第168話 戦略と戦術の基礎

「では、行ってくるよ、アシェーラ」


「はい・・・どうかご武運を」


 見たこともないほどしおらしく、乙女なアシェーラを見た幸は、思わず胸が苦しくなった。

 それまで幸は、この遠征がラジワット救出の為には、絶対に必要な行為と認識していたのだが、どんな理由があれ、これは戦争だ。

 それも、今回はこちらが侵攻を仕掛ける側だ。

 当然、多くの血が流れる、敵味方双方に。

 それ故に、戦略目標を明確に定め、早期妥結を目指す必要がある。


 幸はこの2年間で、戦略と戦術の基礎を学んだ。

 

 それは、当時15歳の少女が学ぶには、あまりにも生々しい内容と言えた。

 本来、中学校から高校に進学して、学校で学ぶべきことは、他に沢山あったはずであるが、幸の青春の全ては、ラジワット奪還に向けた作戦立案と軍事教練に充てられた。

 この世界に来る前は、看護婦になりたいと、貧しいながら勉強には力を入れていた。

 沢山の英単語や方程式を暗記して、人の役に立ちたいと懸命だった。

 元々、頭の良い幸は、人の役に立ちたいという気持ちはそのままに、目標を医療から軍事に転換していたのだった。

 そんな青春時代であっても、ラジワットさえ帰ってくれば、幸としては意義深いものになると、それだけを信じて今日まで頑張ってきた。


 アシェーラは、ブラン曹長との別れに際し、人目も気にせず口づけを交わした。

 長く、そして熱い口づけに、幸も体の芯から熱くなるのを感じていた。

 ブラン曹長を、いや、他のみんなも、必ず生きて家族の元に返す。


 それには、この初戦がとても重要である。


 この規模の軍隊が動けば、当然タタリア側も、その動向を察知するだろう。

 それ故に、もはや奇襲効果は期待出来ない。

 国境一帯に広がったオルコ帝国軍が、全てを蹂躙し尽くす様を強烈に見せつけなければ、敵は怯まないだろう。


 それ故に、この越境の瞬間だけは、修羅の如く非道に進撃しなければならない。


「フェアリータ、我が連隊はロンデンベイル師団の先鋒として、中央を突貫する!、次に会うのは、タタリア領内、それまで、君の元に勝利の女神があらんことを」


「ヨワイド、あなたもどうかご武運を!」


 国境一体を埋め尽くすオルコ騎兵の波。

 壮大なこの情景を、幸は生涯忘れることはないだろう。

 一瞬、エレシーの顔が、頭を過ぎる。


『フェアリータ・・・・お兄さまを、どうか、助けてあげて、お願いよ』


 あれほど勝ち気なエレシーが、最後に幸に向けた表情は、弱々しい恋する乙女のそれであった。

 きっと彼女だって、ヨワイドと共に戦場へ赴きたかっただろう。

 こうして、軍を率いて前線に立てる自分は、きっと幸運なんだろうと、つくづく感じる。

 皇帝エリルだって、幸を最後に見送る時は、少し涙ぐんでいたのだから。



 タタリア国境には、オルコ軍を待ち受けようと、駐屯軍が一線引いて騎兵を並べている。


 いよいよ、戦いの時が来た!。


 ラジワットさん、必ずお助けします!、だから、あと少しだけお待ちください!。


 並足行進中のロンデンベイル騎兵師団が、敵との距離を詰めるや、一斉に早足行進へ切り替わり、国境手前200mまで迫った時点から全速力となり、全軍が突撃を開始した。


 激しい砂埃が上がり、ロンデンベイル師団は一気に国境を越えると、大乱戦となった。


 それでも、タタリアの準備した兵力は、国境線を何とかカバーしきれる程度であり、その防御縦深は極めて薄い物である。


 幸は、概ね予想通りの配置であることを確証すると、全軍に中央突破を命じた。


 勢いを増すオルコ帝国軍の前に、タタアリア騎兵は総崩れ状態になってゆく。

 それでも進撃の手を緩めないカウセルマン連隊に続き、ロンデンベイル師団の後続部隊が濁流の如く中央に流れ込む。

 もはや、止める手段を持たないタタリア駐屯部隊は、一斉に敗走へ転じ、作戦は追撃線へと移行する。


 勝った。


 幸は勝利を確信した。

 それも、予想以上の完全勝利だ。

 いささか、手応えが無さ過ぎる程度に。

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