第2話 事件の顛末について
「申し訳ありません。気分を害してしまったようですね。安心ひかりさん」
「いえ。純粋に疑問に思っただけです」
芹沢唯可が頭を下げて謝罪すると、目の前の姉妹はきょとんとした。
きょとんとしたのは姉の安心ひかりだけで、妹の安心亜梨沙はずっと姉の左腕にしがみついて俯いたままだが。
亜梨沙は事件後の精神鑑定で心神喪失と診断されている。
また姉のひかりに対する強い依存性も診断結果にあった。
ひかりと長く離れていると錯乱状態に陥り、幼児退行を引き起こすのだ。
責任能力は認められないと判断されるのも妥当だろう。
だが妹の安心亜梨沙は重要ではない。
唯可が会いに来たのは姉のひかりの方だから。
当時、事件を担当した警察官からタレコミがあったのだ。
関係者の全員がひかりの関与を疑った。
妹と共謀して男性を殺害した。
本当はひかりが男性を殺害して、心神喪失状態の妹に全てを押しつけた。
そんな憶測がされるほどに姉のひかりは怪しかった。
結果は不起訴。
警察は怪しみながらもなにもできなかった。
世論がそれを許さなかった。
女子中学一年生による男子大学生の刺殺事件だったから。
男子大学生には性犯罪の疑惑が山程あった。
刺殺事件直後、男子大学生の素行不良の情報が一気に拡散された。
殺された男子大学生は家庭教師として幼い女児に近づき、わいせつ行為を繰り返していた。
さすがに被害者が名乗り出ることはなかったが、男子大学生のスマートフォンから画像やメッセージのやり取りが流出している。
被害者の身元がわからないようにボカされていたが、男子大学生の犯行の数々は明白だった。
安心亜梨沙の犯行は正当な防衛である。
それ以外の結論が許される余地がなかった。
姉の安心ひかりに不自然な点が山程あったにも関わらず。
安心ひかりの関与の証拠もある。
男子大学生のスマートフォンのデータ流出元はどこか。
調べると安心ひかりにたどり着いた。
安心ひかりには男子大学生を殺す動機もあった。
自らが被害者だからではない。
男子大学生のスマートフォンや言動から、男子大学生は安心ひかりに対して、なにもできなかったことがわかっている。
安心ひかりは護身術を習っており、男子大学生を返り討ちにすることに成功している。
スマートフォンのデータを盗み取ったのもそのときだと推定されている。
肝心の動機だが男子大学生のわいせつ行為の被害者の中に、安心ひかりの友達がいた。
違う中学校に進学していたが同じ小学校出身。男子大学生に襲われたショックで不登校になり、家に引きこもっていた。
事件の一ヶ月前に仲の良かった親友として友達の家に訪問して、慰めていることもわかっている。
安心ひかりには同性愛の傾向があり、どのように慰めたかは割愛する。
警察はそこまで調べ上げて、捜査を断念した。
この事件は女子中学生の復讐劇かもしれない。
私刑の可能性がある。
なぜ妹の安心亜梨沙が手を下したのかはわからない。
ただ事件直前の男子大学生の言動からある事実が判明して、断念するしかなかった。
男子大学生は自分を返り討ちにした安心ひかりに復讐しようとしていたことが判明したからだ。
安心亜梨沙は容姿、背格好、服装など安心ひかりとよく似ている。
性格は似てないが周囲から一卵性の双子と思われるほどにそっくりだ。
安心亜梨沙は安心ひかりと間違われたため襲われた。
……安心ひかりがどれだけ怪しくても、刺殺事件とは無関係。
安心ひかりの男子大学生への報復は返り討ちにして、スマートフォンからデータを盗み取った段階でほぼ終わっている。
あとは情報をばら撒くだけだった。
刺殺事件は男子大学生が妹の亜梨沙を襲おうとして起きただけ。
やはり亜梨沙の防衛は正当で、男子大学生はどうしようもないクズで、安心ひかりは刺殺事件には直接関与していない。
その可能性が浮上して、捜査関係者は安堵して手を引いた。
誰も女子中学一年生の計画的な犯行など疑いたくはなかった。
包丁などの不審な点は残るもののこれ以上調べてどうするのか。
全てを明かせば、マスコミは姉の安心ひかりを英雄視するかもしれない。
センセーショナルな復讐劇として称賛するかもしれない。
妹が襲われたために刺殺事件にまで発展したが、女子を襲う卑劣な男子大学生に退治しようとした安心ひかりを責める者は少ないだろう。
なにより心神喪失状態の妹に寄り添う安心ひかりの姿を見て、それ以上騒ぎ立てることをしたくなかった。
だがそれは本当に正しいのか?
疑問をいだいた唯可は安心ひかりに会いに来た。
安心亜梨沙は不起訴処分とはいえ人を殺している。
安心家は周囲の目から逃げるように、海辺の町に引っ越していた。
蓄えはあったのだろう。
父親は仕事を辞めて、母親も教室を閉じ、田舎暮らしを開始した。
そして唯可は安心ひかりから直接話を聞き、ある種の確信を持つに至った。
この娘は唯可の求める人材だと。
「それで改めて聞きますけど、お姉さんはなにが知りたくて、こんな田舎まで来たんですか?」
「私はこういう仕事をしているの」
唯可が名刺を渡すと、ひかりが首を傾げた。
「学校法人?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます