第189話 フェアリータの幸福を

「フェアリータ!、セシル!」


 ヨワイド・カウセルマンは、自身が連隊長でありながら、敵国ドットスの将校と顔見知りであるという理由から、今回の捕虜交換の任を申し出た。


 連隊長クラスの大佐が、直接ドットス領内に入る事は、戦時体制化では異例の事となったが、ここには皇帝エリル二世の意思も介在していた。

 エリルは、幸の心の動きが、手に取るように理解出来ていた。

 本来、師団付巫女職とは、この世界における通信機の機能を果たす。

 巫女と皇帝は、特殊な能力で意思を通じ合う事が出来る、そのため、前線にあっても、皇帝にはその戦局が手に取るように把握出来、逆に言えば皇帝の作戦構想を最前線部隊に伝えることも出来るのである。

 それ故に、巫女職は皇帝の名代として大切に扱われた、本来は。

 こと、ロンデンベイル機甲師団にあって、巫女職を務める幸はその本来持つ職務を果たしているとは言い難いものである、皇帝と意識を共有していないのだから。

 しかし、それは皇帝エリルによって、意思疎通を一方通行にしているだけであり、二人の意思は繋がっているのである。

 そのことを、幸は知る由もなく、これまでエリルは幸を自分の意思から自由に開放していた。


 今回の捕虜交換の真意は、当然フェアリータを自陣に復帰させるためのものである。

 ドットスの国王マッシュ・メイ・ドットスと、オルコ帝国皇帝エリル二世の利害は完全に一致していた。

 フェアリータの幸福を、二人は心から願っているのだから。


「ヨワイド、心配をかけてごめんなさい、戻りました」


「まったく無茶をする、単騎で敵軍に乗り込むなど、頼むから・・・・あんな無謀な事はもうしないと約束してくれ」


 冷静で紳士なカウセルマン大佐が、幸の前では借りて来た猫のようだとセシルは思う。

 ラジワットに愛され、カウセルマンに愛され、聞けば皇帝も幸を想っていると言う。

 ・・・・なんなんだ、この少女は。

 セシルは、その交友関係に、同性として少し嫉妬に似た何かを感じざるを得なかった。

 これほど高貴な方々を夢中にさせる女性も、極めて稀な存在だろう。

 そして、セシルはあの日の晩に聞かされた、壮大な時空間の話、そして、幸が新たな目的に向けて旅立たねばならない事を、この後カウセルマンにどう伝えるのか、とても気になっていた。

 セシルは、カウセルマン大佐の横顔を、切ない表情で見つめていた。

 幸にとってラジワットがそうであったように、セシルにとってもカウセルマンは自分を軍に取り立ててくれた恩人でもある。

 セシルもまた、自身に芽生えたこの友情と嫉妬の感情に、未だ理解が及んでいないのである。


 「セシル、君も無事でよかった、フェアリータを守ってくれて、本当にありがとう、君を我が軍に引き入れて正解だったな」


 そう言うと、爽やかな笑顔をセシルに向けるカウセルマン。

 恋愛事情に疎いカウセルマンもまた、無駄に周囲の女性を自分の重力圏内に引き込んでしまう癖があるようだ。

 

 ドットスを出る際、王妃サナリアは、もう本当に泣いてくれた。

 それは、もはや同じ世界の住人ですらなくなってしまう事実が、まるで今生の別れのように感じられたからである。

 その認識は、ある意味正しいのかもしれない。

 人の「死」という概念が、この世界から消えてしまうことなのであれば、今回の幸の旅立ちは、それに等しい物だろう。

 ましてや、人々の記憶から彼女の事が消えてしまうのであれば、それは現世の「死」の概念よりも、より一層残酷な「死」であろう。

 なかなか離してくれないサナリアを、幸は優しく諭しつつ、何度もお礼を言った、再会の時、冷たい事を言ったことも詫びながら。

 国王マッシュは、最後に捕虜である幸に、彼女が帯剣していた短剣を返した。

 幸はその短剣を、大事そうに抱き締める。

 マッシュも解っていた、この短剣がラジワットの形見であることを。


 キャサリンは、幸に再会の日時を指定した、それは直接日本に戻れない事情もあったのである。


「フェアリータちゃん、あなた自分の荷物の中に、拳銃を持っているわね、あれはダメよ、日本に戻る時、それは持って帰らないと。この世界の異物になるわ」


 幸は、もう忘れかけていたが、自分のアパートでチンピラに襲われた時、ラジワットが切り倒したその男から拳銃を持ったまま、この世界まで来てしまっていたという事を。

 拳銃は、幸がこの世界に来た時に着ていた学校指定のセーラー服と共に、小さなボストンバックにしまい込んだままになっていた。

 

 この世界を去るにあたり、幸はそう言った身辺整理のために、オルコ帝国に戻る必要があったのである。

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