」

 セラドが慌てて戸口に向かおうとすると、店に入ってきた客とぶつかりそうになった。

「おっと、気をつけな嬢ちゃん」

「あ、すみません、すみま……」

 よろめいた猫背のメイジを、セラドが支える。

「オイ大丈夫か? 顔が真っ青――」

 顔を覗き込んだセラドは言葉を呑んだ。仲間を失った者に共通する顔。ドゥナイ・デンでは珍しくない。

「……嬢ちゃん、昨日、酒場に居たよな。オレの質問に手を挙げたグループだ」

「みんな……死んでしまいました」

 彼女のグループは4人組で、8階付近を拠点に好調な戦果を上げていた。

「残念だ」

「それで貴方に伝えねばと……あのゲボク」

「あ?」

「ウォリアー、ビショップ、サイオニック、でしたよね」

「そうだ。男、女、男」

「今日……9階で私の仲間を、殺し……」

 最後の場面を思い出したのか、猫背メイジの顔がいっそう青白くなる。セラドは無意識に詰め寄っていた。

「場所は! どこだ!? メイジならわかるだろ」


 ロケート。位置感知魔法。

 メイジとビショップが使う探索用のスペルで、おおまかな現在地を術者の脳裏に投影できる。角度、高度・深度、直線距離を測るためのは『術者が作った粘土人形』であり、ダンジョン探索の場合はその入り口に置かれることが多い。

 置かれている人形を壊すなどして他人の探索を妨害することもできるが、各々がダンジョンに挑むここドゥナイ・デンにおいて、妨害のメリットは無い。逆に――もし妨害行為が明らかになった場合、犯人はハンター全員から非難を浴び、恨みを買って殺されても文句は言えない。


「ええ、おおよそは……」

「どのあたりだ」

「地図、ありますか。私たちのはもうなくて」

「おう」

 セラドはポーチから自作の地図を取り出し、カウンターに広げた。猫背のメイジは地下1階から順に地図をめくっていく。

「正確な地図ですね……。9階の……このあたり……ここ。ここです」

 猫背メイジは這わせていた人差し指を止めた。セラドの地図上では、空白の一画。


( やっぱりまだ9階にいやがったのか。だが――)


「そこは行き方がわからねぇんだ」

 セラドは唸った。9階の南西部は、まだ足を踏み入れていないエリアのひとつだった。周囲を歩きまわってみても、どこから侵入できるのか当たりすらつけられていない。

「これを」

 猫背メイジが、セラドの手に何かを握らせた。

「ん?」

 小さな鍵だ。何かの骨を削って作られている。

「そのエリアに入るための鍵です。扉は隠されていて、入ったあとも少し複雑で……書き足してもいいですか?」

「あ、ああ、助かる。鍵……いいのか?」

「私たち……いえ、私にはもう必要ないものです。どうかみんなの仇を」

「仇討ちは――」

 生き残ったヤツが自分でやるもんだ、と言おうとしたセラドは、完全に戦意を喪失した猫背メイジの顔を見て、思いとどまった。

「――任せとけ。じゃあ、ありがたくいただくぜ」

「ええ、くれぐれも気をつけて。とくにあのサイオニック……私の仲間は3人とも精神をめちゃくちゃにされて、殺し合って、私だけ逃げ………」

「大丈夫だ、わかってる。オレが始末する。必ずだ」

 セラドは猫背メイジの肩に手を乗せて、力強く頷いた。


◇◇◇


 猫背メイジが去ったあと、武具屋と宿屋を往復したセラドは腐りかけのカウンターに札束を叩きつけた。さらに布袋を逆さまにして、ジャラジャラと大量のボルを広げる。

「オレの全財産だ。なんと1549000イェンピッタリ。数えてある」

「ヒヒ……マイド。商売だからね、たしかめさせてもらうよ」

 バァバは札束を掴み、いつもの指さばきで勘定をはじめた。 手持ち無沙汰のセラドはコインの山から1枚つまんで、指で弾く。

「……なあ、コイツもいちいち数えんのか?」

「コイツ? ボルとお呼び。3015枚」

「ハ?」

「アンタのボルの数」

「わかんのか?」

 セラドは眉を寄せた。狭い店内、台帳のような物を見かけたことはない。

「ヒヒ……私が造った物だからね。わかるのさ」

「そういうもんか」

「そういうもんさ……ハイ、1549000イェン、たしかに」

 バァバは大量の札束を小箱に詰め込んで、1000イェン札を3枚カウンターに残した。

「3000イェン、多かったよ」

「お? ちゃんと数えたはずなんだが」

「これにて取引成立……クク」

 バァバがドン、と1本の剣をカウンターに置いた。

「ついに……オレにもツキがまわってきた」

 セラドはレジェンダリー・アイテムを掴み取り、確信めいて呟いた。

「ヒヒ……実際、そう。アンタはバード垂涎の逸品を手に入れた。お目当ての場所もわかった。……だが調子こいてポックリの三段オチはやめとくれよ」

「バァバに心配されるたぁ、涙がでるね」

「上客が死んだらもったいないから……クク」

「ケッ」

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