第125話 生きて
マリトの蘇生に成功はしたものの、この吹雪と日没は、どうすることも出来なかった。
今、マリトをユキちゃんの背中に乗せて歩き出せば、マリトは夜を迎える前に、凍り付いてしまう。
それほどに、自分の力では、体温を上げる事が出来ないほどに冷えていた。
もしこのまま、ここで明日を迎えようとすれば、三人と一匹は確実に死んでしまう。
そう思っていた時だった。
マリトが、必死で身体を摩るラジワットの手を取って、首を横に振った。
マリトは、ラジワットの耳元で何かを囁く。
ラジワットは、その言葉の意味を察すると、小さく震えるようにマリトの頬に手を当てて、マリトを労った。
そして、ラジワットは、静かに涙を流すのである。
幸は、二人が何をしているのかが、解らなかった。
二人は、少し笑顔で見つめ合っていた、そして、ラジワットはマリトを強く抱き寄せると、泣きながらマリトを褒め称えた。
それは、マリトの男らしい判断に、ラジワットが息子に贈る、最大の賛辞と言えた。
その光景を見て、幸は嫌な考えしか頭に浮かんでこなかった。
一番考えたくない、それは一番いけない考え。
マリトは、自分の最後を悟り、ラジワットに、幸を連れて前に進むよう促していた。
もう、体を擦る必要はない、と。
そして、マリトは自分の声が聞こえる距離まで幸に来てほしいとお願いした。
幸は、更に呼吸が激しくなりながら、マリトの元に近付く。
「嫌だよ、、何、どうしたのマリトちゃん、、、ねえ、ラジワットさん!」
ラジワットは手で涙を拭いながら、どうかマリトの言葉を聞いてあげてほしいと、抱き寄せたマリトを幸に託した。
吹雪の轟音の中で、何とか聞き取れる程度に小さく、マリトの声がした。
「、、、、お姉ちゃん、、、、生きて、どうか、貴女は、生きて」
「何を言っているの?、マリトちゃん、縁起でもないよ、ダメよ、そんなこと言わないで、お姉ちゃん、何処にも行かないから、ここに居るから、だからお願い!」
「、、、、ダメ、お姉ちゃんは、前に進んで、、、、オルコアのお屋敷に、お母さんが居るから、伝えてほしいんだ、、、僕は、ラジワット・ハイヤーの息子として、役目を果たしましたって」
そう言い終わると、マリトの顔は、急速に生気を失って行く。
「嫌!、だめ!、私、そんなの、絶対に嫌!、嫌なの!」
幸が、マリトを抱き締め、体を擦る。
そんな幸を、ラジワットは諭すように制止する。
「ミユキ、どうかマリトの気持ちを察してあげてくれ」
「どうしてそんな事言うんですか?、何を察するんですか?、嫌です、私、マリトちゃんを治すんです!」
マリトが、力を振り絞るように、幸を突き放す。
そして、幸にとって、忘れられない一言を、マリトは発するのである。
「お姉ちゃん、お願い、僕の言う事を聞いて、僕はもう駄目なんだ、このままじゃ、みんなここで死んでしまうから、、、、、お姉ちゃん、、、僕は貴女を愛しています、、、だから、僕のために生きて、お父さんと、、、生きて、、」
マリトは、まるで言いかけたまま沈黙し、そのまま目を開ける事は無かった。
「嫌だよ、マリトちゃん、お願い、返事して!、どうして、どうして返事してくれないの?、ねえ、、、ねえってば!」
ラジワットが、幸の後ろから肩を抱くように、そっと諭す。
「ミユキ、マリトはもう、、、。」
「嫌!、嫌!、嫌です、絶対に嫌!、私、マリトちゃんとここに居ます、マリトちゃん、死んでない、生きています、私、マリトちゃんとここに、、」
そこまで言った所で、幸は大声で泣き出した、まるで叱られた幼子のように、天を仰いで泣いた。
振り絞るように、声を掠れさせながら、それは、悲鳴のようにさえ聞こえた。
ラジワットは、幸を抱き寄せ、マリトの父親として、一番辛い一言を言わねばならなかった。
「、、、、ミユキ、さあ、行こう、ここに居ては危険だ」
幸は、ゆっくりとラジワットから離れると、彼に泣き顔を向けた、目を大きく見開いて。
「・・・何を言っているんですか、ラジワットさん、マリトちゃん、ここに居るんですよ?、私達、みんなでここで春を待つんです、そして、皆でランカース村に行くんです、ねえ、そうですよね、そうなんですよね!」
もはや、幸は寒さとパニックで、冷静な判断が出来ない状況に陥っていた。
今は、マリトと離れたくない、頑張れば、きっとまたマリトは蘇生出来ると。
しかし、ラジワットは気が付いていた、マリトは凍死したのではない、今度は、本当に絶命している、だから、もう蘇生は出来ないと言う事を。
ラジワットは、自分の荷物をユキちゃんに縄で巻き付けると、マリトから離れようとしない幸を抱えて立ち上がった。
「ラジワットさん?、ねえ、何をするんですか?、私、マリトちゃんと一緒にいてあげないと、マリトちゃんが可愛そう、ねえ、可愛そうだよ、ねえ、ねえ!下して!!」
「・・・ミユキ、マリトの事を思うなら、どうか、君は生きてくれ、マリトの分まで、君は生きなきゃ駄目なんだ」
ラジワットが、涙ながらに声を震わせながらそう言うと、ジタバタと手足を振るいながら抵抗する幸を、片腕で抱えたまま、ラジワットは前進を始めた。
「ラジワットさん、お願い、何でもしますから!、本当に、私、何でもしますから!、だから、お願いします、私をマリトちゃんの所へ返して!、お願いします、お願いします!」
吹雪で雪に埋もれるマリトの姿が、どんどん小さくなって行く。
ユキちゃんも声を上げて泣いている。
いやだ、マリトと離れ離れになんてなりたくない、もっと色々な事を教えてあげるんだ、もっと色んな料理を作って食べさせてあげるんだ、もっと美しい景色を見せてあげるんだ、もっと、もっと、、、。
涙で曇る幸の目には、マリトの亡骸に積もる、雪の小山だけが見えていたが、それも、やがては吹雪にかき消されて、遂には見えなくなってしまった。
タタリア山脈には、マリトの名を叫ぶ幸の声が、吹雪の轟音とともに響き続けていた。
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