第135話 異 変
セシルたちがタタリア騎兵を抑え込んでくれたためか、騎兵が追って来る気配は無かった。
山賊の村での出来事を考えれば、この静けさが異様な事に感じられる。
駐屯していたタタリア騎兵は、やりたい放題の事をした報いを、今頃受けている事だろう。
もちろん、それにはリスクを伴う。
しかし、彼らは山賊、結局どこまで行ってもタタリア騎兵に追われることには変わりない。
ここから先の事は、彼ら自身が決める事だ。
ラジワットの正義も、そこが限界である、いくらラジワットであっても、全てを救う事は出来ない。
それ故に、ラジワットは今目の前にいる幸を、安全な場所まで連れて行かなければならないし、それが一番の優先事項であった。
このまま進めば、再びオルコ国境に到着できる、そこには、恐らくカウセルマン中佐が近衛連隊を率いて、国境を固めているはずだ。
旅のゴールは、間もなくだと思われた。
本来であれば、この旅は急ぐ旅路である。
しかし、山賊村での一件以降、ラジワットの歩く速度は明らかに低下していた。
幸は、あの戦いで、ラジワットに何かあったのかと考えた。
「ラジワットさん、足、どうかしたのですか?」
「・・・ああ、問題ない、少し疲労が重なっただけだ」
幸は、ラジワットも疲れるんだと、ぼんやり考えていた。
それは、これまでラジワットが見せた事のない表情と言えた。
「ラジワットさん、私、歩けますから、荷物をユキちゃんの背中へ預けてください」
幸は、ユキちゃんの背中を降りると、ラジワットの背嚢をユキちゃんに乗せて、自分は再び歩き出した。
マリトの血の跡が示すように、痩せた子供が長時間ユキちゃんの背中に乗って移動する、という事は、想像以上に厳しい事だった。
幼い頃から馬やラクダに乗っていた人間であれば、造作もないことかもしれない。
それでも、日本で生まれ育った幸や、病の床に伏せていたマリトにとって、動物の背中は、快適とは言い難いものである。
ユキちゃんの背中に荷物を置いたラジワットは、かなり楽になったように見えた。
こんな事に、どうして自分は気付けないのだろうと、マリトが死んで以降の自分に嫌気が刺す。
マリトが死んで、自分が一番悲しいと、勝手に思い込んでいたが、本当に一番悲しんでいるのは、父親のラジワットの方なのだ。
その悲しみを、分かち合う奥さんも、今はいない。
そう言えば、マリトちゃんは、オルコアのお屋敷で、お母さんが待っていると思っていたっけ。
今頃、天国で、お母さんと会えているのかしら。
幸は、そんな事を考えながら、国境へ続く一本道を歩いていた。
本来、かなり楽になったはずのラジワットであったが、幸の足でも少しゆっくりと感じるほどに、速度が遅く思えた。
ラジワットは、もしやどこか悪いんではないだろうか。
「ラジワットさん、この先の丘を越えた付近で、今日は早めに野宿にしませんか?」
普段のラジワットであれば、幸の体調を一番に気にかけてくれるはずだが、この時のラジワットは、幸のそんな意見を何ら検討することなく、素直に受け入れた。
幸には、それが少し不気味にすら感じられた。
日はまだだいぶ高い、いつものラジワットなら、もう少し進んだところで野宿にしようと、提案し、幸を励ますくらいなのだが、これは相当に疲労が蓄積しているのかと思われた。
「ラジワットさん、ちょっといいですか?」
野宿の場所を選定すると、とにかく一度地面に座り込み、休んだラジワットに駆け寄り、幸は一度、ラジワットの身体を調べようと思った。
嫌な予感がしていた。
あの鋼の男、ラジワットが、今日に限って本当にらしくない。
ラジワットは、幸に大丈夫を繰り返すだけで、なかなか体を調べさせてくれない。
幸だって、本当は恥ずかしいのだが、これでも看護婦を目指していたくらいだから、ラジワットが患者なのなら、幸は何だってできると思えた。
汗が引いたラジワットは、急速に顔色を悪くしてゆく。
やっぱり、何かがおかしい。
幸は、不安になりつつ、毛布を地面に敷いて、ラジワットを寝かせたのだった。
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