第265話 10年です
多国籍軍の到着を待たずに、アメリカ交渉団のヘリ3機は離陸を開始した。
来た時よりも、乗員を2名増やしてのことだった。
「幸ちゃん! 生きてたんだね! もう、本当に心配したんだから!」
倫子は大泣きしながら幸の生還を称えた。砂にまみれた彼女の頬に、涙の跡がはっきりと残る。
今回のミッション最大の功労者は、間違いなく幸である。
共和国防衛隊が蜘蛛の子を散らすように立ち去った後、アメリカ交渉団とイラク内務省は、ほんの数分だけ会話の時間を得たのである。
「とんだ邪魔が入りましたな。多国籍軍が来る前に、我々はここを離脱する必要がある。あなた方の「神の国家」構想を、私たちは阻害する事はしない。もし内務省が立花 幸君の提案した通りの道を歩むのであれば、多国籍軍はバグダットへの進行を停止するでしょう」
「フリーマン准将、その申し出はありがたいのですが、その、アメリカは何故、我々にそのようなチャンスを与えるのですか?」
アル・ナキブの質問に、フリーマン准将はニッコリと笑顔を向けただけで、それ以上答えようとはしなかった。
そこには、その理由を汲むよりも、今現在バグダット進行を阻止する事が優先事項だと言っているようであった。
「ただし、10年です。10年以内に建国の準備をして頂きたい。それを過ぎれば、アメリカは再びバグダットを目指します。それまで、皆さんごきげんよう!」
そう言い残し、フリーマン准将は機内へ去って行った。
そして最後に、幸はハムザ少佐へ向かい、丁重に詫びを入れた。
「ごめんなさい、嘘をついていて。最初からイラク内務省へ潜入するため、全ては計画された事でした。ただ、あなたを裏切ってしまったことは、どうしても悔やまれます。ハムザ少佐、一緒に来ませんか?」
すると、ハムザ少佐も大笑いして、こう返すのである。
「いやあ、ごめんなさい。実は私もあなたに嘘をついていたことがあります。あなたが最初からCIAの指示で動いていたように、私もフリーマン准将からの勅命で動いていたのです。あなたがイラク内務省に大きな影響を及ぼし「神の国家」設立に、省内とバアス党を動かす動機になるよう。ミス・タチバナ、いや、レディ・セシル、お別れです。どうかお元気で」
「・・・・ハムザ少佐、あなた、最初から全部知っていて?」
「いや、レディ・セシルがミス・タチバナだとは、さすがに気が付きませんでしたけどね。私も帰る事が出来たのなら、もう一度あの光景に出会いたかった。丁度この付近のはずです、異世界でリチータ祭りが行われていたのは」
幸は一瞬、耳を疑った。
彼は今、リチータ祭りと言ったのだ。
激しいダウンウォッシュによる砂塵が辺りを覆う。もう米軍機は飛び立つ寸前だ。
「おーい! 立花さん! 離陸だ、急いで」
曽我が叫ぶ。もう多国籍軍が間近に迫って来る。幸は最後にどうしてもハムザに伝えたい事があったが、ヘリのダウンウォッシュによってその言葉はかき消されてしまった。
だが、もしかして、聞こえていたかもしれない「あなたはタタリア人ではない、オルコ人です」と。リチータ祭り、あのきらびやかな通電の祭りを知っている時点で、彼の生まれは間違いなくランカース村と言う事になる。つまり、彼はオルコ帝国の国民なのである。
幸達の乗ったヘリは、急速に高度を上げてゆく。出来るだけ目撃者を増やしたくない、と言う事情からだった。
窓の外に広がる砂漠を、幸は切なく見つめた。遠くにザグロス山脈の山並みが見えると、幸はもう我慢出来ずに涙を流した。
時空間は違えど、あの山は異世界ならばタタリア山脈、マリトが死んだ雪の山脈。
一体、この世界と異世界との間には、なにがあったのだろうか。
あれほど肥沃で、雪深いオルコ帝国が、こちらの世界では、どうしてここまで砂漠になってしまったのか。
この変わり果てた砂の世界に、幸の心は押しつぶされそうであった。
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