第139話 ここからは賭けだ

 オルコ国境を目の前にして、ラジワットと幸の二人は凍り付いたように動けなくなってしまった。

 その光景は、壮大なものと言える。



 地平線を埋め尽くす、タタリア騎兵軍団



 それは、タタリア国境に布陣しているのではない、既にオルコ国境を越えて、領内深くに侵入されている。

 

 ラジワットは、国境には近衛連隊が配置されていると考えていただけに、さすがにこの光景は予想外であった。

 それはつまり、国境紛争において、オルコ帝国軍が敗北したという事を意味する。

 

「なんてことだ、あの我が帝国軍が、このような・・・」


 ラジワットは落胆を通り越し、怒りに震えているようにさえ感じられた。

 それまで家族を無事に越境させることに専念して来たラジワットの表情は、久しく軍人のそれに豹変してたのである。


 幸は、いつも優しいラジワットが見せたこの表情に、東京は練馬で見せた、始めて会ったあの頃のラジワットを思い出していた。


 大勢のヤクザを、一度に切り倒した、あの時の表情を。


 やっぱりラジワットは、天性の戦士なんだと、この時幸は思ったのである。

 その、狼のような横顔に、それでも幸は少し安心したのである。

 それは、昨日まで弱っていたラジワットに、どんな形であれ生命力が漲った状態が見えたのだから。


 しかし、いくらラジワットが闘志を露わにしたところで、この地平線まで広がる騎兵軍団を相手に、なにか出来る事があるかと問われれば、それは皆無としか答えようが無いのだ。


「ミユキ、これまで私達は国境を目指してきたが、どうやらここがゴールラインでは無さそうだ、私達は国境を越えて、友軍のいる場所まで進まなければならない、解るね、ここからは賭けだ、大博打になるだろう、だから・・・・」


 幸は、その先の言葉が、本当に聞きたくはなかった。

 マリトを失った後の幸は、もう悲しみの限界が、既に溢れた状態だった。

 これ以上の悲しみを、自分はきっと処理することなんかできない。


「嫌です、ラジワットさん、私、ラジワットさんと別れるくらいなら、一緒に死にます、どうか、お一人で死ぬなんて言わないでください、どうか」


 ラジワットは、幸を強く抱きしめた。


 長い抱擁だった。


 二人の時間が、このまま一つに繋がったままでいられるなら、もう、これ以上何も望むまい。


 ラジワットも、これほど自分に想いを寄せてくれている少女を、絶対に死なせたくはないと思った。

 生きてさえいれば、そう、生きてさえいれば、必ず活路は見出せる。

 ラジワットは、幸を抱き締めたまま、彼女の耳元でこう囁いた。


「いいかいミユキ、もしも、もしもだ、私達が離れてしまったら、オルコアの屋敷へ行きなさい、そして、自分が巫女だと名乗り、皇帝陛下と謁見するんだ、そこに必ず活路がある」


「皇帝陛下・・・?、私ごときが、謁見なんて、できるのですか?」


「ああ、そう言う手筈になっている、陛下は必ず君に会うと言ってくれる、大丈夫だから」


 それは、幸にとって、悲しい一言だった。

 一番聞きたくないと思っていた、離れ離れになってしまう事実を、ラジワットの口から言ってほしくはなかった。


「嫌、嫌ですラジワットさん、私、貴方とともに生きて行きたい、ねえ、もう戻る事は出来ないのですか?、ゼノンさんの所、またあそこで、二人で生きてはゆけませんか?」


「・・・・だめだ、君は私の伴侶である前に、皇帝陛下の巫女なのだ、だから、私達は必ず帝都オルコアへ行かねばならない、第一、この騎兵の数を見なさい、もう退路も断たれている」


 そう、二人と一匹は、もはや前に進む以外の選択肢など無いのである。

 


 二人の前には、不気味な騎馬軍団の群が蠢いていた。

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