第172話 どうして帰って来ないのか?

 ワイセル大尉を返さないタタリア騎兵軍団。

 そんな国際慣例すら遵守しない野蛮な軍人だ、恐らくこの交渉は、極めて危険なものになる。

 それは誰もが理解してのことである。


 そんな死地に赴くような任務に、笑顔で付いてきてくれる仲間たち。

 本当に男らしい人たちだと幸は思う。

 先頭に立つマルスル大尉もまた、絶対に巫女職を守るという気概が見えていた。

 鈍感な幸ですら、その気概は伝わってくる。

 自分には、勿体ない人物だち。


 タタリア軍は、野蛮で規律が乱れていると思っていた幸にとって、この待遇は少し意外であった。

 しっかりと礼式をもって、軍使を出迎えてくれたのだ。

 ・・・ならば、ワイセル大尉は、どうして帰って来ないのか?。

 この敷地のどこかに幽閉されている事だろう。

 出来ればここの軍人とは戦わず、ワイセル大尉を救出して、無事に帰る事が出来たのなら、それで十分だ。


「・・・これは、よもやオルコの巫女職様が直々にお見えになるとは・・・・、さ、こちらへ」


 敵の司令官と思われる人物が、幕舎の奥へと幸を誘う。

 司令官は、思ったよりも大分若く、なにやら少し緊張しているようにも見えた。


「それで、こちらへはどのようなご用件で?」


「とぼけないで下さい、当方の軍使、ワイセル大尉が二日前にこちらへ交渉に来ているはず、国際慣例に則り、即時の引き渡しを要求します」


「はて、軍使?、ワイセル大尉?、・・・いや、解りませぬな、こちらに来てはおりませぬぞ」


 幸は、一瞬こちらの手違いで、ワイセル大尉が敵軍に行けてはいないのでは、と考えた。

 そんな想定はしていない、軍使が敵軍に行かない理由など無いからだ。

 しかし、敵の司令官がそう言うならば、その可能性を考える必要がある、幸はそう思った。


 その時だった。


「戯言を申されるな、そろそろ本物の司令官殿が出て来るべきではないか?、流石に帝国軍巫女職への冒涜ですぞ」


 幸は、マルスルの方を見上げた。

 そして、全てを悟ったのだ。

 そう、この目の前に居る軍人は、司令官などではない。

 偽物の司令官なのだ。


「何をバカな事を、さ、流石に司令官に対し、無礼ではないか?」


「ほう、それでは一体いつから、タタリア騎兵の司令官は、そのような飾緒を付けるようになったのですかな?」


 そう言うと、マルスル大尉は剣を抜き、司令官・・を名乗る男に切りかかった。

 幸も短剣を抜き、応戦する。


「これは・・・流石にちょっとピンチね・・・、でもどうして彼が偽物だと解ったの?」


「司令官が参謀飾緒なんて着けません。彼は司令官を見た事もない、下級の兵士です」


 参謀飾緒とは、師団級の部隊の参謀や士官が肩から下げる金色の太い紐のことである。

 この世界の参謀は、国に係らず装着する習慣がある。

 幸の居た日本では、自衛隊の司令官級でも装着するが、本来司令官は装着しない。

  

 所説あるが、この金色の紐は、元々司令官の命令をメモするために、鉛筆を結んでおく紐が原点だと言う。

 しかし、階級の高い参謀や軍使級が皆装着するので、下級の兵士は、高官ならみんな付けると勘違いしている節がある。


 そんな状況を、兵士階級からの叩き上げ士官であるマルスル大尉は見逃さなかったのである。

 それ故に、彼は偽物である、と。


 激しい切り合いに発展した。

 

 幸も、幼い乙女ではない、厳しい鍛錬により、一人前の剣士となっていた。


 だから、解るのである。

 この司令部にいるタタリア軍人、それも士官にしては・・・弱いと。

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